マンボウ






22.


 ドームの手前で入場券を買った。僕がお金を払おうとしたら、雛菊がとても嫌そうな顔をしたので、それぞれ自分の分を購入した。

「自分のものは自分で買うよ」と彼女は言う。

 入口を通るとき、半券にスタンプを押 された。職員は派手なオレンジ色の制服を着ていた。帽子はバスガイドみたいだ。

「花菱くん、見て! すごいよ!」

 彼女は、中へ入ると声を上げて走り出した。僕は、案内所に置かれた館内地図を一つ持って後を追う。僕はいつも知らない場所へ来ると真っ先に地図だとか、説明書だとかを貰うようにしている。そうしないと不安になる。あらかじめ知識を持たなければ身動きが取れない。

「すごい! きれい!」

 目の前に広がるのは、青い大きな塊だった。天空から降り注ぐ光が、いくつも円を描き、床を輝かせている。人よりも大きなガラスの向こうに、揺れ動く影。真っ白なそれは、まるで宇宙船のようだった。尻尾を振って、泳いでいる。頭が丸く、背びれなどはない。室内は薄暗く、水槽 の中がまぶしい。そう見えるように計算されているのだろう。

「ベルーガっていう名前みたいだよ」僕は飛び跳ねている雛菊に言った。

「ジュゴンじゃないの?」彼女はガラスに両手をついている。頬に光が当たって、目が青い。

「ジュゴンじゃないよ。カナダにいるんだって」

「ふうん、なんか、頭が出っ張ってるね。肌がツルツルしてる」触ってもいないのに彼女はそんな感想を述べた。

僕らは奥へ向かい、二階に上がった。そこには日本の魚と謳って大量のニシンが泳いでいた。人が近寄ると群れが散らばり、また端の方で一つの塊になる。水色の水槽に白い光が降り注ぎ、壁と床の継ぎ目に藻が着いている。雛菊は、柵の手前で水槽に手を触れていた。

「花菱くん。あれ、マンボウじゃない?」

彼女が声を上げて僕の服を引っ張ったので指の先を追うと、水の底に不気味な影がふよふよと浮かんでいた。空気が抜けた風船のようなもの。色は灰色に近く、見た目にも皮が厚い。影は床から二センチほど浮かびながら何度もジャンプしている。ほとんど床と並行になりながら。

「元気がないね」雛菊は悲しそうに言った。

「浅瀬まで上がってきたのを保護したのかもしれない。だからもうかなり弱っている」

「死んじゃうの?」

「間違いなく死ぬけれど、すぐかどうかは分からない」

雛菊は水槽のガラスに顔を押し付けて覗いている。

「死んじゃうのかな」

光を受けた彼女の頬は深海の生き物のように淡く輝いていた。

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青い目をした魚 yuurika @katokato

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