一章 平行線上からの脱出

other side 0.5

 息を潜めじっと人が通り過ぎるのを待つ。

 いくら〝七変化〟が使えるとはいえ、ばれてしまう可能はゼロではない。

 強まる足音に鼓動が速くなる。心臓の高鳴りは外に聞こえそうなほど強くなるが、深呼吸すらすることは許されていない。


「まだ脱走者は見つからないのか!?」

「はい・・・・・・この様な事もあろうかと様々な対策が施されているのでこんな事あり得ないのですが・・・・・・」

「しかし実際に起きてるじゃないか!!」

「まぁまぁ。今は声を荒げている場合ではないだろう。責任問題について話すのはまた後だ」

「しかし・・・・・・」


 数人の追っ手はやがて遠ざかり、聞こえる会話も不明瞭なものになっていった。

 緊張から解かれた少女へ、地面から冷たさが這うように上ってくる。

 

(危なかった・・・・・・不確定要素には十分気を付けないと・・・・・・)


 少女は擬態していたから見た目を元に戻すと、溜めていた息を深く吐いた。

 右手に握りしめた施設の地図を取り出すと、脱出経路を再度確認する。

 もうゴールは眼の前だ。心身共に疲れ切っていた少女は、心の中で一人歓喜する。

 ————だが気の緩みは時として致命的なミスとなる。この場合それは計画の失敗だけでは済まされないものだ。

 しかし、この時少女の頭の中からは危険の確認という工程が、安堵感からすっかり抜け落ちていた。


「やっぱりここから逃げるつもりだったか・・・・・・」


 さて進もうとした瞬間、背後から男の声が聞こえた。

 さっき通った追っ手の様な激情は無く、低く冷静な声。

 しまったと思った時にはすでに遅い。

 今回の作戦の成功条件としてはまず誰にも見つからない事だった。姿を見られた後逃げたところで、数百にも上る追っ手を完全に振り切るのは不可能に近い。だからといって戦闘で相手を倒すのは論外だ。

 どうしたものかとあれこれ思考を走らせる少女に向かって男は一言。


「別に君の脱走を邪魔しようとは思ってないから、別に警戒することは無い。寧ろ手助けをしてやりたいと思っている」


 完全に想定外の言葉に少女はゆっくりと振り返る。


「それは嬉しいんですが、だったら引き止めず行かせてもらえませんか?」


 そう言いながらじっくりと敵を観察する。

 無装備のスーツ姿に革靴。追っ手は皆スタンガンなどで武装していたので、本当に追手組では無いらしい。首からぶら下げた飾り気のない職員証には久時ひさときとだけ書かれている。

 そのまったく警戒心の無いカジュアルな服装に少し拍子抜けしてしまった。


「てっきり向こうの罠かと思ったんですけど。本当に敵では無いようですね」

「そんなに容易く信じてもいいのかい?」

「もし敵ならこんなにお喋りをする必要はないでしょう? ただ叫んで目を引けばいいだけですから」


 男は大きく頷く。そしてポケットに手を入れるとそこから紙切れを取り出した。


「君が通ろうとしているルートは恐らくダミーだ。わざと警備に穴をあけて、脱出者しようとした者がそこを通るように仕向けてある」


 紙を受け取るとそこには幾つかの矢印や記号が書き込まれていた。

 しかし書かれているのはそれだけで、まったくもって意味不明である。

 子供が作った宝の地図のような紙に少女は首を傾げるばかりだ。 


「地図に重ねてみな。持っているのだろう?」


 そんな様子を見かねて男が助言を与える。

 言われた通り自分が持っていた地図と男からもらった紙を重ね、光に透かして見ると、通路の部分に矢印が重なった。矢印の先は一つの道となり、施設の外への道を示している。それだけでなく所々には解説も含まれていて、男の細やかな優しさを感じた。


「その通りに進めば施設を脱出する事が出来るだろう」

「保証は?」

「そんなもの無い。だけど今のルートを行くよりは遥かに可能性が高いとは思うぞ」


 少女はさっきまで自分が進もうとしていた道を見つめ、迷いの表情を見せる。

 ————だがそれも一瞬の事で、首を振ると男の方へ向き直った。


「どうして組織に歯向かってまで私を助けてくれるんですか?」

「私には私の信念がある。今回はそれがこういう結果を導いただけだ。それに————」


 ここで男は言葉を切ると少女から視線を逸らし虚空を見上げる。

 感情に欠ける瞳に少しだけ嬉しい様な表情が浮かんだ。


「それに私には君と同い年ぐらいの息子が居るんだよ。なんだか放っておけなくてね・・・・・・」


 それも束の間。廊下の向こうから新たな足音が聞こえてきた。さっきの捜索隊などよりも足音の数は遥かに多い。

 二人は確かめるように視線を交わす。


「気をつけろよ」

「はい」


 短い別れの会話を終えると、少女は風を纏って駆け出した。

 後ろを振り返ることは無い。

 ただただ前を向いて————

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