SectionⅠ【Ⅰ+Ⅵ】


【成長】


いつもならばヘイドは僕を訓練場に入れると鍵を閉めて自分はどこかへ行ってしまうのだが、今回ばかりは違った。自分も含めてこの訓練場の中に納め、重い扉を両手でゆっくりと閉じていく。その後、左手に持った鍵を型にはめた。驚くほど粛然しゅくぜんとした時間だった。


ガチャリ


鍵の閉まる重々しい音が場内に響き渡る。僕はヘイドの背中を真摯しんしに見つめ、息を呑んだ。


「さぁ異君、訓練を始めましょう。」


彼のそのおごそかなる声が訓練の幕を開けた。


その直後、僕は腹に本日二度目の重い蹴撃を食らう。相変わらず、その蹴りに応じることは出来なかった。僕の身体はまるでクッションか何かのように蹴り上げられ、ヘイドのつむじが見える程の高さに至った。


「ぐっ…かはっ…」


自分の呻き声が遠く聞こえる。咽頭にこみ上げてきた熱いものを吐き出し、赤い色を見て初めて喀血かっけつだと認識する。


「あぁ、すみません。少し強すぎましたか?」


そう言いながらも一方の足はまた、僕の脇腹めがけて迫り勇んでいた。

辛うじて腕でそれを受け止めるも、威力が強すぎる。僕の腕はミシミシと音を立ててあらぬ方向へと曲がってしまった。


「ぐぁぁっ…!」


堪らず悲痛な声をあげ、腕をおさえる。火照るように熱を持った痛みが腕に残った。


「いけませんよ。僕の蹴りをまともに受け止めたところで、壊れてしまうのは目に見えているでしょう。」


ヘイドは楽しそうに言葉を弾ませ、攻撃の手を止めない。

『まともに受け止めてはいけない』つまり避けろというのか、…無茶だ。あの速さにいて行けるものか。

それならどうする、次の蹴りでは屹度きっと頭を狙ってくる。大人しくのを待つしかないのか。そんなことを考えている合間にもヘイドの攻撃はとめどなく打ち込まれ、僕の身体を壊さんと勇んだ。

その時ふと、以前ヘイドに追い込まれた時のことを思い起こした。あの時も丁度、今と同じように蹂躙じゅうりんされていた。まもなく僕は思い至り、右腿に手をやる。


そこには確かにがあった。


すかさずそれを鞘から抜き出し、次の攻撃が向かってくる先にあてがう。


ナイフが鋭い風を裂くと同時に、ヘイドははたと動きを止めた。次に、高く上げていた足を地につけ、姿勢をただした。

ナイフを構え息を荒げる僕を見詰め、やにわにゆっくりと手を叩く。ヘイドの手により潰された空気の音が、何重にも重なり反響しあう。その後、どこか気味の悪い微笑みを浮かべて、ヘイドは言葉を放った。


「正解です。」


「…正解?」


その意を問うため、僕は声を絞り出す。


「えぇ、正しい選択です。君のUCに対する唯一の武器…これから行うのは、そのナイフを使った戦闘術の訓練です。」


「…つまりは、そのことを伝えるためだけに僕は腕一本と内臓のいくつかを駄目にされたと…?」


たちまちに僕は声をかげらせた。ヘイドの非道な行いには大方慣れたように思っていたが、そもそも僕は猫額ほどの心しか持ち合わせていない。これには堪忍袋の緒を切らした。憤りに身体を震わせる僕に、ヘイドは宥めとも言えない声掛けをする。


「まあまあ、そう昂ぶらないで下さいよ、ハイドロさんに頼めばすぐ治るじゃありませんか。」


「御存知ありませんか…?僕達人間はというものがあるんですよ。」


「人間でもないがよく言うものです。」


成る程、やはり彼は火に油を注ぐのがうまいらしい。怒りに任せてヘイドに襲いかかる僕を、見兼ねたハイドロが止めに入った。おそらく何処からか監視していたのだろう。


「放せ!コイツだけはブチ殺す!」


「上等じゃないかかかってきたまえ!」


「あられもない言葉を吐くんじゃない、ヘイドも乗るな馬鹿!」


僕はハイドロ、ヘイドは数匹の他のUCに抑えられ、なんとかその場は納められた。



何度目かの医務室のベットは既に、僕にとって安らぎの場となりつつあった。僕の隣でハイドロが忙しなく処置に努めている。不意に、目の前に赤い液体の入った一升瓶を突き出された。


