03 診療所にて
ドアベルがころんころん、とこもった音を立てる。ワンピースの上から羽織ったショールをぎゅっと首のまわりに巻き付け、私は冷たい空気で満ちた庭へ出た。吐く息は真っ白だ。ついこの間まで夏だったはずなのに、時が過ぎるのは本当に早い。
私は今、オルドジヒさんの診療所で働かせてもらっている。もともとは、近所に住んでいるおばあさんがお手伝いをしていたそうなのだけど、足を悪くして辞めてしまったという。おばあさんには申し訳ないけれど、こういう形で仕事がもらえたのは本当にありがたかった。男の子のように力仕事ができるわけでもないし、なにか特別なことができるわけでもない。それに加えて孤児院の出身ともなれば、自分の口を糊するのも大変なことのはずだ。
せめて、自分のできることは一生懸命やろう。診療所の診察時間が終わったいま、庭の掃き掃除を始めようとしているのはそういうわけだった。
もう秋も終わりだ。診療所の庭は小さなものだが、建物をぐるりと取り囲むように木が並んでいるため掃いても掃いても枯れ葉が落ちてくる。一時間も経つ頃には足元にこんもりと落葉の山ができあがっていた。孤児院ならば子供たちが喜んで遊び捲き散らかしてくれるところだろう。その情景を思い浮かべ笑みがこぼれる。診療所に住み込みになってから、しばらく孤児院へは帰っていない。今度診療所がお休みになったら、子供たちと遊びに帰るのもいいかもしれないと思った。あの子たちは私のことを待っていてくれるだろうか。もし忘れてしまっていたら、思いっきり楽しく遊んでもう一度思い出してもらおう。
あらかた掃除が終わり、箒を片付けていたときだった。大通りの方から一台の馬車が角を曲がり診療所の方へ向ってくるのが見える。患者さんかもしれない。もう診察時間は終わっているのだけれど、オルドジヒさんはそういうことを気にしない人だ。診察時間であろうがあるまいが、ご飯を食べていても眠っていても、患者が来たとなれば当然のように治療をしてあげる。失礼ながらお顔は少し怖いのだけど、心はとても優しい人なのだった。オルドジヒさんに知らせようと戸口の方へ戻る。そんな私の背中に向かって、聞き覚えのある明るい声が飛んできた。
「シェナ!」
「ミティーちゃん!?」
驚いて振り返ると、ミティーちゃんが診療所の前で止まった馬車の窓から身を乗り出していた。満面の笑みでぶんぶんと勢いよく手を振っている。
「会いたかったよ!」
飛び込むように抱きついてくる彼女を受け止めると、お菓子のような甘い香りがふわりとただよう。半年ぶりに会った彼女はずいぶん女の子らしい恰好をしていた。少し伸びた髪は二つに分けてまとめられ、飴玉みたいに綺麗な色をしたガラス細工の髪留めを挿している。服装も上質な生地のワンピースで、いかにも良いお家のお嬢さんという感じだ。
「お久しぶりです、ミティーちゃん。すっごく可愛いですよ!」
「そ、そう?」
ミティーちゃんは少し恥ずかしそうに、だが満更でもない様子で笑った。私の手をぎゅっと握ると、ウサギのようにぴょんぴょん跳ねる。
「オル爺のところにいるって聞いて飛んできたの! そうそう、ミーアもいるのよ。ミーア? 恥ずかしがってないで早く出ておいで!」
ミティーちゃんが馬車の方に呼びかけると、まだ幼い男の子がおずおずと顔を出した。ミーア君だ。私はまだ一度か二度ぐらいしか会ったことがないが、見間違えはしない。何と言っても彼らきょうだいはそっくりなのだ。長男のランさん、長女のミティーちゃん、そして次男のミーアくん。三人ともが焦げ茶色の髪と暗い赤の瞳を持っている。特に、性別が同じということもあってか、ランさんとミーア君はよく似ていた。ランさんの子供の頃を知っているわけではないが、きっとこういうお顔をしていたんだろうな、と思える。
