SectionⅡ【Ⅱ+Ⅰ】

【悪魔の目】


「おい、そろそろ起きろ。」


 柑橘系の紅茶の香りと、食欲を掻き立てる朝食の匂いがする。ゆっくりと体を起こし、声のした方に目をやると、真っ白な壁を背にハイドロが立っていた。冴えざえとした空色の髪がさらりと肩から流れる。

 手には透き通ったガラスのティーカップ。

 机には二人分の朝食が並べてある。


「昨日は見事だったな。紅茶をいれたので冷めないうちに飲むといい。」


「おはようございます、わざわざすみません。…この朝食は?」


「私とお前の分の朝食だ。右手様のお気遣いでここまで運んで下さったらしい。」


 また右手様か。

 朝食のメニューを見ると、具材たっぷりの肉じゃがに白身魚の味噌汁、炊きたての白米にキュウリの浅漬けと、僕の好物まで把握しているようだ。一体どこからどうやって監視しているのか、はたまた逐一報告が成されているのか。どちらにせよ気遣いは有難いが、見たことも会ったこともない相手に管理されるというのは複雑なものだ。


「ほら、早く食べて訓練に向かわないと間に合わなくなるぞ。顔も洗って歯磨きもしろよ。」


「分かってますよ。貴方は僕の母親ですか?」


「お前のような性格異常者を育てた覚えはない。」


 他愛もない会話をしながら朝食を済ませた僕は、身支度を済ませて急いで訓練場へと向かった。

 廊下を歩いているうちにすれ違うUC達を観察してみると、普段なら気付かないUCの特性や細かな動き、心情、体調までをも見取ることができる。自分の視力が格段に上がっていることが分かった。

 これなら今日、ランクⅢの訓練を終えられるはずだ。そう意気込んでいると、横から突然怪訝そうに話しかける声がした。


「何を一人でニヤニヤしながら歩いているんです?」


 見ると、不細工な顔をしたヘイドがいた。


「…別に、ニヤニヤなんてしてませんよ。」


「嘘ですね。思い切り何かを企むように笑っていましたよ。しかもさっき僕の顔を見て何か失礼なことを思ったでしょう。」


 執拗に絡んでくるヘイドを適当にあしらい、訓練場に向かおうとすると、ヘイドが突然肩を掴んできた。振り向くと、いつもの薄ら笑いはなく、悪寒がするような四つの瞳孔を見開いたヘイドの顔があった。


「君…今生きているということは。」


「…ええ、残念ながら。」


 あれだけ殺そうとしていた僕が、プロビデンスの目を手に入れ、今も尚生きているなんてことを知ればどれほど悔しがることか。

 その様を拝むことが死の淵から這い上がった後の楽しみの一つだった。


「ふーん、……ふ、ふふ、おめでとうございます。」


「…は」


 ヘイドから発せられた言葉は意外なもので、僕は呆気に取られてしまった。


「なんです。素直に御祝いしているんですよ。」


「え、…ああ、…そうですか、ありがとうございます…。」


「腑に落ちないといった様子ですね、どうせ悔しがるとでも思っていたんでしょう。」


 変に勘のいいクソエルフだ。


「そんな失礼な事を思うわけないじゃないですか。」


「ふん、隠さなくても君が極めて失礼だということはもう周知の事実ですよ。まあ君も多少のしぶとさは持っているようですが、プロビデンスの目の時計あんなものはまだまだ序の口ですよ。今後君を殺す機会なんていくらでもあるし、わざわざ僕の手を汚さなくとも君が勝手に死ぬ可能性だって大いにありますから。」


「…だから、貴方が今悔しがる必要はないと。」


「ええ、その通りです。」


「相変わらず性格の良い人だ。…………でも大丈夫ですか。貴方さっきから、発汗と瞳孔の震えがひどいみたいだ。」


「…!」


「ポーカーフェイスが少し下手になったみたいですね、強がりさん。」


 清々しい捨て台詞をおいて、舌打ちするヘイドを尻目に訓練場へと歩を進めた。


 *


 訓練場にはいつものようにイドラとヴェロニカが待ち構えていた。


「遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ、いよいよ髪の毛の本数でも数えなきゃいけないかと思ってたところさ。」


