ネーム

ジャングルジム





15.


 インターフォンを押すと、「はい」というか細い声が応答し、僕は自分の名前とクラスを伝えて扉が開くのを待った。廊下の壁はひび割れて汚れていた。天井の隅に蜘蛛の巣が張っている。下を覗くと、公園が見えた。四人の子供がジャングルジムで遊んでいた。

 いくらか待って、こちら側に開いた扉の隙間から老婆が顔を出した。頬がげっそりと細く、肌は青白かった。髪は真っ白だ。絵本に出てくる山姥に似ていた。

「なんですかっ」

 老婆は僕に警戒しているようだった。

「こちらは雛菊さんのお宅ですよね?」僕は慎重に尋ねる。

「そうですけれども、あの子のお友達か何かでしょうか」

 その質問に、僕はどう答えればいいのか分からなかった。はい、と控えめに下を向く。

 僕は、雛菊と、どういう関係なんだろう。

 足元を見ると、ヒールの高い女物の靴があった。通学靴はなかった。

「冷さんはどこに行かれたんですか?」

「分かりません。あの子はもうずうっとこちらへは帰っていません」

 部屋の中から、すえた線香の匂いがする。

「どこか心当たりはありませんか?」

 大きな声を出したので、老婆は驚いたようだった。扉を閉めようとする。

「分かりません。あの子のことは、よう分かりません」

 奥の方からキュウウと汽笛みたいな音が聞こえた。やかんの湯が煮えたのだと思う。

「彼女と二人で暮らしているんですか?」

 僕は質問を変えた。さっきから質問ばかりだ。老婆はますます怪訝な顔をして睨む。

「そうですけど、 それが何か」

「ご両親は、いらっしゃらないのですか?」

 僕はまた質問をする。

「なんでそんなことをあなたに教えないといけないのですか」

 確かにそうだ。

 彼女は家に帰っていない。

 捜索願を出したかと尋ねると、老婆は「よくあることですから」と言って、乱暴に扉を閉めた。

 あの表情は、嘘だと思えなかった。

 僕は、急いで団地から飛び出した。錆びたブランコに少年が一人で座って携帯ゲームをしている。

 僕も小さい頃は、ゲームばかりやっている子供だった。友達がいなかったので、一人でやれるRPGが多かった。役割を演じて、襲ってくる化物を倒す勇者。化物は無限に出現するし、仲間は何度でも蘇る。

 でも、僕には魔法が使えない。

 剣も、力もないのだ。

 そんな情けない言葉を口の中に蓄えて、僕は空を見上げた。

 まだ、雨は降り出さない。

 その時、僕はあのビルへ行かなければならない、と強く感じていた。

 僕には役割がある。

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