6話

対峙している重い鉄製の扉をゆっくりと開けると、辺り一面開放感あふれる景色が広がった。

住宅街の向こう側にそびえる高層ビル群を眺めながら一つ深呼吸をする。

耳を澄ましてみると、住宅街の方から微かに5時を知らせる音楽の音色が聞こえてきた。。

8階建ての校舎の上は他に視界をさえぎるものが何も無く、天気が良い時は何キロも先の海の様子まで見る事が出来る。

今の時間帯だと、西から差す茜色の夕日が建物のガラスに反射して町全体がキラキラと光って見えた。


「いつ見てもここからの景色はいいもんだな・・・・・・」


基本屋上は常時解放されていて誰でも入る事が出来たが、この素晴らしい景色を知っている人はあまり多くはない。

というのも屋上への扉は、生徒が普段使わない8階の入り組んだ廊下の先にある専用の階段を上らないと行けないのだ。大体の生徒は普通に歩いていても迷いそうな廊下なんかわざわざ探そうとはしないので、ほとんどの人がこの場所を知らないのも当然の話だ。この場所へ来るのは相当な物好きで変わっている奴か、暇人くらいだろう。俺の場合は後者に当たる。

俺が初めてこの場所に来たのは入学して間もない頃だった。

評定高校にはどういう目的で作られたのか分からない部屋が多数存在し、中には開かずの部屋と呼ばれている場所がたくさんある。

特にすることが無く暇だったある日の放課後、俺はその開かずの部屋を探して学校中を彷徨さまよっていた。

そして階層全体を繋いでいる大きな階段から一番離れた廊下を歩いていた時、偶然その道を見つけた。

普通に歩いているだけではまず見つかりそうも無い薄暗い階段を上り、扉を開けた先には絶景が広がっていた。

自然の美しさとはまた違うその情景に、俺はそのまま何分も立ち尽くしていた。

それから俺は月一ぐらいのペースでここへ通って心の入れ替えを行っている。

この場所で時間を忘れて自分も空間の一部になってボーっとしていると、心の中が凪いでゆくのだった。


「あれ、誰かと思ったら龍人君だったんだ」


突然背後から声を掛けられハッと振り向く。

————がそこには声の主はいない。


「そっちじゃなくて、こっち。上だよ上」


周りをグルグル見回す俺に向かって再度声がかけられた。

声が聞こえてきた方を見上げると、屋上の階段部屋————確か塔屋というんだったか? そこで足を投げ出すように座っている夏美の姿があった。

それにしてもこの場所に人がいるとは珍しい事もあったものだ。


「誰かと思ったらお前か。ここまでよく辿り着いたもんだ。誉めてやろう」

「何その上から目線な物言いは————そこに居たら首疲れるだろうしこっちに上がってきたら」


夏美は塔屋の横につけられた梯子はしごを指さす。

今までそこに登ろうとしたことが無かったのであまりよく見たことはなかったが、梯子は1.5m程空中に浮いていてとても上りづらくなっている。


「よっこいしょっと」


幸い塔屋の壁は凸凹だったので、初めの足場が無くても滑らずに上ることができた。

塔屋の上まで登ると夏美がこっちを向いて自分の横をてのひらで叩く。

どうやらそこに座れという事らしい。

俺は落ちないように気を付けながらそっと腰を下ろす。


「こんなところにわざわざ来るとはお前も暇な奴だな」

「私はただ暇でここにいる訳じゃないから————時間を裂くだけの価値があるものが物がここにはあるっていう事」

「ふーん、それは悪かったな」


なぜこんなところに居るのか少し探りを入れてみたところ、こいつは俺と違って暇を持て余している訳では無いらしい。

ここに来る人の定義は先ほども言った通りだ。つまり暇人じゃないとしたら・・・・・・


「な、何その可哀そうな人を見るような目は!」

「それは勘違いじゃないかだと思われる。それよりお前はなんでわざわざこんなとこまで来たんだよ。こんな場所特に何もないぞ?」


夏美は目線を下げ、少し考える素振を見せる。

しばらくして思い切ったように顔を上げて俺の方を向いた。


「風を感じられるから————かな」

「ふうん・・・・・・」


やっぱり予想通りだ。

ただ風に当たるんだったら屋上まで来なくても外に出ればいいだけの話だ。

それをわざわざ面倒な道を進み屋上へのぼり、更に塔屋の上まで登るなんて普通の人はしない。


(朝のレポートの件といい、あんま表には出ないけど実は結構変な奴だったりするのか?)


