14話

 厳しい北風はしたたかに体を打ち付け、気分だけなら冬山の頂上と同じだ。

 学校の屋上に浮いた脚はそれに揺られ、危なっかしくブラブラしている。

 昨日はあんなに鮮明に見えた景色も、汚れたフィルターを通したようにくすんで見える。

 それは単に周りを包んでいる霧の所為ではないだろう。

 感情を表す心をブラックホールが囲っているようで、如何なる光も通り抜けることは出来ない。


「やっぱりここに居た、悠」


 半ば機械的に声を認識し脳へと送る。

 応答を形成すると並行して、相手の情報————誰なのか、何の用なのか、次に来る質問は何なのかを計算する。

 数秒もしないうちに答えは出た。


「昨日とは呼び方が違うな。あれは演技だったのか? 夏美」

「いいえ。あなたは昨日までの悠じゃない。それだけの事」

「それは敬意を払ってくれていると見るべきなのだろうか?」

「考えようによるんじゃない?」


 悠は振り返ることも無く、会話を続ける。

 夏美はフェンスの破れた隙間を通り、隣に立つ。


「随分と危険な場所に居るのね。警察だっているし離れた方が良いんじゃ無い?」

「大丈夫だよ。余計なお世話だ。警察にここは見えてないしな」


 足元で動き回る警察たちは、一度も姿を消すことは無い。濃紺の制服を着たその姿は蟻の様だ。

 事件発生後、すぐに校舎全体に立ち入り禁止の体制が敷かれ、どんな証拠も取り逃さないかの如く植木の中まで調べていたが、この屋上にだけは誰一人としてやって来ず、更には足を投げ出して堂々と座っている悠に気づくことすらなかった。

 夏美は身を乗り出して虚空を見つめる。

 よく見てみると、舞い散る木の葉がある一線を境に揺らめいている。

 まるでそこから別の映像に切り替わったかのようだ。


「成程ね。やっぱりこれぐらいの術はお手の物って感じか」

「昔世界を滅ぼすほどの魔術を扱っていたものでね」

「それにしては少し雑な気がするけど? あの辺りとか境目がかなり見やすくなってしまってるわよ?」


 ここで悠は初めて眼だけを動かし、夏美が指した指の方角を見る。

 確かにそこだけよく見ると、明らかに周りと映り方が違っている。

 そしてボリボリ後頭部を掻くと、


「しょうがないだろ。この体で使える魔力なんて高が知れてるしな。そもそも微妙な温度調節による屈折率の変換はかなり難しいんだぜ?」

「ここに警察が立ち入らないのはどんな魔法カラクリを使ってるの?」

「降りなければいけない緊急事態が発生する幻覚を起こしてただけだよ。何か別の事に意識を集中している時は魔力抵抗が弱まるからな」


 そういえば、さっき白衣を着た科学者がゴム毬のように階段を飛び降りていたな、と夏美は思い出す。


「————参考までにだけど、どんな幻覚を起こしたの?」

「いきなり屋上から大量のゴキ〇リが現れるっていう奴だけどどうかした?」

「・・・・・・いや。何でも」


 夏美は心の中で、これまでこの場所へ登ろうとした人に、一人合唱する。


「私には何でその術を掛けなかったのよ」

「別にお前ならここに来ても何ら迷惑しないし、何よりそっちの方に魔力使うのも面倒だったからな」


 つまり気分次第では私もゴ〇ブリ地獄に合う所だったのか・・・・・・

 自分が窮地に立たされていた事を知り、今更ながら背筋が冷たくなる。


「それで? お前が俺を捜しに来たのには何かの用事があったからだろう? 早いとこ話してくれないか」

「そう急がなくてもいいと思うけど————まぁ、いいか。一つ聞きたいことがあってね」

「大体予想はついてるが、どうぞ」

「簡単な話。悠、あなたは何者なの?」


 悠は軽く微笑を湛え、空を見上げる。

 そして今度は、首を軽く回し夏美と向き合った。


「詳しい事を話そうとすると、文字通り幾ら命があっても足りないから簡潔にまとめるぜ」

「————? 分かった」


 軽く前置きを挿むと一つ問いを投げかける。


「お前はこの世界がどんな構造をしているか考えたことがあるか?」

「えっと————それは大亀の上に巨象が乗っかってるみたいなことを聞いてる訳じゃないよね・・・・・・」

「いや、案外それは間違いでも無い。そもそも世界とは何ぞや? という問いに関する答えは無いからだ。無数の、それこそ綺羅星よりも多い世界線が幾つも重なりあってこの世界は出来ている。中にはお前がさっき言った世界も一つぐらいはあるだろう」

