SectionⅠ【Ⅰ+Ⅷ】

【神の全能の目】


 食事の後、僕は訓練で足に怪我を負い医務室に運ばれた。口に布を噛まされ、イドラに抱き上げられる。膝の裏と背中に腕が回され横向きに抱えられた。


「……」


 ヴェロニカが黙ってこちらを見ている。


「……」


 道中すれ違うやからもこちらを見ている。


 非常に屈辱的だ。何故よりにもよってなのか小一時間問い詰めたい。そしてこの布を噛む必要性も特に感じない。こんな怪我の痛みなど今までに比べれば可愛いものだ。僕は医務室に着くなり布を吐き捨てた。


「あーあー、せっかく私の靴下を噛ませて上げてたのに、ほら、落としたよ。」


 お前の靴下かよ。驚愕の事実を明らかにしながら、イドラが床に落ちた靴下をまた僕の口に持ってこようとする。わざとなのか素なのかはわからないが、はやくこの場から去ってほしい。


「また怪我したのか、異。」


 タイミング良くカーテンの影から出てきたのはハイドロだった。


「助けてください、怪我をした上に不衛生な布を口に含まされようとしています。」


「な、なにぃー!私の親切心を!」


「良いから散れ、イドラ。治療の邪魔だ。」


「ハイドロくん!?」


 ハイドロに一蹴されぶつぶつと文句を垂れながら医務室から出ていくイドラ。それをよそ目に、ハイドロは僕の足の治療にとりかかった。


「飽きもせずによく怪我をする奴だ。たまには無傷で終わる日があってもいいものだが。」


 ハイドロがあぐねた様子で白い包帯を僕の足に巻き付ける。足が痛いのか耳が痛いのか分からなかった。


「…ご迷惑をおかけします。」


 好きで怪我をしている訳では無い、と言い返しそうにもなったが、こう見えてハイドロは情にあつい奴だ。きっと先の皮肉めいた言葉も心配と思いやりからくるものだろう。あまり強い言葉を放つ気にはならなかった。


「しかし、今回の怪我は当たりどころが良かったらしい。私の血を飲めばぐに治るだろう。」


 ほら、とハイドロが血液の入った小瓶の栓を抜き、僕に差し出す。小瓶を手に取り一気に飲み干すと、例のごとくレモングラスの香りが鼻を抜けた。


「そういえば、訓練の方は順調か?」


 ハイドロが白いティーカップを赤い紅茶で満たしながら何気なく話しかける。今では、回復を待っている時間もハイドロと雑談する良い機会だった。



「ええ、つい先ほど残り三日で方を付けると宣言してきた所です。」


 それを聞いてハイドロが優雅にすすっていた紅茶を吹き出した。白衣に染みた紅茶など構うことなくこちらを向く。


「ど、どういうことだ…?あと三日だと!?お前、また無茶なことを!」


「まあ落ち着いて下さい、考え無しにいきぶったわけではありませんから。」


 説教を垂れようとするハイドロをなだめるように、白衣を拭くためのハンカチを差し出した。


「…で?」


 ハンカチで白衣を叩きながら、ハイドロが詳しい説明を求める。口外をはばかられる内容ではあるが、ハイドロにくらいは言っておいても問題ないだろう。むしろ、いざという時のためにつまびらかに説明しておいた方が得策かもしれない。

 しかし僕には説明してしまう前に貰っておかねばならない物があった。


「その前に、頂きたいものがありまして。」


ハイドロのつり上がった眉尻がピクリと動いた。


「…なんだ。言ってみろ。」


 全てを説明してからでは快く渡してもらえない可能性がある。あまり怪しまれないよう、自然に要求しなければ…。


「貴方の血液を、2ℓほど。」


「殺す気か?」


 何でもない面持ちを装い普段と変わらない口調を心がけたつもりだったが少し露骨すぎたのか、ハイドロがいかにも怪訝そうに僕をめる。数秒後、腕を組み何かを察したような表情を見せた。


「言っておくが、また筋肉の超回復による強化を図る積もりならやめておけ。あと半年は安定させないとそれ以上の強化は期待出来ん。それどころか壊れてしまう可能性も高くなる。」


 ハイドロの口から的外れな忠告が垂れ流される。そも、三日でそれを成し遂げるのは至難の技であるし、そんな稚拙ちせつな発想に至るほど落ちぶれてはいない。


「違いますよ、そんなことは僕も分かっています。もっと…別の用途です。頂けませんか。」


 ハイドロはしばらくしかめっ面のまま考え込んだり、じろじろと僕の顔を観察したりした後、諦めたように冷蔵庫から瓶二本分の血液を取り出し、僕の前の棚に置いた。


「なんだ、あるじゃないですか、保存瓶。」


「緊急時のための物だ。今すぐに出せるのはこれしかない。どうせ渡さないと喋らないんだろう。」


 僕は目の前の瓶をいそいそと自分の手元に囲い込み、ハイドロに一揖いちゆうする。


「ありがとうございます。おそらくこれで死なずに済みます。」


「死なずに済む?どういうことだ。も渡したことだし、そろそろ説明してもらおうか。」


「…血は、絶対に返しませんよ。」


 念を押す僕に、益々ますます怪しいといった視線を投げかけるハイドロだったが、一応承諾した様子を見せた。


「これです。」


 僕は隠しておいた小包を取り出し、ハイドロの前に置いた。Ⅱの訓練の最後にヘイドから貰った小包だ。ハイドロは開けてもいいものかと躊躇いつつも、恐る恐る小包の口を開いた。

