青い目をした魚

yuurika

カラフル

グリーンカーテン




1.


「カタカナは安っぽいよね」

 舞台の上でひとりの少年がつぶやいた。

 馴れ馴れしい話し方で、声は少し高い。彼は、黒いシャツと黒いズボンを履いて、髪は白かった。

「どう?」

 すると、突然僕の周りで大きな拍手がまき起こり、あっという間にホールが埋め尽くされる。パラパラと銃声に似た音は、壁を伝い上がり天井へたどりつくと、観客の頭上から降り注ぎ、すっぽりと爪先まで包み込む。

 まるで水の中にいるように、くぐもった膜に包囲される。

 いや、違う。

 拍手ではない。

 雨だ、雨が降っている。

 雨が、道にぶつかる音だ。

 雨が、屋根に、木に、桟に、扉に当たる音。

 何度も何度も打ち付ける音。

 雨の音が聞こえる。

 でも、雨以外はまっさらな静寂。

 僕の耳から入る音は、まだ何の意味も持たない。

 ゆっくりと目を開けたまま、大きく息を吸う。

 こうやって無防備に暗闇へ放り出されるのは、水面から顔を出したときと同じくらい自由で、不安定で、布団にかかる背中の重みと爪先の痛みで、やっと自分の体の形を思い出す。

 水の中では、手足をばたつかせれば光のある方へ泳いで行けた。でも、床の上ではそうもいかない。身体は重力に抑え付けられ、動きは制限される。

 潰れるにはあまりにも硬すぎる身体で、立っているか倒れるかを、僕らはいつも自分で決めなければならない。

 だって、斜めには暮らせないだろう?

 そう、嫌な記憶ほどしつこく主張をする。

 思い出せ、思い出せと騒ぐのだ。

 自分が何者で、どこに所属するどんな立場の人間で、また、今までどんな失敗をして、他人からどのように扱われてきたか、そうして、これからどうなるのか、そういった僕を取り囲む情報が一気に思い出される。

 何もかもいらないものだ。

 カーテンの隙間から入る光は緑色で、天井の木目はよく見えない。壁の前に鎮座した家具が峰を描き、扉の下から廊下の明かりが入ってくる。

 僕はまとわりつく布団を足で引き剥がし、暑苦しさから抜け出した。折り曲げた膝の裏にたっぷりと汗をかいていた。ベタベタと気持ちが悪い。

 首を曲げると、目覚まし時計は四時を指していた。

 僕はいつも時間を気にして生きている。

 風呂と寝るとき以外はいつだって、僕の腕には父から貰った時計が付いていて文字盤を覗いている。今は何時だ、と確認することで安心する。僕の姿は曖昧で不確かで、水面に映る像みたいにぶれている。わずかな衝撃で、落としたケータイ画面のようにヒビ割れる。

「カタカナは安っぽいよね」

 少年は舞台の上で、そう言った。

 どういう意味だろう?

 カタカナといえば。

 スーパー、ゴールデン、ハイパーなど、確かに安っぽい単語が思い浮かんだ。

 ウルトラマン?

 こうしている間にも、秒針はせわしなく一周し、もうすぐ新聞配達のスクーターの音が聞こえてくるだろう。

 バッドエンド。

 ここが、水の中でなければ。

 僕はどこまでも泳いで行ける。

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