肉じゃがはおふくろの味
陽の下に姿を現したのは女性。カーラーが巻かれた明るい茶髪、胸の辺りにヒョウをあしらった派手な服、小太りの体型、腰には白いエプロン。
絵に描いたようなおばちゃんだった。
(このおばさんがマサキを?そんな馬鹿な)
目の前にいるのはどこからどう見ても、その辺で井戸端会議をしていそうなおばちゃんだ。
マサキや他の格闘家たちを倒したとはとても思えない。史上最強を決める大会に参加しているなんて、信じ難い存在だった。
しかし、バッジをよこせというのだから、間違いなく参加者なのだろう。
こんなろくに鍛えてもない奴が、どうやってマサキを倒したというのだろうか。
「バッジ寄越せつってんだろうがぁぁぁ‼︎ 」
酒灼けしたガラガラ声で絃四郎を恫喝するおばちゃんは、細長い何かを右手に握り、絃四郎に向かって突進してくる。
手に握っているのは鉄製の菜箸。
(シャッターを貫いたのはこれか‼︎ )
おばちゃんは菜箸を、絃四郎の顔面に突き刺す勢いで狙ってくる。
「ちょっ、危ないだろ‼︎ 」
絃四郎は片足を曲げて菜箸を避ける。シャッターを突き破るほどの威力があるのだ。目や頭に当たれば致命傷だ。
「大会の案内を読んでいないのか⁈ 致命傷になる攻撃は禁止と書いてあっただろうが‼︎ 」
「知るか‼︎ ボケぇぇぇぇぇ‼︎ 」
おばちゃんは絃四郎の言葉を無視して、攻撃を続ける。徐々にスピードが上がり、絃四郎の顔面に菜箸の連撃が襲う。絃四郎は何とか蓮撃のスピードに対応するが、一撃が頬をかすめる。
(は、早い‼︎ スピードもパワーも普通の女とは思えないぞ‼︎ )
見た目のショックで油断したとはいえ、ただの一般人の攻撃を絃四郎が避けられないはずはない。
菜箸でシャッターを突き破るほどの力、急所を狙った素早い連撃、このおばちゃんは間違いなく強い。
絃四郎は、見た目で相手の力を判断し、一瞬でも油断した自分を恥ずかしく思った。
絃四郎は腕に力を込め直し、再び攻勢の構えをとる。
「女子どもに手を挙げるのは気が引けるが、仕方ない」
絃四郎は連撃の隙を見つけて屈み、おばちゃんの首元目がけて蹴りを放つ。
「観音開金剛流‼︎
錫杖刺しは屈んだ状態から片足で勢いよく立ち上がり、反対の足を垂直に伸ばして相手の喉元を蹴り上げる技である。
おばちゃんはまだ絃四郎の技に対応できる態勢ではない、顎にクリーンヒットかと思いきや。
「甘いわ‼︎ 」
顎を反らし、多少かすった程度で回避した。そのまま体を反らした勢いで、おばちゃんは宙返りをし、絃四郎と距離をとる。
(型はめちゃくちゃだが、おそろしい身体能力だ。やはり只者じゃないぞ、このおばさん)
とても格闘家とは思えない格好は相手を油断させるためだろうか。もちろん女性格闘家と対戦した経験は絃四郎にもある。
しかしこれまで闘った女性格闘家は皆、筋骨隆々で男顔負けの鍛え方をしていた。格闘技で男と対等に勝負するためにはそれなりに体を鍛える必要があるからだ。
おばちゃんは絃四郎を見て、フッと笑みを零す。
「なかなかやるね、あんた」
「そっちもな、おばさん」
「誰がおばさんじゃ‼︎ 」
おばちゃんは右足を大きく振り上げる。
「蹴り技?! 」
「こういう時は社交辞令でもお姉さんって言わんかい‼︎ 」
ヒュッと空を切る音がし、おばちゃんは右足のサンダルを絃四郎に向かってまっすぐ飛ばした。
菜箸よりも重量があるにもかかわらず、サンダルはブレることなく、野球のピッチング並みのスピードで飛んでくる。
絃四郎が回避の姿勢をとると、おばちゃんは素早く間合いを詰める。
「サンダルは囮か‼︎ 」
「これでも食らえやぁ‼︎」
まだ態勢を整えていない絃四郎に、おばちゃんは再び菜箸で顔面を攻撃しようとする。
(また菜箸の連撃……いや、箸の間に何かがある⁈ )
絃四郎はガードしようとしたが、おばちゃんは腕の間を通し、絃四郎の口にねじ込むように何かを突っ込もうとする。
(くそっ……防げないか‼︎ )
絃四郎は歯を食いしばり、口への進入を拒む。足の踏ん張りが利かない絃四郎は、おばちゃんの押し込む力によって後ろに吹っ飛ぶ。
口は無意識に開き、中に何かが入ってくる。
「一体何を口に?……これは‼︎ 」
鼻腔をくすぐる醤油の香り、ほどよい加減の甘辛味、よく煮込まれた一口大のジャガイモ。思わず噛んで味わいたくなる煮物の定番だ。
「これは……肉じゃがだと‼︎ 」
絃四郎は肉じゃがを2回、3回とよく咀嚼する。
美味さに気をとられ、受け身もとらずに地面に倒れる。
(そういえば最近日本に帰ってなかったから、母さんの肉じゃが食べてないなぁ)
故郷の母を思いながら味わう絃四郎。闘いの最中にもかかわらず、自然と口元には笑みが浮かぶ。