「まだ定刻の5分前ですが、お待たせしてすみません。」


「言い訳から入るなんて一番嫌われ…おや、おやおやおや?」


 イドラが僕の変化に気付いたのか、僕の顔を覗き込みながら間合いを詰める。そのかたく閉じられた瞼からは然し、しっかりと視線を感じることが出来た。

 僕の瞳を確認するやいなや、イドラは盛大に吹き出した。


「あっはははは!?三日で終わらせるなんて妄言を吐くから一体どんな策があるのかと思っていたけれど、まさか君、そんなものを隠し持っていたとはね…く、あは…。」


「?」


 矢庭に爆笑するイドラを見て、何が起こったのか検討がつかない様子のヴェロニカ。


「『そんなもの』ということは、やはりご存知でしたか。」


 プロビデンスの目の時計は比較的有名な神器だと聞いた。直ぐに気付かれることは想定していたので特に問題は無いが、この大袈裟なイドラの反応に何か少し引っかかる。

 …いや、いつものことではあるのだが。


「ご存知も何も……いや、まあいいか、折角命懸けでそれを手に入れて来たんだろう?早速試してみようじゃないか。ヴェロニカ、相手をしてあげなよ。」


「…はい。」


 まだ状況が飲み込めないのか、少し不服そうに前へ出るヴェロニカ。まずはヴェロニカ一人を相手に試せということか、イドラはいつものように壁のそばへ腰を下ろした。


「では、よろしく、お願いします。」


「…お願いします。」


 いつものぎこちない挨拶を交わして訓練が始まった。

 直後、にわかに攻撃を浴びせられる。

 相も変わらずヴェロニカの攻撃は速く、適確で、その威力は凄まじい。もちろん真面にくらえば一溜りもないだろう。

 だが予想通り、見得る。

 ヴェロニカの動きが今までとは比にならないほど遅く感じた。これならヴェロニカの攻撃をかいくぐってリングの鍵まで辿り着ける。


「…」


 攻撃を躱し続ける僕に変化を感じたのか、ヴェロニカの目が一瞬細まった気がした。

 ヒュンッとこれまでに無いような小さな音がする。同時に、ヴェロニカの持つ鉄の棒が先程の数倍の速さで僕に迫ってきた。


「なっ、」


 ヴェロニカのスピードが上がった。しかも絶望的なことに、攻撃を躱すごとに上がり続けている。


「まだ速くなるのかっ…!化け物めっ」


「あー!可愛いレディに化け物なんて、不躾だなぁ、親の顔が見てみたいねえ。」


 必死に避けながら愚痴をこぼす僕に、イドラが横から野次を飛ばす。安い挑発だと分かっていても親のことを侮辱されるのは我慢ならない。


「ああ!?両親のことを悪く言うな!」


「おお怖ー!ヴェロニカ、まだ言い返す余裕があるみたいだよ!」


「くっ!」


 何時にも増して人の神経を逆撫でしてくるイドラに憤りを感じつつも、加速していくヴェロニカの攻撃にいよいよ身体の方がついていかなくなってきた。

 これ以上加速されるとまずい、見切ったところで対応出来ずに攻撃を食らってしまう。どうにかしてこのあたりで加速を食い止めなければ。


「………?妙だな。なーんか異くんの動きがおかしいぞ?」


 流石と言ったところか、見ていたイドラが僕の動きの変化に気付いたようだった。しかし遅い。既にヴェロニカは僕の誘導した通りにを数箇所殴っていた。


「!!ヴェロニカ!その壁に攻撃を当てるな!!」


 イドラがヴェロニカにむけて叫ぶが、ここまで加速している攻撃をそう咄嗟に止められはしない。僕が避けた攻撃は勢いよく壁にうちつけられた。

 その恐ろしい威力は壁にひびを入れ、先程から少しずつ刻まれていた傷を繋いでいく。


「あっちゃー、ヴェロニカのポンコツー!」


 イドラが声を上げると同時に、壁はがらがらと崩れ落ちていった。


「…何、なんですか。」


 ヴェロニカはまだ状況が把握出来ていない様子で顔を曇らせた。やはりゴーレム種、知能が低い。


「んもー!仕方ないから説明したげるけどさぁ!このまま順調に加速し続けてたら異くんに勝ち目は無かったんだけど、異くんの誘導で君が壁ぶっ壊して足場が悪くなったし狭いしで加速が難しくなっちゃったわけだよ!!わかる!?」


「…………………?」


「嘘だろヴェロニカぁ!」


 イドラの嘆きの声に哀れみを覚えつつも、加速の心配が無くなり、一旦胸を撫で下ろす。


「まったく、純真無垢な美少女をたぶらかすなんて、君も悪い男だねえ、異くん…。」


「一々人聞きの悪い言い方をしないで下さい。失敬な。」


「いやだなあ、事実だろう?仕方ないからそんな悪い男には、お姉さんがお仕置きしてあげるよ。」


 言いながら、イドラが気だるそうに立ち上がる。とうとうイドラと対峙する時が来た。イービルアイ種と予想はついているが、その視力や能力は個体によって異なる。双眼型の多くは超視力を持つようだが…。

 考えを巡らせているうちに、イドラがカツカツと音を立て近付いてくる。僕の目の前まで来て立ち止まり、金色に透ける髪をかきあげた。


「さあ、君の目神の目私の目悪魔の目、どちらが勝れているのか、試してみようじゃあないか。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る