05 廃屋にて --2

「シェナさん、ランドルフ様の様子はどうですか?」

「あ、エドワードさ……きゃ」

 エドワードさんが入ってきた途端、ランさんは私を後ろに押しやり彼を睨みつけた。

「ど、どうしたんですか?」

 ランさんは答えない。警戒をあらわにする彼の様子に、エドワードさんの方も驚いてはいないようだった。エドワードさんはにっこりと私たちに微笑みかけて、ドアを後ろ手にゆっくりと閉める。彼の手に、先程まではなかったあるものが握られているのに気付き、思わず足を引いた。

 それは黒い色をした長い剣だった。古いお伽話に出てくる騎士が身に着けているような、たくさんの綺麗な飾りがついた剣だ。柄には緑色の宝石が一つはめ込まれている。きらりと光りを放つその輝きに、私は言いようのない不安を覚えた。とても綺麗なはずなのに、見ていると心臓をぎゅっと掴まれたような震えが走るのだ。

 エドワードさんをこわごわ見上げると、彼はちょっと首をかしげてからちらりと剣に視線を落とした。

「これが気になりますか」

 持ち上げられた剣の刃先から黒い液体がぱたりと垂れる。その拍子に、何かが腐ったような不快な臭いが辺りにふわりと広がった。私の腕を掴んでいるランさんの手にぐっと力が入る。

「あ、あの」

 ふと見れば、ランさんの足がかすかに震えていた。彼が倒れるのではないかと心配になり、支えようと体を近付ける。

「シェナ、こいつが連続殺人の犯人だ」

「え?」

 ぽつりと呟かれた言葉の意味をすぐには理解できなかった。エドワードさんには聞こえなかったのだろうか、彼の微笑みは崩れない。

「ランドルフ様、無理はなさらないでください。もう立っているだけでも辛いでしょう? 昨夜は冷え込んだから、てっきりもう冷たくなっている頃だろうと思ったんですが……甘かったですね」

 エドワードさんはすたすたと私たちに近付いてきた。優しい笑顔と口から出る言葉の温度差が怖い。後ずさろうとしたとき、ランさんに肩を押され突き飛ばされた。ランさんはエドワードさんの胸ぐらを掴んで食ってかかる。

「ふざけるな……! おまえ、何を考えて、こんな」

「まあ落ち着いてください。また邪魔をするつもりなら、今度は本当に殺さなくちゃいけないじゃないですか」

 朗らかな声でそう言ったエドワードさんの頬を、ランさんの拳が張り飛ばした。ひっ、と情けない声が私の口から漏れる。ランさんを見返したエドワードさんの目が笑っていない。

「やめて」

 たまらず声を上げたとき、ふっとランさんの体が沈んだ。お腹を押さえるようにしてうずくまるその脇腹へ、エドワードさんの容赦ない蹴りが入る。床に転がったランさんの鳩尾に、とどめとばかりにエドワードさんの爪先が食い込んだ。げほっ、と苦しそうな咳をしたランさんの口から胃液が吐き出される。

 冷たい目でそれを見下ろすエドワードさんの手が静かに動き、剣の刃先がランさんへ向けられた。全身に冷水を浴びたような恐怖が私を襲う。

「やめてくださいっ!」

 本当はランさんをかばって立ちはだかりたかったのだが、足がもつれてしまいエドワードさんにすがりつくような形になった。エドワードさんが驚いた顔で私を見下ろす。私はどうにかして彼をランさんから遠ざけようと、力いっぱい彼の手を引いた。エドワードさんは困惑の表情で私とランさんを見比べていたが、やがて「ああ」と呟くといつも通りの笑顔を浮かべた。

「なるほど。シェナさんはランドルフ様が死ぬところは見たくないと?」

「死……!? いやです、絶対にいやです!」

「分かりました。それではあなたを先にすることにしましょう」

 その言葉が終わらないうちに、首筋にぴたりと冷たいものがあてられる。頭がくらくらするほどの腐臭で、見なくてもそれが何であるか分かった。首を伝って落ちていく雫は、刃を黒く染めていた液体かそれとも私の血かどちらだろうか。

