ブラックボード
3.
桜は一度の雨であっけなく散った。
僕は彼女を見ていた。
窓際に座る横顔は、鼻筋が丸く、黒髪が重力に従って斜めに落ちている。うなじにほくろが一つ。制服の襟は水色で、白いラインが二本入っている。紺色のスカートは、後ろの方に皺が寄っていた。白い靴下はふくらはぎの真ん中くらいで、左右ともにそろっている。
教室には、鳥が羽をすり合わせるような音が鳴っていた。馴染みのないクラスメイトは、教師の唱える解説をありがたい経典のようにノートへ書き写す作業に没頭していた。誰も何も話さない。しんと静まって張り詰めている。
教師の口が開くたびに、生徒の頭も動く。まるでそういうおもちゃのようだった。教室の黒板には等号で結ばれた数式が並んでいた。
何もかもが退屈だった。
きっと、皆も退屈だっただろう。
変化のない毎日。
何に使うかもよく分からない公式。
どうして人生の中で一番元気な時に、こんなに座っていないといけないんだろうか?
いつまでこんなふうに。
雛菊もずっと何かを書いていた。でも、黒板の方は全然見ていなかった。細い指先がシャープペンシルを握っている。
何を書いているんだろう。
ためしに僕は自分の消しゴムを落としてみた。人差し指で弾き飛ばしたのだ。消しゴムは彼女の椅子に当たって、軽い音を立てた。誰も振り返らなかった。
小さな消しゴムは床の上。そのとき、彼女の足がわずかに動いた。消しゴムは白いシューズに踏まれて見えなくなった。
僕は妙な緊張を覚えながら、ノートの誤字を直すことなく数学を終えた。
放課後、誰もいなくなった教室で、僕は彼女に踏まれた消しゴムを回収した。掃除で隅に追いやられ、表面が黒くなっていた。
西日が差す教室で、僕は、机の間を泳ぐように渡って目的地へ向かった。前から三番目。席へ着くと、すとんと座る。僕はどうしても彼女の席に座ってみたかった。彼女の目でものを見たかった。
日付と当番だけが書かれた黒板、その上には丸時計、雑多な掲示物が並び、廊下側には曇りガラス。
当然、僕の席から見る景色と何も変わらない。ただ、ここからは中庭が見えた。管理が行き届いていない雑草だらけの池がある。黒く濁った水面に木の葉が浮かび、はびこる枝木は校舎の壁に模様を作る。
棟を繋ぐ連絡路に人の影が通る。空に浮かぶ雲は、端の方だけが紫色で、破裂しそうなほど膨らんでいた。
僕は、窓から目を離すと、机に置かれた自分の両手を見る。筋張って骨の際が目立ってゴツゴツとしていた。彼女の指を思い出す。放射状に伸びる細長い指。まるでなにかを掴み取ろうとするように。
その時、僕は机の表面に目をとめた。
何かが描かれている。
手をどけてみると、魚の絵があった。
手の平よりもずっと小さく、木目に紛れてわかりにくい。
それは、二匹の魚が螺旋を描いている絵だった。口と尻尾が重なっている。
不思議な絵だ。
まるでお互いを食べているようにも見えた。
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