5話

 

 ガラガラガラ


 教室のドアを開ける共にクラス中の視線が集まってきた。

 まあそれも当然だろう。なんせ俺が二日以上連続で学校に来たのは六年生の冬休み前以来だ。特にこちらの事情を知らない人からしてみれば俺の存在は、困ったちゃんの不登校児といったところである。

 分かってはいたことだが、実際にこうやって視線を浴びせられるのはイラつく。

 だからと言って見るなと言う訳にもいかないので、逆転の発想で特に何でもない堂々とした顔をして教室へ入っていくことにした。

 そのせいか、徐々に俺から視線は外れていった。


「あれ? 悠じゃねーか。どうしたんだ二日連続で登校するなんて」


————と数歩いたところで、気怠そうな声で呼び止められた。寝ぐせの所為か、くせ毛なのか、いつも髪の毛が明後日の方向へが跳ねているクラスメイト————神崎龍人かんざきりゅうと黒い目を開き驚きの表情を見せていた。

 こいつは中学の時から俺と話していた数少ない友人の一人である。そこそこ仲が良くお互いの事をよく知っているため、俺をただの問題児だと思っている奴らよりも尚更驚いたのだろう。

 正直俺もこんな日が来るとは思っていなかったぐらいだ。


「訳ありでな・・・・・・本当は俺は来たくはなかったんだよ」


 龍人はこっちへ近寄ると俺の顔を覗き込んでくる。


「お前隈がすごいぞ。夜中まで何やってたんだ」

「昨日————いや今日大急ぎでレポートを書いたんだよ。そしたら色々手間取ってるうちに朝になっててな・・・・・・」


 重い足取りで自分の席へ向かいよっこいしょと腰を下ろす。

 その情けない姿を見て、俺の机の前に立った龍人が苦笑する。


「ずいぶんお疲れだな。そんで、何で今日は学校に来たんだ?」


 答えようとしたが経緯を話すのが面倒だったので、代わりにちらっと教室のドアの方に視線をやる。

 それにつられて龍人が首だけで振り返ると、丁度杏子と夏美が教室へと入ってくるところだった。夏美は他の女子たちと楽しそうに話をしていて転校二日目の割にはクラスにかなり馴染んでいる。どんな人ともすぐに友達になれる杏子が関われば、大勢と関わるのが苦手らしい夏美でもこれくらいはできるようだ。

 龍人は一瞬だけ考えるような素振そぶりを見せるが、頭の回転が速い彼はすぐに理解したらしい。


「お前ってホントに杏子に甘いよな。今回も押し切られたって事か?」


 俺はまた答えの代わりに素直にうなずきで返す。


「あいつはやるって言ったら絶対やるもんな・・・・・・色んな意味で恐ろしいよ」


 どうやら龍人にも心当たりが有るらしく、最後は真顔になって言う。龍人と杏子の間に何があったのかは気になるが、今は好奇心よりも疲れの方が勝っていた。

 昨日と同じように机に突っ伏し寝ようとするが、噂をすればなんとやら、目の端で杏子と夏美が動いたのを察知する。どうやらこっちへ向かってきているようだ。

 龍人の隣まで途中から小走りでやってきた杏子が、肩を叩きながら軽快な声であいさつをする。


「おっはよう、龍人!!」

「お、おはよう! 朝から随分と元気だな」

「龍人君なんか調子悪そうだけど大丈夫?」


遅れてやってきた夏美が龍人の顔を見て言うそういわれるのも無理はないだろう。

本人は普通にしているつもりなのだろうが、頬の筋肉が微妙に引きつっていて傍から見ると、頭痛でも堪えているかのように見える。


「どれどれ・・・・・・私が大丈夫か見てあげる」


杏子が龍人の顔を覗き込むようにじっと見つめる。

それに合わせて若干後ずさる龍人。

龍人のマイペースなところが杏子のどんな時でもイケイケなところと合わないのは分かるが、そこまで苦手意識を持つ必要はあるのだろうか?

