SectionⅠ【Ⅰ+Ⅰ】
【復讐】
僕の父は素晴らしい人だった。名は
通称『
恐ろしく霧の濃い夜だった。僕はまだ幼く、自室で寝息を立てていた。母の悲鳴に目を覚ました僕はリビングへと向かい、ドアの隙間から室内を伺った。そこにあったのは子供が見るにはあまりにも残虐的な光景だっただろう。
薄墨にとけそうな人型の、けれど人ではないものが両親を食い散らかしていたのだ。机の上の花瓶に活けてあったアネモネの花弁は鮮血に染まっていた。僕は衝撃で動けなくなり、そこをそいつに見つかった。その後どうやって生き延びたかは覚えていない。
それが僕が初めて見たUCだった。そして後でそのUCが『煙竜』であることを知った。
それ以来僕は復讐に明け暮れた。煙竜はUCの中で唯一UCPが効かない。原因は不明。「箱」をも通り抜けることができたようだった。そのため、より強力なUCPが必要となった。対煙竜用のUCPが。身体の主成分が煙であり、物理攻撃も効かず、UCPも効かない煙竜を殺すため、僕は自分自身を対煙竜用の毒に変え、煙竜に食わせることを思いついた。
そして10年を費やした研究の末、僕は自分自身を毒へ改造することに成功した。
あとは自分を食べさせるべく、箱に侵入するだけとなっていた。
「やっとですね。」
独り言のようにつぶやく。
実際には独り言ではない。箱内のどこかにいる煙竜に語り掛けていた。煙竜が今、箱の中にいるのは調査済みだった。箱の外で殺すより、箱の中で殺す方が探す手間も省けて効率がいい。周りへの被害も防げる。
僕にとって、箱に侵入するのは容易なことだった。箱の壁は三重構造になっており、窓の一つもないが、1平方メートル程の一角のみ壁が無かった。その代わりに『UCPレーザー』なるものがそなえつけられており、怪しく緑に発光していた。ここをUCが通ろうとすると、たちまちにUCPに浄化され溶けるのだという。だが、人間の僕には何の被害もないただの生暖かい光に過ぎなかった。
もっとも、もう僕は人間ですらない、「毒」であるのだが。
僕は
携帯していたナイフで少し手首を切った。煙竜は青年の肉を好むと資料に書いてあったので、必ず血液の匂いに誘われて姿を現すはずだ。これは他のUCも誘導しかねないので明らかにリスクの高い作戦だったが、前例にあった捨て身の調査計画では、奥に行くほどUCの危険度が上がるという結果も得られていた。一応、対UC用の防具はつけているし、僕自身も強力な毒であるので、雑魚なら血液を一滴でも体内に入れてやれば瞬殺である。
そんなことを考えていると、周りに霧がかかってきた。
いや、これは霧というよりも煙なのだろう。
「意外とお早い御登場で。」
「…」
煙の中で黒い影が濃くなる。あの時と同じだ。両親が殺された夜と。気分は高揚していた。あれから数年、やっと両親の仇を討つ時が来たらしい。
さぁっと煙が僕を包み、目に染みた。2m、1mと煙竜との距離は縮まっていく。
「良い匂いだ。お前、人間か?」
煙で視界が開けないぶん、煙竜の低い声が冴え冴えと響く。
「…そうですよ。」
喋ると煙が肺に入り、咳込みそうになる。しかしそんなことはどうでもよかった。早く僕を口に入れ、喉へ通せ。これからお前は死ぬ。僕の計画通りに、死ぬ。
「何処から入った。何者だ。」
「僕はあなたへのプレゼントです。ほら、リボンが素敵でしょう。」
UCP素材の防具を脱ぎ、ラッピングのように頭に巻いたリボンを揺らして見せた。
「…まぁ、どこから入ったにせよ侵入者だ、殺せば、監視任務もはたして、腹もふくれる。一石二鳥だ」
報告通り単純な思考だ。知能があまり高くない。いやそれよりも、監視役を任されていたのか。血を流すまでもなかったな。そう考えながら涎をぽたぽたと垂らし近づいてくる煙竜をすんなりと受け入れ、首筋を差し出す。願わくば意識のあるうちにこいつの死に顔が見たい。首に鋭い痛みが走る。奴が血を
しかしそこで煙竜は動きを止めた。
「お前っ…!」
嗚咽交じりに言葉を絞り出している。煙竜は僕の血肉を辛うじて飲み込まずに吐き出したらしい。
勘づかれた。僕は先ほどに反して青ざめた。今殺らねば殺し損ねる。確実に仕留めなければならない。僕は咄嗟に隠し持っていたナイフを取り出し、自分の左腕に突き刺した。まだ嘔吐している煙竜の口にナイフがささったままの腕を押しつける。
「ぐ…がっ…」
呻く煙竜の口に無理やり血を流し込む。
「死ね!死ぬんだ!早く!」
煙竜は少し血を飲んでいたらしく、人間の僕にも満足に抵抗できないほど弱り切っていた。一滴でも普通のUCなら死ぬような猛毒だ。数秒で全身に毒は回る。
あと一息で煙竜は死ぬはずだった。
「そこまでや。」
僕でもない、煙竜でもない。違う者の声が煙の中でこだました。
僕は腕を背後から掴まれ、煙竜から引きはがされた。負傷していた僕に抵抗する力はほとんどなかった。
「誰だ!離せ!あと少しで殺せたんだ!離せぇ!」
怒りに任せて吼えるように叫び、背後の人影に訴えかけた。
「お、おっかないなジブン、暴れんなや。血が余計でるっちゅうねん。」
ここにいるということはコイツもUCなのだろう。UCが人間の心配など。
