SectionⅠ【Ⅰ+Ⅲ】

【ランクⅡ】


 次の扉はこの部屋の扉よりも一回り小さくなっていた。

 シムはこの部屋での訓練は『ランクⅠ』だと言っていたことを思い出す。思うに、ランクⅠがあるということはランクⅡ、ランクⅢとどこまであるのかは分からないが徐々に難易度が上がっていくのだろう。


 扉は先ほどの大きな扉とは違った風情で、機械仕掛けになっていた。金属の部品が照明の光を表面にのせ輝いている。シムに手渡された鍵を観察してみた。鍵というよりも歯車のようなものだった。それを恐らくはめるべきであろう扉の一部にはめてみると、がちがちとモノがぶつかり合う音を立てながら扉が開いた。


 途端に今までとはまるで別様の空気が流れ込んでくる。張り詰めた居心地の悪い空気だ。


 扉の向こうへ片足を踏み入れると、ぱちんという指を鳴らすような音が部屋中に響いた。


 驚くことにはそれと同時に勢いよく扉が閉まり始めたのだ。僕は混乱に陥りながらも咄嗟にもう一方の足を二つ目の部屋の中に引っ込めた。反応が少しでも遅れていたら、今、両足では立てていなかっただろう。落ち着いて、指を鳴らした主の居場所を探そうとしたが、その必要もなく男が一人、僕の目の前に立っていた。


 紳士的なたたずまいの男は能面のような笑顔を浮かべながら口を開く。


「ああ、残念。反応は悪くないみたいですね。」


 長い耳から推察すると、その男はエルフなのだろう。黒眼が二つ、眼瞼裂がんけんれつの中に転がっている。微笑んではいるものの、その笑顔にはどこか殺気染みたものが感じ取れた。僕はなるべく刺激しないように男に問う。


「あなたは?」


 男は僕のことを真っ直ぐ見つめ、少しの沈黙の後、ヘイドですと答えた。

 ヘイドはその後も数分、僕を凝視し続けた。その間これといった会話も交わしていない。穴が開きそうだ、と思った。計四つの瞳孔から視線が浴びせられる。どういうわけかこのヘイドという男は僕に殺意を抱いている。いやでもそう感じさせるほどにヘイドの放つ殺気は強く、また濃かった。エルフは持つ魔力の強い人種だが、その魔力をどう使うかは個々別々だ。ヘイドがどういう戦法をとるのか分からない以上、下手に動かないほうがいい。


 そのようなことを考えている間も僕はヘイドに隙を見せぬよう尽力した。気を抜くといつどのようなタイミングで殺しにかかってくるかもしれないからだ。


 その時、ヘイドがゆっくりと姿勢を整える。僕は警戒心を露わにしながら、ただ立ちすくむことしかできなかった。それは差し詰め、蛇ににらまれたカエルとでも言ったところか、傍から見たらまったく情けない光景だったに違いない。


 しかし僕のヘイドに対するそんな態度は間違ってはいなかった。


「まずは」


 その言葉が聞こえた時には、僕はもう左側の壁に吹き飛ばされ叩きつけられていた。あまりのことに現状理解が追い付かない。身体のいたるところに激痛が走り、うめき声をあげる。


「人に名を聞くときは自分から名乗るのが礼儀だ、ということから教えなければいけませんか?」


 その声を頼りに朦朧とした意識の中、ヘイドの姿を見る。ヘイドは片足を真っ直ぐ僕のいる方向に伸ばし、そのまま体勢を固定していた。多分、僕は蹴られたのだろう。多分というのは、ヘイドの蹴りがあまりにも速すぎて見えなかったからというわけではない。いや、それもあるが、ただ蹴られただけにしては異様なほどの衝撃だったのだ。おそらく脚に魔力を集中させているのだろうが、魔力というものはこれほどまでに強大な威力を持っているのか。