俺がそんなことを考えている間に杏子先生の診断は終わったらしい。

顔を離して真っすぐに龍人を見つめた杏子は至って真面目に、


「特にどこかがが悪い訳じゃなさそうだけど・・・・・・・・・・・・何でそんなプリンだと思って開けたカップの中身がゼリーだった時みたいな顔してるの?」


 その瞬間杏子以外の三人の頭に?マークが見えた気がした。

 一拍おいて隣に居た夏美がプッと噴き出す。


「杏子ちゃん何その例え、なかなかそんなの使う人いないよ、ハハッ」


 龍人も更に顔を歪めて笑いを堪えているみたいだが、この手のボケを何回も聞いてきた俺は特に気にならなくなってる。

 慣れって怖いと思った瞬間だった。


「お前ら少し静かにしてくれ・・・・・・こっちは疲れてるんだ。笑い声が頭に響く」


 いつもならこれぐらいの徹夜何ともないのだが、あのとんでもない文章と格闘していたせいでかなり気力が削られた。正直今にも意識が飛びそうなのを何とか抑え込んでいるような感じだ。それなのにひらひら飛び回るアゲハチョウの様な杏子の存在は、迷惑極まりない。

 グダーとしている俺の姿を見た杏子はまるで人ごとのように、


「もう、だから夜更かしはダメって昨日言ったでしょ?」

「お前誰のせいで俺がこうなってるのか分かってるのかよ」

「?」

「よし歯を食いしばれ。それから自分の罪をよく考えるんだな」

「ちょっ、待ってタイム」


 さっと立ち上がり戦闘態勢に入った俺を見て、杏子は龍人の後ろに隠れる。抱きかかるようにして背後に立つ杏子の存在に、龍人がピクリと静止する。


「あれ? なんか落ちてるよ」


 ・・・・・・と、俺たちが争いをしている間に夏美が屈んで床に落ちていたのであろうプリントを拾い上げた。

 それをいいことにして杏子が話題を逸らすように、


「これ悠のレポートじゃないの?」


 裏面から透けて見える紙の表面をじっと見ると、かなり薄く『久時悠ひさときゆう』と書かれているのが見える。

 どうやら何かのはずみで、書いてきたレポートが鞄から落ちたらしい。


「ふうん・・・・・・悠君ってこういうのなかなかまめにやるんだね————ん? もしかして悠君のお父さんって————」


 勝手に人のレポートを読み進めていた夏美の表情が文章の初めを少し見始めたところで明らかに変わった。

 先ほどまでの楽天的な表情とは打って変わって、紙を強く握りじっくりとレポートに目を落としている。


「どうした? なんか変なところとかあったか?」


 俺の問いにハッと我に返ると真剣な顔を元に戻し、押し返すように慌ててレポートを俺に返す。


「な、何でもない。完璧にできてる」


いや・・・・・・どう考えても何でも無くないのだが。額に浮かぶ冷汗が取り繕うとしている事をありありと映し出している。というか完璧なら尚更何に対して戸惑っているのかが分からない。

 自らの体調の変化に気づいたのか空笑いを止めると周りを見渡す。


「ち、ちょっとトイレ行ってくるね」


 夏美は最後に思い出したようにそう言い残すと颯爽とその場を去る。

 取り残された俺ら三人はお互いの顔を見合わせた。


「「「何だったんだ(ろう)今の」」」


 呆然とオカシな夏美の様子を見守った杏子はふと顔を上げる。


「夏美ちゃん最後に悠のレポート見てたけどなんか関係あるのかな」

「ん~? でも特に何かオカシなこと書いてる訳じゃ無いぞ。ていうか、夏美自身も特に何も無いって言ってたしな」


 何か夏美に気がかりな事がレポート上にあった事を前提として考えると、その後特に何も無いと言った彼女の言葉と矛盾する。それが何かを誤魔化すための嘘というのは、あの何処か抜けているような性格を鑑みるに少ないだろう。

 興味深そうに俺のレポートを見ていた龍人がふと呟いた。


「そういえばインファーナルの脱走か・・・・・・俺ら市民の安全を第一にとか言っている割に、彼らに対しては脱走なんて言葉を浴びせるのはなんか気に食わねぇな」

「なんだお前もその事知ってたのか。————言われてみれば確かにそうだな。そもそも彼らを本当に気遣って行動してたなら脱走なんて起こるはずが無い事件だもんな」


 窓の外にはいつも通りあの塔が見えていた。この町の何処かに逃げたインファーナルを今頃捜索隊は血眼になって捜索しているだろう。

 ―———しかし、それは国際生物学研究所の対応次第では防げていたものだと思うと、逃げているインファーナルに同情の気持ちが湧いて来る。

 重い雰囲気を何より嫌う杏子は、二人の様子を見て底抜けに明るい声を出す。


「そうは言っても私たちに出来る事は何も無いでしょ? 解決できない悩み事は最初からしない方がいんだから!」


 この世界に居る人間に幾星霜にも及ぶ悲しみにや喜びがある。それら全てを抱え込もうと思うのは傲慢だ。その全ての感情を受け止められるほど人間の心は広くないからだ。だったら自分が受け止められる精一杯の事をしよう。

 たぶんそんなに深くまで考えてはいないだろうが、杏子の笑顔にはそんなことが込められているように感じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る