1話

 ————僕はぼやけたモノトーンの視界の中、見たことのない少女を追いかけて走っている。




 ————少女はこちらをちらっと振り向いて楽しそうな笑顔を浮かべた。




 ————誰なのか全く分からないその少女の笑みに心が大きく揺れ動く。




 ————それは懐かしさであり、嬉しさであり、悲しさだった。




 ————突如、少女は今まで走ってきた道を外れて山の中へ通ずる小さな細い道に向かっていった。




 ————なぜだろう、大きく胸が騒ぐ。そっちへ行ってはいけない。僕は声を出して止めようとした。




 ————しかし映像は止まらない。そしてそのまま周りの色が薄れていく。




 ————消えゆく世界の中で僕はずっと叫び続けた。




 ————そっちへ行くな!そっちへ行くな!そっちへイクナ!そっちヘイクナ!ソッチヘイクナ!ソッチヘ・・・・・・・・・・・・





               ◇




ゆう!! 起きなさい!! 杏子きょうこちゃん来たわよ!! 学校行くんでしょ!!」


 階下から母親の声がフィルターを掛けたようにぼんやりと聞こえる。

 何か大事な夢を見ていた気がする。忘れてはいけない、大切な記憶。

 しかし訳の分からない感傷に浸ることを今の状況はは許してはくれない。

 いつもだったらこのまま半日ほど余韻を味わうものだが今日はそうもいかないらしい。

 未だにシャキッとしない頭を無理やり働かせてベッドから降り、出かける用意をする。

 学校に行くとは言っても形だけだ。シャーペン一本と少しの小説しか入っていない、ぺしゃんこのリュックを背負って部屋を出る。

 階段を下りてすぐの場所にある扉を開けると焼けた肉のおいしそうな匂いと共に、正方形のテーブルの対辺に座って楽しそうに歓談する母と幼馴染——南杏子みなみきょうこの姿が見えた。

 扉を開けて立ち尽くしている俺に気づいた二人は話をやめてこちらを向く。


「ヤッホー! 元気してた悠? 遅寝遅起きは体に悪いからやめた方がいいと思うよ」

「やっと起きてきた——早く朝ご飯食べて学校行きなさい」


 俺はおはようとぎこちなく挨拶をして一番近い席に座って朝食を掻き込む。


「そんな急がなくてもいいのに・・・・・・喉詰まらせるよ?」


 杏子は心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

 ひとしきり食べた俺は最後に残ったベーコンを箸でつかみながら、


「急いで食わないと学校遅れるだろ——てかお前はなんで人様の家に上がり込んでるんだ?」


 時計を見ると既に時刻は8時を過ぎている。

 ここから高校へは地下鉄を乗り継いで20分程なので今から行っても遅刻は免れないだろう。

 しかし杏子は問題なさそうに軽い表情を浮かべている。


「私は悠の登校事情について一任されてるの。この前先生があんたを学校に連れてくるためだったら少々遅刻しても構わないって言ってたから大丈夫」

「んで、家にあがってることについては?」

「アンタねぇ・・・・・・外で女の子を何分も待たせるわけにはいかないでしょ? 私が招いたの」

「んで、本音は?」

「一緒に世間話でもと思って!」


(何でこんなに皆軽いんだ・・・・・・)


 俺はため息をついて立ち上がる。


「ごちそうさま」


 食器を片付けて玄関のドアを開けると、まだ楽しそうに会話をしている杏子へ声をかけた。


「おい、いつまで話してる気だ? おいてくぞ?」


 手元の麦茶を慌てて飲み干し立ち上がる杏子。


「お邪魔しました!!」


 微妙に空いているドアの隙間からお母さんが手を振ってるのが見えた。その空間に割り込むように杏子が出てくる。


「もう————置いてけぼりとか酷いよ・・・・・・」


 少し息を切らして言ってくるのをスルーして歩き始める。


「なんか今日機嫌悪くない?なんかあったの?」


 急いで追いかけて来た杏子は不思議そうに聞いてきた。


「何故だか今日は機嫌が悪いだからあんまり気に障るようなことしないでくれ」

「何でかってどういうこと? 理由もなしに気分って変わるもんなの?」


 どう聞いても適当に答えただけの中身のない回答なのだが、杏子は首を傾げて頭から?マークを出して考え出す。

 俺はそんな天然系幼馴染を横目で見ながら考える。


(原因はたぶんあの夢の邪魔をされたからだと思うんだが・・・・・・何の夢だったんだろうか・・・・・・)


 断片的に残った記憶を拾い上げて繋げてみるが、あと少しという所で分かりそうで分からない。


(歯がゆいな・・・・・・しっかしなんでこんなに引っ掛かるんだ・・・・・・何か重要なことだってのは分かるんだが・・・・・・)


 見上げた空には大きな塔が聳えていた。遠目からではかなり硬いそうだなという漠然とした感情しか抱けないその塔は、国際生物学研究所の中に建てられた謎の建造物である。研究所が建てられた当初から存在していたそれは、誰に聞いても何のために使われているのか分からないという代物である。噂では一国の軍隊が襲ってきても耐えられると言われていたがそんなこと言われても実感は湧かない。一介の市民としてはそんな物建てる時間と金があるのなら別の物に使って欲しい限りである。

 目線を下げてみると俺に気を使ったのか、杏子が指で茶髪をくるくるさせて遊んでいた。俺はそれからもしばらく夢の事を考えていたがこれ以上は何もわかりそうにないので、考えるのをやめて黙ったまま歩いた。そして特に会話もなく電車を乗り継ぎ学校についた。