「…これは?」


「私の血液だ。お前が本格的な戦闘訓練に入った時のために、少しずつ採血して保存していたんだ。一々死に目にあうのは御免だからな。」


「ハイドロさん…」


「礼はいらん。さっさと飲…」


「気持ち悪いです。」


「お前いつか覚えてろよ。」


身を削って提供してくれたハイドロには悪いが、飲み慣れていると言っても、こう眼前に置かれると流石に気が引けた。「目をつぶって飲めば問題無いだろう」と半ば強引に血液を飲まされ、いつも通り体が治癒するまで安静にしておくようにとの指示を受けた。二時間もすれば動いても問題無いという。


それから三十分は、もっぱら物思いに耽っていた。一刻も早く訓練を終えなければ。あるいは、父さんに関する手掛かりを早く。そんな事ばかりが頭の中に飽和していた。しかし、そういったはやる気持ちとは裏腹に、僕の身体は驚くほど遅緩な回復を見せている。


「くそっ…。」


苛立ちというよりは自分の情けなさのために吐き捨てた言葉だったように思う。だが、その言葉をどう受け取ったのか、カーテンの向こうにいたハイドロが語り掛けてきた。


「まだヘイドに腹を立てているのか。」


「え、いや…」


否定しようとしたが、こうなった経緯を思い出し、再びヘイドへの怒りがわき上がって来た。


「それも、まあ。」


また少し機嫌を悪くした僕を見て、ハイドロは微笑を浮かべた。


「あれでも私怨ばかりでお前を虐めているわけではないようだぞ。」


「…と、言いますと?」


ハイドロは少しの間を置いた後、包帯を巻きなおしながら話を続ける。


「右手様に命を受けているようだ。お前を少しばかり痛めつけるように。」


「右手様が…?何故。」


「さあな。あれは戦闘に関しては手厳しい奴だから、『痛みに慣れることもまた訓練の一環だ』とか何とか言ってるんじゃあないか。」


僕は食堂でのヘイドとの会話を思い出した。思い返せばあの時も、が話題に上り、ヘイドは彼に戦闘術を教授するよう指示されたとも言っていた。確かに、右手様とやらが関わっていることに間違いはないのだろう。


「ですが、右手様はではお偉いのでしょう。どうして僕なんかに関与されるのですか。」


「ああ、お前、聞いていないのか。」


ハイドロは釈然としない台詞を投げたあと、包帯を全て巻き終えベッドの側の席を占めた。


「いい機会だ、知っておくといい。お前を監督する最高責任者は右手様だ。それに、自覚は無いようだがお前は一応、『上層部』の扱いだ。人間程に非力とはいえ、UCにとって貴様の持つナイフとそのまわりにコーティングされた血液は恐るべきモノだからな。」


僕はさして驚きもせず、納得の声も上げなかった。予想はできたことであったし、ひいては面白くもなんともなかった。ただ確信を得ることが出来たので、今後の振舞の参考にはなるだろう。今は一先ひとまず、体力の回復と心の整理…いわばヘイドへの怒りをしずめる努力をしなければ。

そうこうしているうちに時計の針は一周、二周して、僕の身体は軽い運動なら可能な程度に回復していた。


「未だ骨は不安定だ。あまり無茶はするなよ。」


「わかっています。ありがとうございました。」


僕は幾度か、ハイドロのその冷たい眼鏡の奥に優しさを垣間見たが、今日は特別優しい目をしていた。



静かな廊下を突き抜け、いつもの訓練場に向かう間僕はちょっとしたことに気が付いた。自分の歩く速度が明らかに速くなっているように感じたのだ。試しに僕は走ってみる。速い。自分の脚ではないようだった。ここに至り、僕は初めて理解する。この数ケ月、ヘイドが僕の身体を痛めつけ、負荷をかけ続けた訳を。


