スカイブルー




7.


 翌日。僕は、雛菊と話せなかった。

 授業が終わって帰る準備をしていた。僕と雛菊の席は近い。手を伸ばせば届く距離。以前、ニュースで見かけた人工衛星の一片がそのくらいの長さだった。でも話せなかった。

 担任が急かしたので、他の生徒たちと一緒に慌てて教室を出た。

 紳士傘を持って保健室へ向かう。

 空は晴れ渡り、油彩の色をしている。

 こんな日に、傘を持っているのは変だ。

「失礼します」僕は保健室の扉を開いて、声をかける。

 サッカー部の生徒たちが、顧問に追い立てられて背後を走っていった。

「いらっしゃいますか?」

 僕は、扉をめいっぱい開き、体を室内へ滑りこませる。奥の机には誰も座っていなかった。外の光が、薄いカーテンをスクリーンのように浮かび上がらせている。三つあるベッドのうち、窓際のカーテンが閉まっていた。ここへ来るときは、必ず僕はあのベッドを使う。

 胸騒ぎ。足音を立てないように注意をする。そっとカーテンを開くと、そこには誰もいなかった。皺のないシーツが敷かれてあるだけだ。僕は何を期待していたのだろう。雛菊が寝ているとでも思ったのだろうか。今まで、一度も彼女を保健室で見たことはない。

 背後で扉を開ける音がした。僕は驚いて、持っていた傘を落とす。

「おい、花菱。なにしてるんだ!」野太い声に名前を呼ばれる。

「昨日、河瀬先生に傘をお借りしたので返しにきました」

 立っていたのは、生活指導の教師だった。角張った顔で熊のような体をしている。右手に竹刀を持っていた。あれで床をよく叩く。

「ああ、そういうことか。河瀬先生、 亡くなったぞ」

「え」

 僕は、教師が何を言っているのか分からなかった。せっかく拾った傘を取りこぼす。

「どうやら、雨の中を、高速で飛ばして、事故したらしい。無茶だな、まったく。酒でも飲んでいたのかねぇ」

 教師は、虫でも噛みつぶすような顔で話す。

「事故で亡くなった? 昨日?」

 僕は、足下に落ちた傘をそのままにして、教師に詰め寄る。

「明日、正式に放送入ると思うぞ。まあ、気の毒だが、仕方ないな。お前も気を付けろよ」

 そう言って、彼は顔を引っ込めた。間もなく、「廊下を走るな」という大声が響く。

 一体。

 何に気をつければいいのだろう。

 そもそも、保健医は車でどこへ行くつもりだったのか。

 雨は、それほど酷かっただろうか。

 背中に太陽の光が当たって熱い。

 傘を拾わなければ、と思う。

 約束が叶わない。

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