「もっと食えやぁ‼︎ 」
小脇に肉じゃがの入ったタッパーを抱えたおばちゃんは、絃四郎が油断しきっている隙を逃さない。仰向けの絃四郎の上にの馬乗りになり、マウントポジションをとる。
「何だ‼︎ 」
我に返った絃四郎は自分が窮地に立たされていることに気づく。
「ちっ、腕が‼︎ 」
絃四郎の腕はおばちゃんの足の間にがっちりと挟まれ、身動きがとれない。
胸の上でおばちゃんは菜箸に人参としらたきを絡め構えている。
また肉じゃがが来る。
(そうか‼︎ これでマサキは負けたのか)
マサキもおばちゃんの肉じゃがの餌食となり、マウントポジションをとられ、口に肉じゃがを詰め込まれまくったのだろう。
(身体能力も大したものだが、故郷を離れがちな格闘家の胃袋を、おふくろの味で狙ってくるとは……恐ろしいおばさんだ。)
「お残しは許さんぞぉぉぉぉ‼︎」
おばちゃん特製の肉じゃがラッシュが始まる。絃四郎は何とか首を動かして必死に避けるが、首の動きには限界があるった。
このままではいつかはやられる。
何かいい手はないか。
絃四郎はラッシュを避けつつ、おばちゃんを注意深く観察する。
(何か気をそらせるような手は……、うぉっ‼︎ )
馬乗りのおばちゃんはスカートを履いていた。避けることに集中して気がつかなかったが、タイトで短めのスカートはずり上がり、スカートの奥にはアレが見えていた。
正直見たいとも思わないアレが。
(これを言えば、もしかしたら手を止めるかもしれない)
絃四郎は眼前の光景を口にしようとするが。
(いや、格闘家がこんな手を使っていいのだろうか)
絃四郎の格闘家としてのプライドが、起死回生の手段を阻む。磨き上げてきた技で闘うのが格闘家であり、それが絃四郎の信念でもある。相手の弱点を指摘するのは、そんな自分の信念に反しているのではないか。
しかし。
商店街でやられた猛者たちを思い出す。ほとんどははっきり言って、格闘家とは言い難い無様な敗北をしていた。マサキも含めてだ。
(あんなやられ方はだけは……嫌だ‼︎ でもこんな手で相手の注意を逸らすなんて姑息だが)
束の間葛藤する絃四郎。
しかし、相手がそもそもルール違反を犯しているのだから自分まで礼を尽くす必要があるのだろうか。
絃四郎は意を決して叫ぶ。
「パンツ丸見えだぞ‼︎‼︎‼︎」
「きゃっ」
今までの行動から考えられないような女らしい悲鳴を上げるおばちゃん。内股気味になった足が緩み、絃四郎の両手がすんなりと抜ける。反撃するなら今だ。
「観音開金剛流、蓮華掌‼︎」
蓮華掌は、蓮の花のようになめらかな動きで、掌底を連続して叩き込む技である。
ガラ空きのおばちゃんの腹に、目にも止まらぬ早さで放つ。
おばちゃんが後ろに仰け反ると、絃四郎は足を引き抜き、腹に蹴りを入れる。
「ぐぇっ」
両足を揃えた強めの蹴りで、おばちゃんは後ろに吹っ飛ぶ。
不本意なやり方だったが、何とかマウントポジションから抜け出すことができた。
おばちゃんは吹っ飛んだまま、仰向けに倒れている。なかなか起き上がってこない、気絶したか。
(必死であまり手加減しなかったからな。大丈夫か)
腹の感触からいって、筋肉はついていなかったから内臓にモロにダメージが届いたはずだ。
絃四郎は用心しながら、おばちゃんに近づき、顔を覗き込む。おばちゃんは目を瞑ったままだ。
「あの、大丈夫ですか?」
絃四郎はおずおずと声をかける。先ほどは乱暴な言葉使いをしてしまったが、一応年上なので敬語を使う。
「痛いじゃねぇかオラァ‼︎‼︎」
おばちゃんは突然目をかっぴらく。
「まだ起きてたか‼︎ 」
おばちゃんはエプロンのポケットから小さなタッパーを取り出すと、絃四郎目がけて投げつける。
「何だ? ベトベトする‼︎ 」
タッパーから飛び出た黄色い液体は、絃四郎の顔にかかった。何かを揚げた匂いがする。
使用済みの食用油だった。
おばちゃんは絃四郎が顔についた油を払っている間によろめきながら立ち上がる。
「覚えてろよ‼︎ クソガキゃぁぁぁ」
おばちゃんは絃四郎に向かって毒付くと、 絃四郎を倒すことが困難だと思ったのか、おばちゃんはバッジも取らずに逃走した。
次回予告
「ぼくはおにいちゃんをたおしてヒーローになるんだ‼︎ 」
「これはね‼︎
「いやだ‼︎ それだけは‼︎ 人としての尊厳を失いたくない‼︎」
Next Battle
観音開絃四郎 VS 男子小学生
※次回小学生レベルの下ネタが出ますので、苦手な方はご注意ください。
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