SectionⅡ【Ⅱ+Ⅴ】

【謎の書】


 図書室は奥に目を凝らしても、壁が見えないほど広く、人の気配は感じられない。わざわざ6階まで来て本を読もうという者はあまり居ないのだろう。ほこりと古い羊皮紙の匂い。ギシギシと軋む床。柔らかで妙に落ち着く照明。半分は書庫のようになっている寂しげなこの部屋を、僕は割と気に入った。昔から本を読むのが好きで、5歳になる頃には5千冊の本を読み終えていた僕は、見たことの無い本の山を前に、興奮を抑えられなかった。

 別段、本を読む行為自体はそう好きなわけではないが、見識を広げるという意味で自分の武器となり得る書物が好きだった。


「しかし、すごい数だな。」


 本棚は何段あるのか分からないほどの高さがあり、その中にもびっしり本が詰まっている。それも一つや二つではなく、四方八方を囲うように設置され、くわえて、部屋のいたるところにふわふわと小さな本棚が浮遊し漂っていた。階段も収納式になっており、本が並べられている。本の言語や大きさ、種類も多岐にわたり、それぞれ整理もされず不規則に保管されていた。

 フェアリー種の本は小さく、開いても手のひらに収まる大きさで、字も小さすぎて読めそうに無い。辛うじて読み取ることが出来たのはフェアリーの体内構造を記した図のみ。解剖学の類の本なのだろう。デーモン種の本は癖が強く、単純に大きい物や、見る角度によって内容が一変するものなど、面白い本が多かった。

 僕は時間を忘れ、個性的な本の数々に心をときめかせながら読み漁った。


 数時間が経ち、そろそろ自室に戻ろうか、ここに移住しようか迷っていた時、ふと隣の本棚が目に付いた。そこには人が座れるほどの大きさの、手書きと思われる本が収められている。その表紙を飾っている文字はシムに教わったどの言語にも当てはまらなかった。


「……何の言語だ、これは。」


 手に取ってみると、今までの本とは違い、手にまとわり付くような埃っぽさが無い。大きく重い表紙を捲り中を見てみると、紙に所々染みがあり、ページによってインクの色が変わっている。一番新しいページには、錆のない金属製の栞が挟んである。

 もしかするとつい最近まで誰かが執筆していたのかもしれない。それも長い年月をかけて。

 だが、今まで見てきたどの言語にも分類されないそれらの文字は、すぐに解読することが出来そうにない。

 それが僕の好奇心に火をつけた。一体何について書かれているのか。図が付いている所から見るに、何かの研究書か、はたまた観察記録か。考えただけでも胸が高鳴る。

 以前、研究所で研究に必要な資料を読み解くために、未解読言語の解析をしたことがある。その経験を元に、僕はその本に使われている謎言語の解読を始め、睡眠も忘れて一晩を図書館で過ごしたのだった。


「…一応、これで字素目録が完成か。」


 この言語は各語が分離記号などで区切られておらず句読点もないため、一語の長さが分かりにくかったが、幸いにも段落で文が纏められていた。

 また、段落の最後に出てきた字素が文中で頻繁に出てくることから昔東洋で使われていた言語に属するものではないかと推定すると、母音と子音をある程度特定することが出来た。

 早速、推定した綴字法と字素目録に当てはめて解読しようとした間際に、背後から突然聞きなれた声が聞こえた。


「やはりここに居たか。」


「…ハイドロさん。」


 後ろに居たのは少し髪の乱れたハイドロだった。


「まったく、定刻になってもお前が来ないとテモーが騒いでいたぞ。早く訓練場に行くことだな。」


 聞くに、ハイドロはテモーが煩いので仕方なく僕を探しに来たようだった。僕はいつの間にか夜が明けていたことに気付き、喫驚する。


「もう、そんな時間ですか…。全く気が付かなかった。」


「……お前、まさかとは思うが、あれからずっと此処に入り浸っていたのか?」


「ええ、まあ…。」


 ハイドロは、顔を手で覆いながら深く溜息をつくと、諦めたように口を開いた。


「大方、本に没頭していたんだろうが食事と睡眠くらいはしっかりとれ。」


「はあ。…お気遣いありがとうございます。」


 いつも小言が多いハイドロだが、今回は一言で済ませ、「ほら、行くぞ。」と言って訓練場まで付き添ってくれた。解読が中途半端なままで不完全燃焼といったところだが、訓練が終わった後でもう一度ゆっくりと読み解くことにしよう。