「や、めろ……!」

 ランさんが呻きながら立ち上がろうとするが、足腰に力が入らないらしい。這うようにしてこちらに手を伸ばしてきた。エドワードさんは私に向けた剣を一旦下ろし、私の襟元を乱暴に掴むと壁のそばまで私を引っ張っていく。ランさんから離そうというのか。

「安心してください。あなたを痛めつけたいわけではないのでね、すぐに終わらせます。ランドルフ様に罰を下すのはその後ということで」

 エドワードさんは壁際に私を立たせると、私の髪を一まとめにしている髪留めをするりと外した。下ろされた長い髪を優しい手つきで撫でながら、うっとりとした目つきでどこか遠くを見ている。

「ああ、あの子の髪だ。これでようやく材料がひとつ、完成する」

 エドワードさんの顔が近付いてきたため、反射的に体を強張らせた。彼は自分の手に乗せた私の髪に恭しくキスをすると、至近距離で私ににこりと笑いかける。

「ありがとうございます。あなたのような綺麗な金の髪を探していたんですよ」

「え……髪、ですか」

「ええ。この剣を使って材料を集めたら、私の愛する人を神様が蘇らせてくださるのです。今までも何人かちょうどいい人を見つけたのですが……皆、怖がって暴れたものでね。赤く汚れてしまったのですよ。それでは使い物にならない」

 ひくりと喉が震えた。愛おしげに私の髪を撫でる優しいその手は、今までにどれほど恐ろしい行為をしてきたのか。

「あ、あ、あのっ」

「はい」

「か、髪なら、さしあげますから」

「はあ」

「どれだけ切っても、かまいませんから、だから、どうか、殺さないで……」

「それは駄目です」

「ひっ」

 首を掴まれる。エドワードさんの大きな手が、弄ぶように私の喉を撫でる。

「材料はね、外側だけでは足りないのですよ。内側……つまり、血と肉ですね。こちらも必要です。この剣がどうして黒いのかわかりますか? 今まで材料になってくれた子たちの血を、たくさん吸い込んだからですよ。少女の血を吸い込んで、あの子を蘇らせる準備をしていたんです。それが」

 エドワードさんの瞳がすうっと細められた。

「ランドルフ様に台無しにされてしまったのですよ。この剣は男の血をかぶってしまった。汚されてしまったんです。だから、また少女の血を浴びて清めなくてはいけない。あなたのような純粋な少女の血でね」

 すらりと長い剣が私の喉元に突き付けられる。逃げなくては、と思うのに体が動かなかった。このままでは殺される。そうなったらもうミティーちゃんたちにも、孤児院のみんなにも会えなくなってしまう。ランさんだって無事では済まないだろう。帰りを待っているミティーちゃんとミーアくんがどんな思いをするだろうか。私の視界はじわりと熱くにじんだ。

「させる、かよっ!」

 その時、ランさんが背後からエドワードさんへと飛び掛かった。いつの間にかエドワードさんのすぐ後ろまで接近していたランさんの両手は真っ赤に染まっていて、ぼたぼたと血が滴っている。ランさんがなりふり構わず剣へと手を伸ばすので、エドワードさんも慌てて剣に触れさせまいとする。エドワードさんが剣の方へ気を取られた隙に、ランさんは手に握っていたなにかの破片をエドワードさんに向かって投げつけた。

「くっ」

 エドワードさんが叩き落としたその破片は、血塗れになったシャンデリアの装飾だった。部屋の中央に落下したままになっているシャンデリアのところから、床に点々と血の跡が残っている。手を、わざと、切ったのか。

 ランさんとエドワードさんはしばらくもつれ合うようにして取っ組み合いを続けていたが、それはエドワードさんがランさんを蹴り飛ばしたことによって終わった。エドワードさんはひどく慌てた様子で、剣に血が付着していないか確認している。私は床の上に這いつくばって荒い息を吐いているランさんの元へ駆け寄った。