 ————俺が通っている評定ひょうじょう高校は初めて来た人なら、誰しも目を開いて見上げるだろうというほどでかい校舎に、充実した教育システム、おしゃれな制服など、この辺りのではずば抜けて人気の高校である。とはいっても俺は制服なんて着てないし(今は黒の少しだけ文字が入ったシャツにジーパンをはいている)そもそも登校自体ほとんどしていない。俗にいう不登校というやつだ。その辺について語ると文字数がとんでもないことになるのでまた後にしておこう(メタいメタい)。この高校を選んだ理由は、とにかく自由だからだ。校則はあるにはあるのだが、守っても守らなくても特に罰則はない。更に不登校だとしても点数さえ良ければ卒業も進学もできる。俺は元々頭はいいのでたまに授業を受けたりテストの日だけ学校に行くことで済ましていた。


 校門を抜け自分の2-19のクラス(クラスはなんと一学年50近くある)へと急いだ。

 複雑に入り組んだ廊下を早足で歩く。


「相変わらず教室が遠いな・・・・・・お前毎日こんな道通って疲れないのか?」


 同じく2-19へと行くために隣を歩く杏子に問いかけると、嬉しそうに顔をこちらへ向けてきた。


「やあっと話してくれた———結構沈黙つらかったよ・・・・・・」


 こいつ、話しかけるだけで嬉しそうな顔をするってどんだけ寂しがり屋なんだ・・・・・・。デフォルトのテンションが高いせいか、気分が落ち込んでいる時でも杏子の表情は楽しげに見える。————そのせいで本当に落ち込んでいる時に気が付けない事が多い訳だが。


「移動しないといけない教室とかもっと教室の近くに置いておいてほしいと思わないか?」


 たまにしか学校に来ない俺でも移動教室の辛さは知っている。別校舎の端っこの教室まで行くときなどは休み時間を丸々使わなくては行けなくてはならなかったりするのだが、そんな時はかなり気が重くなる。


「悠はもっと周りの人の気持ちとか考えて行動したら友達増えると思うんだけどな・・・・・・」


 ————こいつ・・・・・・思いっきりブーメラン刺さってるぞ・・・・・・

 

 俺の言ったことが右耳から左耳に抜けているのか、こちらの質問など無視してマイペースに言ってくる杏子の言葉に思わず頭を抱える。それを見た杏子は至って真面目な顔をつくって、


「大丈夫? 頭痛いなら保健室に行った方がいいよ?」


「9割はお前のせいだがなっ!」と突っ込みたくなったが本人に悪気はまったく無いので飲み込んで奥に閉じ込める。


(ガチ天然ほど手にかかるものはないな・・・・・・)


 俺は無理に笑顔を浮かべて杏子に言う。


「大丈夫だ————てかここからだと保健室が遠すぎるから大丈夫じゃなくても行きたくない」


(ええと保健室は西校舎の一回の校門に一番近いとこだから軽く見積もっても10分ぐらいか・・・・・・もし廊下で誰かがぶつかって怪我したらどうするんだろうか?)


 ゴツン!! バタッ!!




    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。




 無視する訳にはいかないので振り返って事故現場を眺める。

 そこには頭を抱えた状態で倒れた杏子と恐らく2年生であろう少女が倒れているのが見えた。二人とも頭を押さえているので、頭をゴッツンコしたらしい。

 俺は倒れている少女に声をかける。


「————あー、結構すごい音したけど大丈夫か? 怪我したなら気が遠くなる道のりの保健室まで連れていくぞ?」


 少女は長めの髪の毛を絨毯のように廊下に広げていた。身長は杏子よりも少し高いぐらいで、スラッとした体型と白い肌が華奢な感じを醸し出している。しかし、よく観察してみれば体は見かけによらず健康的で、程よく着いた筋肉が運動神経が良さそうだと思わせた。


「————痛たた・・・・・・頭が痛い・・・・・・」

「————悠、少しは私の心配してくれてもいいと思うんだけど?」


 杏子は少し不満げにこちらを向いて文句を言ってくる。


「俺は知ってるぞ。半年ほど前、お前がよそ見して歩いてて電柱にぶつかったときにお前がピンピンしてたことを・・・・・・しかもあの時電柱に少しひびいれてただろ」


 こいつは他に右に出る者がいないほどの石頭の持ち主なのだ。正直間違ってもこいつとだけは交差点の角でぶつかったりなんてラブコメ展開にはなりたくない。

 俺たちがくだらない言い争いをしている間に少女はふらふらと立ち上がった。黒髪が流れるように持ち上げられ、腰ほどの長さで止まる。それは限りなく直線に近く、蛍光灯の光を反射するほど綺麗に整えられていた。


「頭の方は大丈夫です————それより2-19の教室はどこか知りませんか?私急いでるんですけど道に迷っちゃって・・・・・・」


 俺たちはその言葉に口喧嘩を止めて少女の方を向く。


「2-19なら今から行くところだから案内するよ?」

「別にいいが何の用だ?」


 俺の記憶だとこの少女は2-19のクラスの生徒ではない。流石に全クラスの生徒の名前は覚えてないのでどこの誰かは特定できないが、何故別のクラスに行かなければならないのか少し気になった。何処かのクラスの伝言でも頼まれたのかと思ったがそれならば、まず最初に目的のクラスの位置を確認するはずである。


「ええっと・・・・・・実は————」


 キーンコーンカーンコーン


 少女が口を開くと同時に朝の読書時間の終了を知らせる鐘の音が鳴り響いた。


「い、急がないと!! 早く案内してください!!」


 少女はかなり慌てながら言う。どのような事情があるのかは知れないが、朝礼には間に合うようにしたいらしい。


「よし。ダッシュで行くぞ!! ついてこい!!」

「ラジャー!!」

「ちょ、ちょっと待って!!」


 幸い教室はそこから近かったため、鐘が鳴り終わると同時に全速力教室へと駆け込んだ。




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