「それとも」


 ヘイドが固定していた足を下ろし、ゆっくりとこちらへ向かってくる。


「我々UCに礼儀などは不要だとお考えで?」


 そう言いながらヘイドは倒れている僕に容赦なく先程のような蹴りを入れてくる。鳩尾みぞおちに重い一撃が与えられる。ミシミシと音を立てて肋骨が何本か折れ、伏したまま大喀血する。呼吸は困難になった。まだ人間と対して変わらないこの身体に、これだけの衝撃に耐えられる耐久性がどこにある。僕は訓練に入る前、J.に渡された形見のナイフのことを思い出した。そういえばあれからずっと鞘に大人しく収まり、僕のズボンのポケットの中にある。


 ヘイドはまたすぐに蹴りを入れてくる。次は胸…いや、頭か。この調子だと本気で僕を殺す気なのだろう。そうだ。本来UCとは人間の敵だ。これが正しい在り方なのだ。僕は咄嗟にナイフを鞘から抜き、握りしめ、ヘイドの足が向かってくるであろう場所にナイフを固定する。途端にナイフは僕の血液に包まれ、勢いよく加速したヘイドの足にナイフが食い込む。ヘイドの蹴りの衝撃はナイフを伝い、鈍い音と共に僕の手を粉砕した。


 その瞬間、部屋はヘイドの絶叫で満たされた。


「何を、何をした!?この忌々しい、愚かな人間め…!」


 ヘイドは僕のこのナイフのことを知らないらしかった。僕はいつの間にか呼吸ができるほど回復していた。ハイドロの血液は完全に体内から消え去るまで二週間はかかるとシムに教わったのでその効果なのだろうと思う。それでもまだ骨折は治らないらしく、僕は苦し紛れにものを言う。


「このナイフは、僕の血を纏っています、普通のUCが体内に入れると1分もちません。」


 その言葉を聞くやいなや、ヘイドは恐ろしい剣幕で僕を睨んだ。


「毒か…レンジ君を殺そうとしたという、その毒か…!」


『レンジ君』


 なぜ今煙竜の話が出てくるのか、大層疑問に思った。


「君がレンジ君を殺そうとしたと聞いた時、僕は君を殺してやろうと決意したんだ…。殺してやる、殺してやるぞ…僕は絶対に君を殺す。」


 ヘイドは独り言のように、しかし声を荒げて呟いた。


 その直後、ヘイドは倒れ、扉からハイドロが現れた。


「まぁ、こうなるだろうとは思っていたがな。」


 ハイドロが冷静な面持ちで近づいてくる。

 僕は状況が呑み込めないままその場に倒れ続けるほかはなかった。


 *


【恋】



 一連の事件の後、僕とヘイドは治療のため医務室に運ばれた。

 ハイドロが速やかに処置を行ったおかげかヘイドの命に別状はないという。


「僕の血をどうやって取り除いたのですか。あまり時間は無かったはずです。」


 僕はヘイドの生存を素直に喜べなかった。突然命を狙われたのだ、当然だろう。ハイドロは余裕綽々よゆうしゃくしゃくたる面持ちでその問いに答える。


「お前、私達がそんな危険なナイフを何の対策もなしにお前に渡すと思ったのか?お前の寝ている間に少しばかり血液を採取させてもらい、少量ではあるがワクチンは開発済みだ。だからレンジも助かったんだろうが。」


 よく考えてみると、確かにそれは賢明な判断だった。


「しかし、ヘイドもよくあれだけ憤怒したものだ。」


 呆れた様子でハイドロが肩をすくめる。

 後で聞いた話では、ヘイドは僕の話、つまり僕が煙竜を殺そうとしたという話を聞いた時からひどく憤慨していたらしい。

 失礼を承知で僕はハイドロに言った。


「UCの間でもそんなに強い仲間意識があるんですね。正直意外でした。」


 それを聞くと、ハイドロは苦笑して「いや、」と続けた。


「勿論、そういう意識が高いUCも少なくはないが、その、こいつの場合は…」


 そう言いながら隣のベッドに寝ているヘイドをカーテンごしに眺めた。

 次にハイドロが口にした言葉は仲間意識なんかよりもはるかに意外な言葉だった。


「同性愛者なんだ。」


 つまりハイドロはこう言いたいのだ。

 ヘイドは煙竜のことを恋愛対象としてとらえており、好意を寄せていたため僕が煙竜を殺そうとしたことに憤ったのだと。僕はヘイドの中で、想い人を殺害しようとした憎き殺人未遂犯に違いなかったというわけだ。


