ダークブルー






13.


 季節は十月に入った。地獄のような気分で、頭痛と、吐き気を抑えつつ、学校へ行った。肩に掛けた鞄が重い。白く輝く太陽は、陽気に川の水面を照らしていた。堤防の縁にゴミが溜まり、魚の腐ったような臭いが漂っていた。車が何台も横を通っていく。頭に降り注ぐ日光が、体力を奪い、酒に酔ったようにクラクラした。真っ直ぐ歩こうとしても、すぐにそれてしまう。何度か自転車に轢かれそうになった。

 赤色の橋を渡ると、海運会社の倉庫が建ち並び、その向こうに校舎が見える。運動場が広く、木々が生い茂っていた。ネットに覆われた敷地は、鳥籠みたいだ。

 校門をくぐり、池の横を通り、昇降口へ入ったところで、靴を履き替え、二手に分かれる廊下を右折して階段を登っていく。池は相変わらず、どす黒かった。周りの雑草は増えていたように思う。あまり、管理されていないのだろうか。

 階段を上り切ると、一つ先が僕のクラスだ。廊下には二段のロッカーが並び、体操着や上履きが乱雑に転がっている。僕は、廊下の真ん中に貼られた黄色いテープの上を歩いていく。途中、通り過ぎた文系のクラスでは、生徒たちが席という概念を忘れたように散らばっていた。

 自分の教室の前に立ち、呼吸を整える。公立の高校に空冷装置などがないため、磨りガラスは全開にされている。教室の様子は、隣のクラスと違って、各々の生徒が大人しく席に着いていた。僕は、立ち止まって彼女の姿を探す。似たような髪型の女子は何人もいた。

 でも、雛菊冷はどこにもいなかった。

 教室に足を踏み入れ、素知らぬ顔で黒板の前を歩く。生徒の顔は見たくなかった。毎日、自分を見つめる視線に晒されるのは、どんな気持ちなんだろう。

 教師にだけは絶対になりたくないし、なれないと思う。

 間延びしたチャイムが鳴った。廊下側の後ろから二番目と、教室の丁度真ん中だ。自分の席がどこになったのか、誰かに尋ねれば済むのだけれど、僕は、二分の一の確率に掛けて、教室の真ん中の席に着いた。

「花菱、お前、ずっとなにやってたんだよ」と、前の席の男子が振り返る。肌が茶色に焼けていて、頭は丸坊主になっていた。海が似合いそうな顔だった。

「寝てた」僕は手に顎を付いて答える。

「なんだそれ。教師が無茶苦茶に怒っていたぞ」

 社会科担当の教師は、背がとても高く、顔立ちの整った男性だ。声が低いので、普通に話をしていても、脅されているような気分になる。女子にはとても人気があるようだった。

「今日って、なんの授業があるの?」僕は、彼に尋ねる。「よく分からないから、教科書を全部持ってきたよ」

 重い鞄を床に下ろして、中から馬鹿のように大量の教科書をつまみ出した。少し前の僕には考えられないようないい加減さだ。

「はあ? メールしてくれれば良かったのに。英語と古典と数学と体育と科学だよ」

「ああ、体育があるんだ。帰ろうかな」

「人数が足りなくなるから、出ろよ」眉を顰められる。

「中なの? 外なの?」競技がなんであれ、運動場に出るのは気が引けた。あんな、太陽光の下で走り回るなんて、気が狂っているとしか考えられない。

「バレーボールだから、中だよ」

「ああ、考えてみる」

「単位足りるのか、お前?」

 僕は肩をすくめて、黒板の横に掲示された時間割表を見る。今日は、水曜日。

「英語が一時間目なんだね。予習していない」

 英語の教師は、権力を行使したがる人間で、生徒を立たせて叱責するのを楽しみにしているようだった。四月の始めに、予習を忘れた女子生徒を一時間なじり、泣き出した彼女を廊下に追い出した。父母会で問題にならなかったのは、彼の受け持つクラスが、軒並み平均点が高いからだろう。

 高校にもなると、親御たちは子供の人権よりも、成績に目を輝かせるようだ。僕はため息を吐き、一学期の内容で止まった英語のノートを開いた。今からできる予習の量など高が知れている。立たされる覚悟をした方が簡単そうだ。貰ったオレンジ色のノートを開く。

 教室の入り口から、頭を下げて担任が入ってくる。彼は手に出席簿を持っており、教壇の前に立つと、一礼をした。生徒たちの名前を読み上げていく。

「ああ、花菱」

「はい」

 名前を呼ばれたので返事をする。真っ正面に教師の顔が見える。

「そこ、雛菊の席だぞ」

 前の席に座る男子が、振り返ってにやけていた。

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