「ここまで付き添って頂いてすみません。まあ、一人でも来ることは出来たと思いますが。」


「一言多くて可愛くないところは相変わらずだな。どうせ放っておくとまた5時間は動かなかっただろうが。」


「そんなことは。」


 僕の反論を遮り、いいから早く行けとハイドロが背中を押した。

 渋々訓練場へ足を踏み入れると、テモーがどこからともなく飛んできた。


「酷いじゃないかあー!僕ずうっと君を待ってたんだよお!監督を待たせるなんて感心しないなあ!」


 例のごとく鬱陶しいほどの気迫で身を乗り出してくるテモー。


 そのテモーから距離を置こうと仰け反る僕。


「はあ、すみません。時間が過ぎていたことに気付かずに。」


「まったくもう!仕方ない子だなあ。今回は許してあげるよ!今回だけだよ!」


 テモーは風船のように膨らませていた頬をしぼませて、梯子はしごを登りながら言葉を続けた。


「ほらほら!もう待ちくたびれたんだ!早速始めさせて貰うよ!う、ん、だ、め、し!」


 テモーが指さした先を見ると、昨日と同じ場所に「サプライズボックス」が置かれていた。


 途端に忘れていた恐怖を思い出す。昨日は運良く生き残ることが出来たが、死に瀕したのは確かだ。今日も何が出るのか分からない。その窺い知れない未来に背筋が冷える。

 しかし、ここで逃げては今までの努力も水泡に帰す。これまでと同じだ。己の命など、何度も掛けてきたじゃないか。そう自分に言い聞かせながら箱の蓋へと手をかける。


「ふー…。」


 呼吸を整え、震える手を無理やり律しながら蓋を開けた。


 途端に、甘い香りの生暖かい風が吹き、辺り一面に妙な果樹が生い茂る。


「……!?」


 一瞬の出来事に目を白黒させていると、テモーが興奮気味に叫んだ。


「うわぁ!これは面白いものを引いたねえ!異くん!」


「面白いもの……?一体何なんです、この妙な林は。」


「サテュリオンの果樹園さ。媚薬成分を豊富に含んだ果樹の群生地を見つけたことがあってね!」


「……は?何て?」


「だから、サテュリオンの……あ、もしかしてこういうのに耐性が無いタイプだったかな!?」


「むしろ耐性がある人が居るのか教えて欲しいくらいですが?」


 あらゆる不思議な現象や生物が出現するとは聞いていたが、まさかこんな如何わしいものをあの無邪気な顔で仕込んでいるとは。

 しかし、ある意味好都合だ。セイレーンよりも危険性は遥かに低いはず。こんな果樹園などあの「サプライズボックス」の蓋を閉めれば消え失せる上に、閉めることを阻むものも特には…。


 そう考えてサプライズボックスがあったはずの場所へ目をやると、そこにサプライズボックスは無かった。


「……あ"?」


「おや?おやおやあ?あろう事か、サプライズボックスが果樹に押しやられて行方不明になってしまったみたいだね!異くん、がんばって探し出すんだよ!ファイト!」


「……ふざけるのはその無駄に明るい性格だけにして下さい…。」


 やるせない怒りにわなわなと手が震わせながら、テモーの声がする方向を睨む。

 この妙な果樹園を歩き回るなど、嫌な予感しかしない。


「怖いなぁ!僕だって何が起きるか分からないんだから、仕方が無いだろう!まあ、異くんが遅刻したからあんまり時間はないけど、5時間もあれば見つかると思うよ!がんばってね!じゃあ、僕はお腹がすいたからご飯を食べてこようっと!」


「……冗談ですよね?」


 ブチッ


 音声が切れる音がして、テモーは返事を返さなくなった。

 こうして僕は妙な果樹園の中で妙な箱を探す羽目になったのだ。

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未知の者達 王水 @pinnsetto87653

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