 不思議だと思った。UCは僕が知れば知るほどに人間臭く、一匹の生物であるのだ。しかし、何も不思議がることはなかったのかもしれない。UCも元々は地球上で生活していた生物なのだから。


 ハイドロがまた涼しい顔でこう付け足す。


「だがレンジにその気はないからな、ヘイドが一方的に想っているだけだ。」


「聞こえてますよ…。」


 ハイドロの言葉にかぶせるようにしてカーテンの向こうからおどろおどろしい声が聞こえた。ヘイドだ。

 ハイドロは何の問題もないといった風にナチュラルに声をかける。


「なんだ起きたのか。まだ動かないほうがいいぞ。」


 その言葉を無視してヘイドは僕たちとの間を隔てていたカーテンを半分ほど取り払った。


「ハイドロさん…僕とレンジ君の関係はそう簡単に言い表せるものではありませんよ…。」


 ヘイドは青い顔でハイドロに訴えかけた。


「そこの人間も…いや、もう人間ですらないのかな?」


「…異です。」


 まだ憎まれ口を叩く余裕はあるようだ。僕は不覚にも名を口に出してしまった。エルフなので平気ではあると思うが。


「異君…君もついでに聞くといい。今は僕も本調子ではないのでね。一時休戦としようじゃないか。」


 僕に対しては敬語でない謂は、僕に払う敬意はないということなのだろう。


「僕とレンジ君が恋に落ちた時の話をしてあげよう。」


 聞いてもいない恋愛物語が始まった。すぐさまハイドロが「勝手にお前が惚れただけだろう」と訂正を入れる。むっとした顔でヘイドが人差し指を立て、口の前においた。


「静かにしてくださいハイドロさん、これは感動物語なのですから。」


 聞き飽きたぞと言いながらハイドロは医療道具の手入れを始めた。


「話は数十年前に遡ります。」


 僕たちエルフと竜族は共存関係にありました。

 互いに支えあいながらそれはそれは綺麗な森で生活していたのです。僕は姉と一緒に、レンジ君は妹さんと暮らしていました。僕達四人は住居が近しかったせいもあって、特に仲が良かったのです。


しかし、ある日を境に平穏な日常は無惨に崩れ落ちていきました。


 乾いた風の吹く気持ちのいい午後、僕は夕飯用に木の実を摘んで自分の家に帰宅したのですが、いつも出迎えてくれる姉の姿が見当たらなかったのです。


 不審に思い、僕は姉の部屋へと向かいました。するとただ事ではない空気を纏い背を向けて、彼女はそこに立っていたのです。僕はおそるおそる何かあったのかと尋ねました。その問いに対して彼女はこう答えたのです。


 失恋をしたのだと。


 その答えは僕をたいへん困らせました。第一姉が恋をしていたことすら僕は知らされていませんでしたし、それをいきなり失恋したと言われてもどう声をかけていいのやら、全く見当がつきませんでした。姉は僕に背を向けたまま恋の相手が知りたいかと尋ねてきました。少し興味もあったので、僕は知りたいと答えました。


 その後の答えもたいそう意外なもので、恋の相手はレンジ君の妹であるタナビちゃんだと言うのです。


 僕は唖然としました。同性愛であることに驚いたわけではありませんでした。

 僕達エルフは元々寿命の長い種族で繁殖する必要があまり無く、同性愛者というものも珍しくはありませんでしたし、よくあることだったのです。それよりも僕が驚いたことは種族の違いでした。竜族とエルフは共存関係にあるものの、そのような関係を持つことは禁じられていたのです。そんなことを考えているうちに又、姉が僕に問うてきました。