「うるさい!こいつは僕の親の仇だ!何年この時を待ったことか!失敗してたまるか!」
「…親…?」
解放された煙竜は嗚咽交じりに問うた。
「そうだ、希有玲、UCPの開発者だ!僕はその息子だ!」
「な、なんやて…?」
背後から
「お前、あの時の…?」
意識が薄れる。おそらく大量出血によるものだろう。
これほど無念なことがあろうか。僕は仇を討ち損ね、死ぬのだ。
*
――目を覚ますと、ベッドにいた。
あろうことか、僕はUCに助けられたらしい。左を見ると、顔まである全身タイツの白衣を着たUCがいた。頭には花冠を乗せ、左頬のあたりに『J.』と書いてある。
「起きましたか。私はJ.です、よろしくどうぞ。」
分かりやすい名前だ。
「…ここは」
「医務室ですよお?」
気色の悪い喋り方をする。遺憾に思った。
「どうして僕を生かしたんですか。」
「おや、国元君の話だとお口は悪いように思いましたが…敬語も話せるんですねえ。」
「さっさと質問に答えて下さい」
「ふふふふ、面白いですねえ、興味深いですねえ。大変気に入りましたよお。」
このUCとは会話が成立しない。別のまともな奴はいないのかと、あたりを見わたす。
「あなたは希有博士の御子息なんですってねえ。」
J.がますます顔を近づけてきたので退けようと腕を上げると激しく痛んだ。
「っ…」
「ああ、まだ動かないほうがいいですよ、傷が開いてしまいます。」
J.は少し離れて僕のほうをしばらく見た。
「君、お名前は?」
「…
「ああ、いけませんねえ、そう簡単に名乗ってはいけない。ここには名前を知るだけでどうこうできてしまうUCもたあくさん居るんですよお?」
「…あなたも先ほど名乗っていましたが。」
「私のは偽名です。」
J.はどうどうと台詞を吐き捨てた。
「ああ、そうそう。何故君を生かしたか、でしたねえ。」
再び顔を近づけ、話を続けた。
「理由はたくさんありますが、一番大きなものは、利用価値があったからです。」
「そうはっきりと言われると清々しいですね。」
J.は場違いな明るい声で笑い、僕に背を向け、再び話し出した。
「そこでお話があります。」
「…話?」
「私共UCはあなた達の言う『箱』に閉じ込められてたいそう不自由しているんですよお。そこで、ここから脱出し・・・あわよくば、UCPの効かない抗体を持つ体になりたいと思っているのです。それにはUCPに対するワクチンが必要なのですが…ワクチンをつくるにはある程度の量のUCPが必要となるんですよねえ…箱の壁には触れませんし、触れたとしても他の物質と混合していて抽出は困難。」
「だから異君に私達のお仲間になってもらい、外からUCPを持ってきていただきたいのですが…」
ばかげた話にもほどがある。復讐をしに来て仲間に加わるなどという話が
どこにあるだろうか。
「…面白い冗談ですね。」
「冗談ではありませんよお。」
「お断りします。」
J.はまた振り向いて僕の方を見る。
「勘違いはしないでいただきたいですねえ。」
先ほどとは一変した低い声だった。
「君の体液を残さず搾り取って、より強力なワクチンを作ってもよろしいのですよ?」
「…………」
「まだ弱いですか…では一つ、良いことを教えましょう。」
ぴんっと人差し指を立て、また明るい声に戻した。
「貴方のお父さんは生きています。」
「…!?」
嘘だ。父さんは幼いころ、煙竜に殺されたはずだ。この目で確かに…
「父さんが…生きている?」
「ええ、おそらくは。」
「どういうことです」
「ふふふ、レンジくん、出てきてください。」
やにわに口にされた「レンジ」という名のUCは見覚えのある顔だった。煙竜だ。
「…よくのこのこと僕の前に姿を現せましたね…この身が健康ならば再び襲い掛かっていたところですよ。」
「…………」
沈黙しているレンジとは対比的にJ.が話始めた。
「レンジくんがあなたのお父さんを殺そうとしたのは、任務を命じられたためです。」
「…任務?」
J.が言うには、箱の中にまでUCPを流し込まれることを危惧したUC達が唯一箱から出られるレンジにこれ以上UCPを作らせぬよう開発者を殺せと命じたらしかった。
「だが、開発に関係した者は全員殺したものの、希有玲だけはどこを探しても見つからなかった。」
レンジが下を向いたまま言った。
「じゃあ、母さんと一緒にあなたが殺したのは、誰だったんですか!」
「分からない。だが、殺す前、命乞いのように『俺は希有玲ではない』と繰り返していた。ので気になって素性を調べたところ、確かに希有玲ではなかった。」
「そんな…信じられるか、そんなことを…」
取り乱しているところにつけ入るようにJ.は話しかける。
「それならどうしますか。やはり私達のワクチンの元となりますか。」
「…………」
この話がUC共のでっちあげであれなんであれ、僕は父の生存の可能性を捨てきれなかった。
捨てたくなかった。
僕の心情を察すようにJ.はふふっと笑い、僕に手を差し出した。
「決まりです。ようこそ異君。こちら側へ。」
「…気を許したわけではありませんよ。」
J.の手は握るとタイツの中で液体のように別れた。
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