SectionⅡ【Ⅱ】

【運命】


 布団が重い朝だ。とうとうこの日が来た。

 机の上に無造作に置かれた小さな袋、そしてその中に眠る一つの目。中々実感は湧いてこないが、僕は今夜、神の瞳と対面することとなる。

 そして待つのは生か死か、決して軽くはないその二択に、唇が震えるのだけは分かった。


 いやに美味い朝食を済ませたあと、ヴェロニカとイドラと3人で訓練室に向かった。


「どうだい異くん、その後の調子はさ。」


 道中、イドラが話をふってきた。


「ええ、すこぶる良いですよ。」


「へえ、頼もしいなあ…明日は約束の三日目だったっけ?その調子なら本当にクリアしちゃうかもねえ!ははっ、あはは、はっはっは!」


 …こいつ、絶対にありえないと思っているな。イドラはあからさまにふざけた笑いで僕を馬鹿にしていた。


 しかし、悔しいことに今の僕の実力では課題達成は不可能だということは認めざるを得ない。

 今日の訓練も例に漏れず、ヴェロニカ一人に翻弄されたまま終了した。


 ここでまた、僕はもう一つ心配事があったのを思い出す。まだ、イドラとの戦い方に見通しを持てていない。


 ヴェロニカの戦闘スタイルはあらかた把握出来たし、種族についても、その整った顔立ちと単純な思考、尋常ではない怪力を持つことから、奴隷として扱われることの多いゴーレム種と呼ばれる種族であることは予想できる。さえ手に入れれば、彼女の早い動きも見切り、絶え間ない攻撃もかいくぐることが出来るだろう。


 だが、この訓練の教官は「」だとイドラは言った。つまりイドラにもなにか役目はあり、試練として僕の前に立ちはだかる時は来るはずなのだ。


 実はイドラの種族については、イービルアイ種であることは予想がついている。ヴェロニカ…もといゴーレム種を首輪で隷属させている種族といえば、魔力に長けたフリューゲル種か、超視力をもつイービルアイ種が一般的だ。イドラはフリューゲル種のような翼を持っていないため、おそらくイービルアイ種だろうと言うことまではわかる。しかし、彼女の戦闘スタイルについてはまだ不明瞭だ。

 もし今夜、プロビデンスの目を手にしたとしても、警戒すべきだろう。


 そんなことを考えていると、いつの間にか夕時になっていた。時間が無い、早く医務室へ行き、輸血を済ませておかねば。


 プロビデンスの目の時計を自室から持ち出し、長い廊下を抜け、息を荒らげながら医務室のドアを開けると、輸血の準備がされたベッドに腰掛けているハイドロが振り向いた。


「何だ、遅かったな。あまり時間に余裕が無いぞ、急げ。」


「分かってます。」


 医務室の中へ入ると、ハイドロがベッドへと先導してくれた。


「もう殆ど準備は終わっている。お前はただじっとしていればいい。」


 ハイドロは手際よく残りの準備を済ませると、僕の血を抜き始めた。


「まず、輸血する分の血液量を抜かせてもらう。気分が悪くなったらすぐ教えろ。」


「…その血、どうするんですか。」


「研究材料にさせてもらう。当然の対価だろう。……しかし、まだそんな事を気にする余裕があるのか、呆れた精神力だな。」


 否。まだ実感ができていないだけだ。死刑囚が死刑執行直前になるまでは余裕そうな顔をしているのと同じだ。

 もしかすると今夜、僕は死ぬかもしれない。まだプロビデンスの目の謎が解けていない中、胸の奥から何かがせり上がるような感覚が少しずつ押し寄せる。

 いつのまにか腕に刺さっていた針から、管を通ってハイドロの血液が流れ込んでくるのを静かに見ていた。


 輸血が終わると、身体の調子はすこぶるよく、頭も冴えていた。そんな中、ハイドロがしかめっ面で僕に話しかける。


「よし、これで輸血は終わりだ。急げ、お前が遅れたから計画よりも少し時間が経っている。」


 見ると、プロビデンスの目の時計はもうじき三角形を描き終えようとしていた。


「これは、まずいですね。」


「悠長に言ってる場合か!巻き込まれて死ぬなんざごめんだぞ!早く隣の実験室に行け!」


 医務室の隣に実験室があるなんて知らなかったが、指さされたドアに向かい、中に入った。ビーカーやフラスコなどの、古い実験器具が無造作に並べられており、机や椅子もほこりをかぶっている。

 部屋の端についているスピーカーからハイドロの声が聞こえた。


「そこはもう使われてない実験室だ、壁も厚く、特殊な素材で遮光性にも優れている。監視カメラもあるんだが今回はカメラは切らせてもらう。お互いに音声だけは聞こえるようにしておく。特に大切な物などは置いていないから存分に暴れていいぞ。」