「筋肉の超回復…。」


以前、僕の身体を毒へと改造する際に、人体についても詳しく知っておかなければいけなかったのでそういった書物を広げる機会があった。その時に得た知識だが、筋組織は破壊されると、『超回復』という現象が起き、破壊される前よりも更に強くなる。

しかしそれは、本来ならば地道な筋肉トレーニングを休息も入れつつ行うことで可能となるため、膨大な時間が必要となる。だが今の僕には、『ハイドロの血液』という夢のような特効性の治癒薬があった。後は僕の筋組織を滅茶苦茶に破壊し、ハイドロの血液で回復させ、それを何度も繰り返せば通常の何倍も速く、身体能力の上昇が見込める。

成程そういうことか。それが右手様の思惑だったのだろう。それ故、僕に身体を壊すまで訓練を積ませ、あるいは身体が壊れるまで暴行を加えたのだ。僕はそのあからさまな残酷さと、確かな効率性に畏敬の念を抱いた。


「異くん。」


不意に背後からかけられた言葉に僕は身をひるがえした。そこにはいつもよりも少しだけ自然な笑みを創ったヘイドが在った。


「…いつからそこに?」


「君が一人で怪しく駆け回っていた時からですね。」


また外聞の悪い言い方をする。僕は反論をするのにもあきあきしたという風にひとつ溜息をついて見せて、一応誤解を解く努力をする。


「今のは…」


「ええ、わかっていますとも。試されたのでしょう。お気付きになられたのでしょう。やっと。」


遅いとでも言いたげにかぶりを振りながらヘイドは続けた。


「まあ、右手様の御意向を酌めただけでも多少はマシかと。ついては、僕に何かおっしゃりたいことがおありでは?」


「恨みごとを垂れ流せと?」


「何を言います、御礼と謝罪意外に何がありますか。」


「はい…?」


「『僕は今までヘイド様のことを誤解しておりました。僕のために御鞭撻ごべんたつ頂き有り難うございました。これからもどうぞ宜しくお願いします。』はい、復唱。」


「誤解も何も、貴方、楽しんでいたでしょう…?」


その後僕とヘイドはまた、一悶着ひともんちゃく起こし、それから数週間の訓練が終わるまでそういったいさかいが絶えることはなかった。

しかし、ヘイドはそのような点を除いては、良い師だったと思う。ナイフでの立ち回りや、間合いを詰める方法、切込み方、受け身、ナイフが手元にない場合の戦い方も教えられた。ヘイドの攻撃にも応じることができるようになり、二度だけだが、首に刃を突きつけたこともある。

ハイドロはそんな僕の体を見て、「いかつい体躯になったものだな。」と口角を上げて見せた。


そんなある日、ヘイドが改まって、何か小包のような物を渡してきた。受け取ると、ずっしりとした重さが手に伝わる。姿勢を正したヘイドは、初めて対面した時と同じように、黙って僕を見据えていた。次に、その射るような四つの視線を僕の持つ小包に落とし、ようやく口を開いた。


「もうお分かりでしょう。それは次の扉を開ける鍵です。」


「はい」


いよいよというわけだ。次の扉をくぐる日が来た。僕は喜びと、微かな恐怖に震えた。


「いやはやに時が過ぎたように思われますね。異くんが訪れて間もないころは…」


「止めてください。下手な思い出話は。」


「やれやれ、最後まで可愛くないヒトですよ、君は。」


もう可愛いなんてなりじゃありませんよと、軽くあしらった後、僕はヘイドに手を差し出した。


「『僕のために御鞭撻ごべんたついただき有り難うございました。』」


その言葉にヘイドは、らしくない頓狂とんきょうな顔で一瞬固まり、一瞬僕を見たあと、また能面のような笑顔に戻り、僕の手を握った。


「言葉が足りませんよ。」


それが僕の初めての謝辞に対する、の返答だった。

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