「ばか、早く逃げろ……! 狙われてるのは、あんた、なんだ……」

「ランさんも一緒じゃなきゃいやです!」

「そんなこと、言ってる場合か……」

 私は必死に首を横に振る。ランさんの手を引いて立ち上がらせようとするが、私の力だけでは足りなかった。ならばと腕を肩に回し引っ張り上げようとするが、それもうまくいかない。恐怖と焦りでぐちゃぐちゃになっているであろう顔から涙がこぼれた。泣いてどうなるわけでもないのに。ランさんがひどく痛そうな顔で私を見上げた。

 唐突に、ばたんと大きな音を立ててドアが開いた。

「そこまでだ!」

 知らない男の人の声が響き、険しい顔をした男の人たちがばらばらと部屋の中へなだれ込んでくる。彼らはまっすぐにエドワードさんを目指して突進した。エドワードさんは咄嗟に剣を構えて男の人たちを牽制しようとするが、彼らが躊躇せず突っ込んできたため剣を下ろした。あの剣で彼らを切るわけにはいかないはずだ。エドワードさんは片手に使ってはいけない剣を持ち、片手で男たちに応戦しようとする。だが複数の人間を相手にかなうわけもなく、男たちはあっという間にエドワードさんを取り囲み、抵抗ができないように押さえこんでしまった。

「やめろ、何をする! それに触るな!」

 当然エドワードさんは逃れようと暴れるが、複数のいかつい男性にのしかかられていては満足な抵抗などできるはずもない。黒い剣も取り上げられてしまい、狂ったように叫んでいる。

「……自警団か」

 私がぽかんとしている横で、ランさんが小さく呟く。自警団というのは、悪い人を捕まえて、街を守ってくれる人たちのことだ。それならば彼らは私たちを助けに来てくれたのだろうか。

「助かったんですか?」

 自分の声が思っていたよりも震えていたことに驚く。ランさんがこくりと頷いて、気遣わしげに私を見た。ランさんに心配をかけてしまっているようだ。本当はランさんの方が心配されるべき状態なのに、こんなことではいけない。私は目をこすって涙を拭い、ランさんの怪我の手当てをしようと彼の手を取った。

「よう、ラン! なんか疲労困憊してるな」

 背後から明るい声がかかる。振り向くと、そこに立っていたのは見知らぬ男の人だった。エドワードさんを捕まえた自警団の方々よりはだいぶ年若い、というよりもランさんと同い年ぐらいの青年だ。くせのある薄いブラウンの髪と、明るく輝くグリーンの瞳が活発な印象をかもしだしている。

「……なんで、おまえ、ここに」

 どうも知り合いらしい。答えるランさんの声が少し呆れたような、笑っているような、優しいものだった。青年はにやっと笑い誇らしげに胸を張る。

「俺さまは名探偵だってことだよ!」

「なんだそれ……」

 ずっと緊張して強張っていたランさんの表情がようやく和らいだ。ふっと笑った顔が子供のようにあどけなく、ミーア君のものと同じだと気付きなんだか少し安心する。

 だが次の瞬間、ランさんの体がぐらりと大きく傾いだ。

「ランさんっ」

 倒れる体を支えようと手を差し出す。緊張の糸が切れたのか、ランさんは完全に意識を飛ばしてしまっていた。腕の中に抱きとめたランさんの体はまだ冷たい。

「お、限界か。お嬢ちゃん大丈夫? 俺が運ぶよ」

「あ、あのっ、お医者様を呼んでください!」

 青年は私の言葉を聞いて大きな目をぱちぱちと瞬いた。今のランさんには、外から見て分かる傷が手のひらにしかない。だが問題なのはそこではないのだ。私はランさんが昨夜からこの場所にいて凍えきっていたことを青年に伝えた。話を聞いた青年の顔が真剣味を帯びる。

「分かった。大丈夫だよ、すぐに医者に診せるから、もう心配しなくていいからな」

 その頼もしい言葉を聞いて、私はさっき拭った涙がまたにじみ始めたのを感じつつ頷いた。

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