「光を相手にどう暴れろと言うんです。」


「相手は神器だぞ、何が起こるか分からん。とにかく私にしてやれるのはここまでだ。一応私はここにいるから、何かあったら叫べ。助けてやれるとは限らんが。」


「…相変わらず、ホットコーヒーのアフォガートみたいな人ですね。」


 机の上に置いてあったガラス製の大きなコーヒーメーカーをもちあげながら言った。

 ハイドロの「は?」という声が聞こえた瞬間だった。


「熱っ…!」


 プロビデンスの目の時計を持った左手に異常な熱さを感じて、思わず投げ落としてしまった。


 ゴトン


 重々しい音を立てた次の瞬間、それは眩く発光し始めた。


「ぐ、あ、ぁああっ!」


 あまりの眩しさに目が焼けるのが分かった。ハイドロの血液で急速に回復はしているものの、前は見えず、徐々に目の奥まで痛みと熱さが侵食してくるような気がした。


 間に合わない。


 これでは、ハイドロの血液をもってしても回復が間に合わない。顔が青ざめる。腕や机で光を遮ろうとも突き抜けてくる鋭い光。なんとかしなければ、この光の侵食が脳細胞に達するまであと何秒か、その間に何か考えなければ。一旦部屋を出るか、いや、このドアを開けたらどこまで光が広がるかわからない。ならどうする。焦る気持ちが思考を鈍らせていた。ハイドロが何か叫んでいるのが聞こえる。


「大丈夫か!?机か何かで遮れ!!」


「だめだ!そこいらの物で遮っても……さえぎる…?」


 僕は、このプロビデンスの目の時計について前から少し気がかりだったことがあった。この神器は砂漠で発見されたと言うが、あの遮る物がほとんどない砂漠でどうしてこんなものが?実際にこの光によって砂漠の一部が死体の海と化したという話もあった。なのに何故砂漠の原住民はこれを奉るなんてことが出来たんだ?そしてその原住民が言っていた「サティノータム」…「砂を絶やすな」という言葉にはどんな意味が?


 光、熱、遮る、砂………。







「………………ガラス…?」


 なるほど、分かった。

 僕の中で全てが繋がった。


「う、ぐああぁあああー!」


 僕は、熱さと光に耐えながら手に持っていたコーヒーメーカーを神器に被せた。


 その瞬間、目を焼いていた光は柔らかなあかりになり、ジリジリと焼けるような痛みが消えていき、視界は妙にクリアになっていった。


 その後、プロビデンスの目の時計が描いていた三角形とともに、光もフッと消え失せてしまった。


「…ハイドロさん、もう、開けて大丈夫ですよ。」


 疲労しきった声でハイドロに呼びかけると、すぐにドアが開いて、ハイドロが駆け寄ってきた。


「しっかりしろ!驚いた…まさか本当に生き延びるとは…、もうダメかと思っていたが…。」


 失礼なことを言いながらハイドロは僕をベッドに運んだ。


「酷い火傷だな、あの神器、炎でも出したのか?本当に、一体どうやって生き延びたんだお前は…。」


 信じられないといった様子でハイドロは火傷の応急処置をする。


「ガラスですよ。」


「ガラス?」


「ええ、ずっと気になってたんです。砂漠の原住民が三日に一度のペースで危険な光を放つこんな殺人神器を、どうやって奉っていたのか。」


「ふむ…」


 ハイドロはピンとこない顔で僕の方を見ている。無理もない、あの場に居合わせなければあの凄まじいのことも知り得ないのだから。


「あの神器が、尋常ではない光を放つことはお話したと思いますが、それだけの光を放てば、熱エネルギーも相当なものになるのは予想できるでしょう?そして原住民がくりかえしていた砂を絶やすなという言葉…、もうお分かりでしょう。」


「砂に超高熱を加えるとガラス化する…。原住民はそれのために砂を絶やすなと言っていたということか?」


「おそらくは。そして多分、この神器の出す光はガラスを通過することで変質するのではないかと思います。その変質した光こそが、神の目を恵むのだろうと。」


「なるほどな、それで神器にコーヒーメーカーなんぞを被せていたのか…気でも狂ったのかと………ん?待てよ。」


 応急処置を終えたハイドロが何かに気が付いたように僕の顔を見た。いや、厳密には僕のを見ていた。


「お、おまえ、……もう、その目は、かっ…神の目、なのか…?」


「ええ、まあ。」


「ちょっと見せてみろ!」


 ハイドロは両手で僕の顔を掴むと、強引に上を向けて固定した。


「ちょっ、もっと丁寧に扱ったらどうですか!」


「色素が変色して灰色になっている…瞳孔は健在。その周りに金色の三角形が…瞳の中で回って…いる!?」


「え」


 鏡を見ても、僕の瞳は確かにハイドロの言ったような瞳になっていた。変なエフェクトが付けられたようだが、視力に関しては非常に高くなった実感がある。

 ハイドロの一挙一動が良く見える。そればかりか集中するとゆっくりと動いているようにも見える。表情や目の動き、汗のかき方から心情を読み取ることもある程度可能だ。


 これならば、明日の訓練でヴェロニカをかいくぐることが出来るかもしれない。


 残る心配は、イドラとどう戦うかだ。


「まあ…なんだ、とにかく、成功して良かったじゃないか。今日はもう遅い。疲れただろうし、医務室に泊まっていけ。」


 一人でブツブツと考え事をしている僕に気を遣ったのか、ハイドロが布団をかけてくれた。


「…ありがとうございます。」


 体温で温まる布団に、生きている実感を感じながら僕は眠りについた。

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