「ふむふむ成程」

「そして、そこに与えられるのが〝こん〟だ。魂は何度かの輪廻を繰り返し、やがては任意により消滅する。この世界の殆どの生物はこのシステムに生きている」

「————フムフム成程」

「基本的に魂は転生の度に〝〟を与えられ、基が機能しなくなると上界に戻され、別の世界線で新たな生を受ける」

「————成程」

「最終的には多い物でも十数回の転生で消滅の道を選ぶ。理由は簡単。誰だって何度も死にたくは無いからだな。」

「————————。」

「でも俺の場合は違った。切欠は最初の生を受けた時に色々あってだな————っておい聞いてるのか?」


 夏美は閉じかけていた瞼を持ち上げると慌てて首を振る。


「聞いてる、聞いて無い!」

「いやどっちだよ。授業の最中に生徒に寝られる先生の気持ちを少し思い出したぜ・・・・・・」

「だって話長いんだもん。大体そんな話いきなりされても頭に入ってこないっての!」


 しまいには逆切れを始める夏美に、あからさまに溜息をついた。


「ハァ・・・・・・こんな若者が増えて、これから日本はどうなっていってしまうのか・・・・・・」

「何言ってんのよ。というか日本って何? お菓子の名前か何か?」

「おっとスマン。色んな世界線の記憶がまだ整理しきれなくてな・・・・・・変なこと言ったら別の世界線での話だと思ってくれ」

「————とりあえず、ややこしいから三十文字以内でまとめて?」


 無茶振りを掛けられるも、夏美の言う事はあながち間違いでは無いと感じ、素直に指を折って数え始める。

 暫くしてようやく納得したように頷くと、


「〝千回せんかい人生じんせい技術ぎじゅつけたけど廃人はいじんになった〟これで三十文字ぴったりだろ」

「中々律儀にまとめたね————その話にわかには信じがたいけども、あれを見せられると嘘とも言えないか・・・・・・」

「なんだ、お前あん時一緒に居たのか? それなら話は早いだろうな」


 人間の寿命など数十年程度なもの。その間に魔術に武術、その他諸々をマスターすることは、先天性の恩恵が無ければまずあり得ない。

 ————だがあの時見た悠の動きは、修行による無駄を極力減らした、武術の極致といえるものだと分かった。

 それだけでは無い。前提の魔法陣一つ出さずに霹靂という高位の自然現象を生み出す事だって、凡庸な人間なら一生かかっても成しえない。

 それらからかんがみるに、彼が幾星霜の転生を繰り返しているという話は事実なのだろう。


「そうはいっても実際世界線の差によって寿命が多少伸び縮みするから、長い寿命で魔術の修行してればおのずと腕は良くなるもんだ」

「完全に理解したとは言えないけども、大体イメージできたかな————でもそうすると一つ気になることがあるのよね・・・・・・」

「————? 答えるに値する質問なら答えてやるぜ」

「・・・・・・。その気になる上から目線はとりあえず置いといて、私が言いたいのは、今の今まで忘れていた前世の記憶が何で蘇ったのかという事」


 今までの悠の人生では、前世の記憶が蘇る事など、一度も無かった。

 それはこの世界の大きな理の一つであり、不動の事実であったのだろう。

 そんな重大なものを曲げてしまったのには、それに対応する重大な〝何か〟があるのは間違いない。


「それに関しては俺も考えてみた」

「それで何か分かったの?」

「考えられる可能性は一つ。余りにも酷似した二人の死。これに限る」


 悠は不自然に盛り上がった岩の先を見つめる。

 彼女の死体は既に警察が持って行ったため、その場所にはどす黒い血の跡が残るのみだ。

 ————そう杏子の死に方は遥か昔、少年ゆうが探し物を始めたあの時と見間違う程似通っていた。

 彼女の場合は事故死で、杏子の場合は殺されたという差はあるが、幼馴染だったという点や、岩に体を貫かれての死亡、体格に髪の色や長さ大体の状況が一致している。


