SectionⅠ【Ⅰ+Ⅶ】
【ランクⅢ】
ヘイドはあの後、報告があるとかで部屋から立ち去って行った。あとに残されたのは僕と鍵、そして次の部屋への扉だけ。僕は鍵の入った小包を丁寧に開封し、その中身を確かめる。内容物は二つだった。扉の鍵と、彼らしいといえば彼らしいようにも思えたけれど、可笑しな贈り物が一つ。この小包の異常な重さはこいつのせいだったらしい。
いつまでも感慨に浸っていても仕方がないので、僕は鍵を手に取り扉の前に立った。扉は
鍵はそれ程重くもない、小さな立方体だった。扉の
その直後、足元が動いた。遊園地にあるティーカップの遊具か何かのように、扉ごとぐるりと回転し、遠心力に押されバランスを崩す。どうやら仕掛け扉のようなものだったらしい。突然のことによろめきながら、周囲を見渡す僕に掛けられた声は意外にも華やかなものだった。キレの良い、女性の声が頭に響く。
「ようこそ異くん、私達がこの訓練の監督者だよ。」
見ると、ブロンドの跳ねた髪をかため、
「私はイドラだ。そしてこっちが」
イドラは半身になって僕の視線を後ろに通す。そこには顔立ちの整った少女が無表情で立っていた。長く真っ直ぐに伸びた赤毛を二つに結って、片手には先の歪に曲がった金属の棒を持っている。彼女もイドラに続き、言葉を連ねる。
「ヴェロニカ、です。よろしく願います。」
何処と無くぎこちない敬語が耳に馴染まない。それにしても女性二人が監督だなんて、一体何の訓練をするというのだろうか。『誘惑に耐える』とかいう訓練内容ならば特に必要はない。UCのことをそういう目で見れるほど僕は不謹慎ではない。
思考を巡らせる僕をよそ目にイドラが話を続ける。
「君のことはハイドロやら
「…はあ。」
僕は自己紹介などするつもりも無かったものだから、間の抜けた返事を返した。イドラが高いヒールをカツンと鳴らして裾を正し、胸の前で一度、手を叩いて見せた。
「
イドラはそんなことを言いながら僕の身体を肘で突く。この鬱陶しいテンションにはJ.と相通ずるものがあった。僕はヴェロニカに目をやり、無言で助けを求めるも、「お察しします。」としか言ってもらえなかった。
「まあ、お察しの通り、ここでは集団を相手にした戦闘訓練を行うよ。」
そんなことは全く察してもいなかったし何故その訓練内容であそこまで
「集団、といいますと。そちらの人数が足りないように思われますが。」
おや、とイドラが声を上げる。
「思ったより頭が固いようだね。私達で事足りるからここにいるんじゃあないか。」
「下手な集団を相手にするよりは、厄介、です。」
成程、仮にも上層部のUCと言うわけだ。一匹で百人力、二匹で二百人力といったところなのだろう。
「…兎も角、具体的にどのような点の強化を図るのかお教え願えますか。」
僕はイドラの物言いに少し苛立ちながら話の穂を接いだ。イドラは変わらぬ楽しそうな笑顔を僕に向けてヴェロニカの髪を弄んでいる。時折、ヴェロニカが鬱陶しそうにイドラの手を跳ね除けていた。
「そうだね、簡単に言うなら『スピードと機転』だろうか。君は未だ知識を蓄え、少しばかり強くなっただけだ。それじゃあいけない。それを上手く使いこなせる技量が必要なんだ。」
「それを強化するには、我々が、適役でした。」
はあ。と頷いて見せると、ヴェロニカは背後に目をやり、手に持つ金属棒の先端で部屋の奥を指した。よく見ると
「我々の攻撃を
「と、いう事は、躱すだけで良いと。」
二対一とはいえ、攻撃を躱しながらたった50m進むだけ、というのは存外
「外見だけで私達の力量を見切った積もりかい。」
不意に微かな殺気を感じた。これは、と思い身構えようとした時には既に、ヴェロニカの金属棒の先が目の前に突き付けられていた。少し遅れて風が吹き抜ける。速い、そして適確。寸前で止められることなく
「は…。」
その迫力は僕から言葉を奪うに足るものだった。額を妙な汗が濡らす。身体はピクリとも動かず、視界は少しぼやけて見えた。そんな僕を見て、イドラは腹を抱えて笑った。
「あはははは、どうだい、ヴェロニカの機動力はすばらしいだろう!これでわかったかな、UCの実力を外見で判断すると痛い目にあう。ヴェロニカ、もう良いよ。」
イドラの指示で金属棒は僕の眼前から下された。
「理解できたなら、本気でかかってくることだよ。」
「健闘を、祈ります。」
その日は就寝するまでずっと奮闘していた。イドラはなんら手を出す様子も無く、僕の相手はヴェロニカだけで、しかし何十匹ものUCを相手にしているかのような感覚に陥った。矢継ぎ早に打ち込まれる攻撃に翻弄され、ほとんど前に進むことが出来なかった。不思議なことは、イドラのその存在意義だった。何をするわけでもなく、ただそこにいて眺めているだけの彼女は何のためにいるのか、僕には解りかねなかった。てっきり二匹まとめて襲いかかってくるものだと思っていたのだが。
そんな考えを巡らせながら浅い眠りに就いた。
*
翌日、僕はイドラに叩き起こされ、食堂に入った。
「流石、
「僕の監督に就いている間だけ…ですか。」
「そうさ。君のついでに私達の分も作ってくれるって話だ。ヴェロニカなんていつか来るこの生活との別れに涙しているよ。」
ヴェロニカを見ると、本当に滝のような涙を流し、しかし無表情であった。エクサーはこの食堂で全ての料理を作っているのだと思い込んでいたが、どうやら僕と監督に就いているUCにのみ、料理を振る舞っていたようだ。
サーモンの燻製はほどよく塩抜きされており、丁寧に燻してあった。デザートのケーキにかかったラズベリーのソースも、きめ細かく裏ごししてある。こんな料理を見てもわかるように、エクサーは相当な凝り性なのだろう。僕のことも任されたからにはとことん力を尽くしたいに違いなかった。
「そういうわけだから、君を次の部屋に通させまいとヴェロニカも気を張っているのさ。そうでもなければ、この子は怠けてた筈だよ。基本面倒くさがりなんだ。」
イドラのそんな言葉は耳にも入らないといった様子で、ヴェロニカは飯を頬張っている。彼女の前の空皿を見る限りかなりの量を胃に納めたらしい。顔に似合わず大食いのようだ。
「…それも右手様の計画の内なのかもしれませんね。」
ですが、と僕は続ける。皿に置いたナイフとフォークがカチャリと小さく音を立てた。
「あなた方のその生活も、長くは続きませんよ。」
イドラとヴェロニカは一瞬動きを止め、ゆっくりと僕に目をやった。
「ほお?はったりでは無いようだね。」
「三日」
「なんだって。」
「あと三日で終わらせます。」
「たった三日で?」
「はい」
はったりでは無い。思うところがあった。イドラにはそれが伝わったらしく、それは楽しみだ。と一言吐いた後、先に席を立ち訓練場へ行ってしまった。ヴェロニカは相変わらずの無表情で、しかし、警戒心を垣間見せていた。
次の扉をくぐるまで、あと三日。
僕は反撃の刃を研いでいた。
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