「具体的な事は分からないけどきっと何か失礼な事考えてるでしょ・・・・・・」

「否定はしない」

「いやそこは開き直るところじゃないでしょ! アンタに構うんじゃなかった・・・・・・」


夏美は肩を落とし、やれやれという風に額に手を当てる。


「俺はそれはそれでいいと思うぞ?」

「・・・・・・え?」


夏美は向こうに顔を向けたまま目だけをこちらに動かす。


「最近は他人と違うことを恐れるやつが多い。他人と似たような服を着て、似たようなものを買って、似たような趣味を持つ。逆に自分と違う対象に関しては軽蔑をしたり差別をしたりする、そんな奴がな。人間の奥底にある本能としてしょうがないってのもあるんだろうが、今の世界はまさに蟻の巣そのものだよ。自分たちの目的とは違うことをしようとする異質なものを排除しようとしてるところとかまさにそのまんまだな」

「蟻の巣・・・・・・ね・・・・・・」


さっきまで機嫌を損ねてそっぽを向いていたはずの夏美は、いつの間にか俺の方を向いて話に聞き入っている。


「そういう世の中に育ったせいで子供たちは自分というものを認識しづらくなってきている。極めつけに〝中身のない〟勉強という教育をさせられることで高性能ロボット同然な大人の完成ってわけだ。そうして新たに生まれた子供を育てるわけだが、ロボットが育てられるのは同じく形だけで中身がスカスカなロボットな訳だ」

「————それで結局何が言いたいの?」


俺はビシッと人差し指で夏美を指す。


「つまりお前みたいな変なところがある奴は恵まれてるってわけだ」

「私が・・・・・・恵まれてる?」

「人の波に飲まれないで自分を保っていればおのずと量産型達ロボットとは別のものが見えてくるはずだ。それは自分を深めるための大事な欠片として溜められていく。自分をちゃんと持っていれば良くも悪くも自分としての人生を送れるわけだ。そうすれば最期の時後悔なく逝けるだろ? これってかなり大事なことだと思うんだよ。自分で送りたい人生が送れなくて辛い気持ちを棺桶かんおけまで持って行くことほど悲しいことは無い。長くなったが一言でいえば〝どんな時でも自分を貫け〟って事だな」

「なんだかんだ長い事語っておいて、私の気持ちを逸らそうとしただけじゃないの?」

「否定はしない」


夏美は先ほどまで輝きを見せていた顔を伏せ、あからさまにがっかりした様子で視線を前に戻し深く息を吐く。


「はぁー————人と違う事を恐れるな、か・・・・・・なかなかいいこと言ったと思ったのにこれなんだから困っちゃう・・・・・・でもありがとう」


斜陽に照らされた夏美の横顔には隠すように微笑が浮かんでいた。


(別に感謝されるようなこと言った覚えなんてないんだけどな・・・・・・こいつがいいならいいか)


「さてと、私はそろそろ帰らないと。また明————」


夏美が立ち俺の方を向きそういいかけた時だった。

いきなり目を見開き体が硬直し、口は時間が止まったようになる。

その驚きと恐怖が入り混じったような視線は俺の肩越しにどこか遠くを見つめていた。振り返って視線を追った先には、点のような大きさでしかないが一人の少年が見えた。遠目で見た限り中学生ほどに見える。こっちがじっと見ていると、少年が何か感じたのか、おもむろに俺らがいる屋上の方を見てくる。軽く見積もっても500メートルは距離はあったが貫くような鋭い視線に体がすくんだ。


「うわっ!」


————背後で聞こえてきた夏美の声に俺は現実に引き戻される。


「どうしたんだ?————は?」


とりあえず振り返ってみるとそこに夏美の姿はなかった。

代わりに足元の方からトンッという軽い着地音が聞こえてくる。

下を見てみると夏美が足を押さえてうずくまっていた。


「大丈夫か? この高さから落ちた割には軽そうだが」

「だ、大丈夫。ちゃんと着地はできたから。ただ衝撃で少し足が痺れるぐらい」

「お前何気運動神経いいみたいだし大して気にしてはいなかったけど、大事にならなくてよかったな」

「うん。それじゃまたね!」


夏美はドアの脇に置いてあった自分の荷物を手に取ると、慌てて校舎内へ駆けて行った。

その不自然な姿に若干疑問を持ちつつ、俺は遠く西の空を見据える。

さっきまでは無かったはずの真っ黒な雨雲が近づいてきて、空には湿った風が吹いていた。


「雨になりそうだし俺も早いところ帰るか。」


ひょいと飛び降りると自分の荷物を持って屋上を後にした。






 



その様子を遠く離れた場所から、あの一人の少年が見つめていた。双眸そうぼうに黒い光をたずさえて。





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