「でもそれぐらいなら、それなりに有りえる事なんじゃない? それだったらそこらを歩いている人の中にも、前世の記憶を持ってる人がいるかもしれないと思うけど」

「確かにそれだけだったら記憶が戻る確率はそこまで低くない。ここから先は、憶測の域を出ないんだが、どうやら何度も転生を繰り返すと魂が磨り減ってしまうらしい。少しぐらいの摩耗なら何ら問題は無いんだが、塵も積もれば山となる。それを積み重ねると影響が表面上にまで顕著に現れてくる」

「何回もコンテニューを繰り返すと、最大体力が減るゲームみたいね」


 その例えで、素晴らしい神秘が、ありがちな安いゲームカセットに変わったように感じて、学者でもあった悠は頬を引き攣らせる。

 そんな様子に気づかない夏美は一人頷いていた。


「・・・・・・。その最大体力が減った状態で、前世の強い衝撃を受けたものと酷似した状況が作り出されたらどうなる? 答えは簡単。許容を超えた魂がエラーを起こして、記憶を隠し続けることが出来なくなる訳だ」


 実際に事はもっと複雑なものが絡んでいるのだろうが、状況から推理される大まかな答えはこれだ。

 エラーを起こした魂が、もしかしたら記憶の制御以外にも何かを引き起こしている可能性はあるが、今のところ何も起きていないのは僥倖と言えるだろう。


「さてと、今度は俺の方がお前に質問する番だ」

「そういうと思った。答えられるものだったら答えてあげる」

「聞きたいことは俺も大体同じだ。夏美、いやお前らインファーナルは何を企んでる」


 その言葉に、さっきまで冗談交じりに話していた夏美の顔が引き締まる。

 周りを見渡し、誰も居ないことを確認すると口を開いた。


「まず最初に知ってもらいたいのは、私————いや、私たち改革者イノベイター反逆者レジスタンス達とは別物だという事」

「ほう。それは知らなかったな。てっきり俺はインファーナルたちが総出で人間を潰しにかかってきたのかと思ってたぜ」

「ところで、私がインファーナルだと何時から知ってたの?」

「襲撃を知っていたかのように学校からいなくなった事とか、インファーナルの奴らがお前の知り合いだったことを知った時点で何かしら関わってるなとは思ってたが、確信したのはついさっきだ」

「————どういう事? 私何かやらかした?」

「いや何も。でも考えてみな。下手すりゃ一発で首が飛ぶことを知ってて〝なんでお前は逃げ場のないフェンスの外に出て来たんだ?〟」


 さっき夏美は悠とバルチアスの戦闘を見ていたかのような口の利き方をしていた。

 それならば目的が何にせよ、何時でもすぐに逃げ出すことができるよう、塔屋の近くで距離をとるのが普通である。

 ————だが夏美は屋上の中で一番逃げずらく、悠の近くであるフェンスの外側へ出てきた。

 わざとこの行動を起こしたとするならば、それには理由があるはずだ。それは同時にその理由から相手の手札を読み取る事が出来るともいえる。


「これまた俺の推測————いや推理なんだが、お前は空を飛ぶ、もしくは滑空に近いことができるだろ?」


 夏美はピシッと額を打つ。

 それは推理が図星であることを示していた。


「なるほど・・・・・・相手によっちゃ、ちょっとした動作でも手の内を晒すことになってしまうのか・・・・・・いい勉強になりました」

「相手との駆け引きは、口上だけで行われている訳では無いって事だ。最も、呼吸の仕方まで気をつけろと言われても難しい事ではあるがな」


 暫くじっと考え込む夏美だったが、吹き抜ける冷たい風に身を震わせると姿勢を正す。


「少し話が脱線した。体も冷えちゃうし話を戻すよ」


 そして瞳を閉じて俯く。


「悠。あなたに改革者に付いて、反逆者達を倒して欲しい」

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