「どうして失恋したか、聞きたくはないか。」重々しい口調でそう言うのです。


 姉の放つ芳しくない雰囲気に怯えながらも僕はその理由を話すよう促してしまいました。


 その瞬間、姉は振り返り、鬼のような形相でお前のせいなのだと叫び狂い始めたのです。


 事のいきさつはタナビちゃんが僕のことを以前より恋慕っており、それを姉に相談したということだったそうなのですが、そんなことを僕のせいにされてはたまったものではありません。しかし姉の怒りはとどまることを知らず、僕の反論にも耳をかしませんでした。最後には僕は姉に呪いをかけられたのです。姉は魔術の中でも呪術を得意としておりましたので効果は抜群でした。


 僕は女性に近づくことが許されない呪いをかけられました。近づこうとすると、様々な超常現象が僕を殺そうとするのです。つまり姉は失恋の腹いせに僕の異性と関係を持つ権利を奪ってしまいました。


 その後の生活は大方辛いものでした。


 常に女性を避け、家からも出ていくことを余儀なくされました。僕達ははなれに住んでいましたから、一人そこいらの洞窟で暮らし、孤独に耐え続けるしかありませんでした。そんな時僕を見つけて声を掛けてくれたのがレンジ君だったのです。レンジ君はそれから毎日僕の住む洞窟に通ってくれました。時々おいしい果物などを抱えて。僕はレンジ君に礼を言いながら、疑問を口にしました。何故そう毎日ここに来てくれるのかを。レンジ君は大きな目をしばたたかせ、滅多に開かない口を開きました。


「暇だったから」


 その時、僕は恋に落ちたのです…。


「おいちょっと待て!」


 ヘイドの熱弁に水を差すようにハイドロが声を張った。


「なんですか、今いいところだったんですが。」


 ヘイドが不機嫌そうに口をとがらせる。


「うるさい、毎回俺はそこに納得がいかん。レンジもレンジだ。もう少しましな言葉があっただろうに。」


「何を言います!あの言葉には僕に気を使わせないため…わざわざ苦労して来ているのだと悟らせないための虚言!その優しさが貴方には分からないのですか!?」


「阿保!あのバカがそこまで気を回せるわけがあるか!本当に暇だったんだそろそろ気付け!」


「レンジ君をバカですって!?失礼な!彼は抜けているところはありますがバカではありません!それにそんなところも可愛らしいでしょう!」


 ヘイドとハイドロは一時論争し、少し落ち着いたのか数分後には大人しくなった。ヘイドがコホンと咳払いを置き、僕に話しかける。


「どうかな、僕がいかにレンジ君を慕い、君に憤慨しているか理解していただけただろうか。」


 僕は適当に相槌を打ち、もう彼とは関わらないようにしようと固く心に誓った。


 誓ったのだが…次のハイドロの一言でその誓いは破られることとなる。


「もういい。二人とも早く傷を治してここから出て行け。ヘイド、お前はこいつに戦闘術を教えるんだろう。」


 薄々わかってはいたことだが、やはりヘイドも僕の監督者だったのだ。関わらないわけにはいかなくなった。僕は絶望した。ヘイドが大きくため息をつく。


「僕はこのようなヒトに教えるのは気が進まないのですが。」


 僕だってこのようなUCに教えを乞うのは御免だ。しかし次の部屋に行き、訓練をクリアするにはヘイドに教わるしかないようなので、僕は自らの命のためにヘイドに謝罪する。レンジのことを謝罪しておかなければまた僕の命に危険が及ぶことは容易に予想された。


「はぁ…ヘイドさん。煙竜…レンジ君のことは謝罪します。さっさと戦闘術とやらを教えていただけますか。」


 それを聞いてヘイドの顔はかげった


「誠意が感じられませんね。誠意が。」


「…すみませんでした。」


 僕は自分で自分を拗ねた幼子のようだと思った。

 しかしヘイドが敬語に戻ったことから、多少の和解はあったようだった。

 こうして僕の戦闘術の師匠はヘイドが担当することとなったのだ。

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