8話



「結局杏子からの連絡は無しか・・・・・・」


 スマートフォンの電源を切るとそれをポケットにしまうと自動改札機に定期券を押し当てた。金属の無機質な表情が今日はいつもよりも強く思える。

 いつもだったら隣で杏子が五月蠅うるさいぐらいに話しかけてくるのをうとましく思うのだが、それに慣れてしまったせいか何だか少し物足りない感じがする。

 俺は今、一人で登校をしている最中だった。

 というのも、いつもだったら登校時間に関して何らかの手段を使って連絡をしてくるはずの杏子が、メールすらもしてこなかったからだ。

 一応登校時間ぎりぎりまで玄関で待ってはいたのだが、遂に家に来ることも無かった。

 どちらにしろ学校には行くつもりだったし後でなんだかんだ言われるのも嫌なので、とりあえず家は出たものの何となく気になってしょうがない。

 丁度来たところだった電車に急いで乗り込みを見回すと、そこそこ混んでいるようで席は一つも空いていなかった。


(今の時間帯だったらまだいい方か)


 ドア近くの鉄の棒に体をもたれさせると周りを見回す。

 さすが通勤時間と言ったところか。電車の中は殆どが学生や会社員で埋め尽くされている。

 すると、自分の向かい側の席に一人の外国人らしい女の子が座っているのが目に留まった。

 清流のように美しい銀髪に、透き通るような青色の瞳を持った少女は、周りのサラリーマンたちがひしめく中にとても浮いて見えた。

 何故今の時間帯に一人でこんな場所に居るのか少々疑問に思ったがあんまりじろじろと観察するのも通報されかねないので止めておく。

 それから二つの駅が過ぎるまではずっと外の様子を眺めて過ごした。

 そして三つ目の駅に近づいた時である。

 電車が次第に減速して行くのに従い降りる人たちが向かいのドアに向かって集まっていく。そして勢いが完全に途絶えると一斉にホームへと降りていった。少し時間が経ち、降りる人がまばらになったころ、先ほどまでいた少女が居ないことに気づいた。「集団に紛れて降りたんだろうか?」なんて思っていると椅子に落ちている小さな紙きれを発見した。よく目を凝らしてみて驚いた。それはなんと一枚の切符だったのだ! 落ちている場所から考えて恐らく少女が落としたものだろう。俺は急いで切符を拾うと閉まりかけたドアへダッシュ。ギリギリで隙間を通り抜けた。

 まだ遠くへ入っていないはずだと思い辺りを見回すと、案の定近くの改札へ向かおうとしている姿を見つけた。幸い銀髪がかなり目立って見えたので見失う事はなさそうだ。人の波を掻き分け進み、やっとのことで少女の目の前まで辿り着いた。

 

「これ、君のじゃない? 電車の中に落ちてたんだけど」


 俺は言ってから、相手が明らかにこの国の人では無い事を思い出してどこの言語を使えばよいかあたふたするが、どうやら言いたいことは伝わったらしい。

 少女は焦ったようにパーカーのポケットに手を入れると中を掻きまわし、しまいには裏返しにした。そうしてようやく自分が切符を落としたことに納得すると、嬉しそうに手を差し出し流暢りゅうちょうに、


「ありがとうございます!」

「これからは気を付けんだよ」

「はい!」


 少女はそう言い残すと、改札を走って通り抜ける。彼女の何度も笑顔で振り向いて走り去って行く姿を見ていたら、誰かの姿が重なって見えてきた。目を擦るとすぐにそれは消えたが、どこかでその面影を見たことがあるような気がしてならなかった。


(これは・・・・・・既視感デジャヴ?————いや、少し違う。既視感みたいなあやふやな感じじゃなくて、記憶回帰フラッシュバックに近い気がする)


「あのう・・・・・・何かお困りですか?」


駅員に後ろから声を掛けられハッと我に返ると、既に少女の姿は見えなくなっていた。

まだ胸の中に少しわだかまりを感じたが、今はそんな事考えている暇は無い。早く学校へ行かなくては。


「いえ・・・・・・大丈夫です。ってやっぱ大丈夫じゃないです。ここは何駅ですか?」

「はい? ここは蓮上はすがみ町ですけど・・・・・・」

「蓮上町って言うと評定高校前の3つ前の駅でしたっけ? だとすると授業までには向こうに着けますかね?」

「はい。今の時間帯だと通ってる電車も多いんで学校には間に合うと思いますよ」

「それじゃあ早いとこホームに戻らないとな・・・・・・」


 そういえばここは何処だ? この駅は一度も使ったことが無いため自分の現在地を完全に見失っている。

 ホームの方角を確認するために辺りを見回したその時、視界の端にちらっと見知った姿が映った。


「ホームならあっちの道を進めば着けますよ・・・・・って聞いてますか?」

 

 駅員が突如一点を見つめ動くなった悠を見て心配そうに言うが、その言葉は耳に入っていない。

 改札の向こう側で階段を上り今まさに駅から出ようとしているそいつは、何処までも真っすぐでサラサラな黒髪を吹き下ろされた風に靡かせて歩いている。

 その姿は遠くから見ても疑いようも無く遥世夏美だった。

 

(なんでアイツがここに居るんだ? 駅を間違えたのかどうか知らんが、呼び戻さないとな)


「すいません。少し予定を変更します」

「それは・・・・・・どういう事ですか?」


 駅員は疑問気に首を傾げる。

 

「さようなら!」

「え、ちょっと学校はどうするの!」


 人と人の狭い間を夏美が出て行った出口まで駆け抜ける。

 階段を抜けたその先は駅前のビル群のど真ん中だった。


(まだそんなに遠くまで行ってないはず・・・・・・)


 藁の山から針を探すような気持ちで辺りの人ごみを見回すが、余りに人が多いためにまったく捗らない。

 目線を少しでも上げるため、近くの待ち合わせ場所らしい奇妙なオブジェの土台部分に登る。

 周りを歩く人々が、睨むような眼差しをしている俺を避けて通っている様に見えるがそんなことは気にしない。

 その執念の捜索の結果、駅の大通りから一本抜けた小道に夏美が入っていくのが見えた。

 立っていた場所から飛び降りると、急いでその路地へ走る。


「おい! 待て夏美!」


 息を切らして駆け込んだ路地の上には静かな空気が漂っていた。

 街の喧騒に取り残されたような、日光が当たらず暗い路上には一、二人の歩行者がいるのみでとても寂しげであり、自分の息遣いが建物に反響する様な錯覚さえ覚えた。

 息を整え辺りを見回し夏美を捜すが、その姿は何処にも見当たらない。

 夏美がこの通りに入ってから、二十秒程しか経っていないのに既にこの路地に居ないという事はどういう事だろうか。走ったにしても路地は結構な長さがある事を考えると流石にあり 得ない。


「それにしても、アイツはなんでまたこんなところに来たんだ?」


 路傍に腰を下ろしこれからどうしたものかと思考を巡らせる。

 虱潰しらみつぶしに街を捜し回るのは面倒だし、かといって何か良い案があるわけでもない。登校時間はとうに過ぎていていたがここで引き下がる気も無かった。

 通りの陰鬱いんうつとした雰囲気を浴びたせいか、はたまた今の状況に嫌気が差したのか、気分が悪くなってきたように感じる。

 

「あーあ。杏子にどう説明すっかな」


 俺は一人天を仰いだ。


 

 

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