 中に入っていたものは、ずっしりとした三角柱の金属塊。中心には閉じられた目のようなものが描かれており、三角にかたどられた縁の一辺が焼けるようにじりじりと描かれようとしていた。というのは、その焼け跡がまだ一辺に及ぶ途中だったのだ。


「…これは?」


「『プロビデンスの目の時計』です。」


「なんだそれは」


「プロビデンスの目とは、『神の全能の目』を意味します。」


「だからなんだそれは」


「有名な神器のひとつです。シムさんの受け売りですが、簡単に説明すると、その金属塊の縁の一辺は一日をかけて描かれます。そして三日を経て三角形が描かれた時、中心のプロビデンスの目が開くんです。」


「開いたらどうなるんだ?」


 この問の答えが一番に言い難いところだった。しかし答えぬわけにもいかない。僕は訥々とつとつと語り出した。


「その目から発せられる光を見た者はプロビデンスの目…つまりは、神業的な視力を手に入れるか、あるいは…死にます。」


「却下だ。」


 一言、言い放たれた拒否の言葉を無視して説明を続ける。


「今の僕の身体にはヴェロニカさんの攻撃をかわす機動力なら備わっているんです。ただ、動体視力が足りない。」


「却下だと言ってるんだ。大体どこから拾ってきたんだそんなもの!いや分かってる、そんなもの渡し得るとしたらヘイドくらいのものだ!まったくあいつらしい。まだレンジのことを根に持っているのか!」


 一人でわめき散らすハイドロをなんとか納得させようと言葉を重ねる。


「だから、貴方の血が必要だったんです。」


「…はぁ。私の血をどうする気だ。」


 ハイドロはため息混じりに、血の上った頭を掻きむしりながら耳を傾けてくれた。


「三日後までに少しずつ自分の体内に流し込む積もりです。」


「返せ!」


「絶対に返さないと言ったはずですが。」


 会話で時間を稼いだ甲斐あって、足も回復し、ハイドロが取り返そうと向かってくるのを軽くあしらうこともできるようになっていた。ハイドロは悔しそうに地団駄を踏む。


「くそ、いくら回復能力が高まると言っても、相手ではどんな死に方をするのかすら解らないんだぞ!血液ごと昇華させるようなものだったら確実に死ぬぞ、お前!」


「その可能性も否めません。ですが、このプロビデンスの目の時計は、発する光が目の奥の網膜を照らすことによって効果を発揮するとされています。こんなに強力なモノが光による催眠なんかで成されるとは考えにくい…おそらく特殊な光線によって元々の感覚細胞が突然変異させられるんです。視神経は脳神経の一つ、つまり脳に直結しています。そしてプロビデンスの目を見て死亡した者の症状を記した史実には脳死と捉えられる描写が多数ありました。このことから考えられることは…。」


「…………なるほど、光に晒され突然変異が脳まで侵食すると死に至る、ということか。」


流石に察しの良いハイドロに関心していると、彼がまた言葉を連ねた。


「しかし、そうなると不明な点が、突然変異が脳まで侵食する条件だ。」


「はい、光を浴びる時間の長さか、強さか、相性の善し悪しか…。」


「はあ、だから私の血液の効能で元々の感覚細胞を回復し、全ての感覚細胞が変異するのを防ごうと考えたんだな。…確かに、あらかじめ私の血を大量摂取しておけばかなりの速さで回復するが、それでも間に合うかは分からないぞ。危険な賭けだ。おまけにそれは、だろう。」


 …すなわち、死を免れるために突然変異を抑えると言うことは、プロビデンスの目の効力を抑えるということにひとしい。


「ええ、恐らくは、助かったとしてもプロビデンスの目ほどのものは得られません。それでも、今のところこの方法しか無いんです。丁か半か、やるしかないでしょう。」


 ふー…、とハイドロが下牙を覗かせた口から長い吐息を吐いた。


「考えているようで考え無しな奴だ…。私の血を利用するなら少しずつ摂取していくよりも直前に輸血したほうがいい。血も保存用ではなく新鮮な方が効果がある。」


「!」


 ハイドロが口にした言葉は意外にも協力的なものだった。


「ハイドロさん…。ありがとうございます。」


「ふん、そんな話を聞いた後に放っておいて死なれても寝覚めが悪いからな。」


「……。」


 クサい雰囲気になってきた。


 分かりやすい照れ隠しへの返答に困って黙り込んでいると、プロビデンスの目の時計の一辺が焼けあがっていることに気が付いた。


「ハイドロさん見てください、焼け跡が一辺に達しました。」


「あと2日か…私も血を抜く用意をしておく。」


 僕の生死が決まるまであと2日。

 実感はさほど湧いていないというのに、額は妙に湿っぽかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る