「ミーア君も、こんにちは。私のこと覚えてますか?」
声をかけてみると、ミーア君はますます恥ずかしそうに、馬車の窓を隠すカーテンの後ろに逃げてしまった。どうやらお兄さんとは違って大人しい子のようだ。かわいいなあ、と微笑ましく見ていると、ミティーちゃんが馬車の方へ駆け寄っていく。
「ほら、おいで。手つないであげるから」
ミティーちゃんが手を差し出すと、ミーア君はおずおずとその手を取り馬車から飛び降りた。ミティーちゃんの後ろに隠れながら私の方を見上げてくる。私は彼らに近付くとしゃがみこんで目線を合わせ、意識してにこりと微笑んだ。
「こんにちは、ミーア君。私の名前はシェナっていいます。よろしくね」
「……ぼく、おぼえてるよ」
「あら」
「おねえちゃんと、おにいちゃんの、おともだちでしょ」
「ふふ、覚えててくれたんですね。ありがとうございます。ミーア君も、お友達になってくれませんか?」
「うん、いいよ」
ミーア君がその小さな手を伸ばしてきたので、二人で握手をする。ミーア君はくすぐったそうな顔をして、嬉しさを隠しきれずに笑みをこぼした。その笑い方が彼のお兄さんと生き写しに見えて、私の頬も緩みきってしまった。
「わっ、すごい落葉! ねえねえ遊ぼうよ、家じゃ汚れるからって庭で遊ばせてもらえないのよ」
ミティーちゃんは私のかき集めた落葉の山を見とめたようだった。おもちゃを見つけた猫のような目をしている。別に、遊ぶのは構わないのだが、そのお洋服を汚すのはさすがによくないだろう。何と言おうか迷っていると、馬車の馬を繋ぎ止めていた御者さんが慌てて私たちの会話に割り込んできた。
「いけませんお嬢様、そのお召し物では……それに、少しご挨拶をするだけという約束だったじゃないですか。遊ぶような時間はありませんよ。奥様も旦那様もご心配されます」
「大丈夫だよ、ちょっとくらい!」
「騙されませんよ。この間も同じことを仰って、川に滑り落ちてびしょ濡れになったのをお忘れですか!」
「うん、忘れた。だから遊ぼ!」
全く聞く耳を持たないミティーちゃんの様子に、御者さんは文字通り頭を抱えた。私は密かに彼に同情する。彼女の相手をするのはなかなか大変だろう。それにしても、私はいったいどちらの味方をするべきだろうか。
「あのう……」
「あ、すみません、申し遅れました……私はヒューム家にお仕えしている者でして、エドワードといいます。見ての通り御者をしていまして、お嬢様とミーア坊ちゃんの学校への送り迎えを仰せつかっています」
「私はシェナといいます。ここの診療所で住み込みで働かせていただいています」
御者さん改め、エドワードさんは礼儀正しくぴしりと私に挨拶をしてくれた。黒く短い髪に優しそうな緑色の瞳をした、笑顔の似合う爽やかな好青年だ。今は笑顔ではなく、ミティーちゃんに翻弄される情けない表情をしているけれど。
そして私たちが挨拶を交わしている間に、ミティーちゃんはミーア君の手をとり落葉の山へと突進していってしまった。エドワードさんがそれに気付きしまったという顔で二人の方を見たとき、彼らはちょうど落葉の中へ飛び込む瞬間だった。
「あ……ああ」
思わず声が漏れた。自ら飛び込んだミティーちゃんと、引っ張り込まれたミーア君が落葉の中を転がる。エドワードさんはもう一度頭を抱えた。ミーア君が思いっきり転んだのを見て、大丈夫かと心配になるが、顔を上げたミーア君の目はきらきらと輝いていた。ミティーちゃんが両手いっぱいに持てるだけの落ち葉をかき集め、ミーア君の頭上に降らす。ミーア君はきゃあっと歓声をあげ、自分も落葉をかき集めるとミティーちゃんに向かってぱっと振りまいた。ミティーちゃんも悲鳴をあげる。綺麗にまとめた髪はあっという間にぐしゃぐしゃになって落葉がくっついていた。服も落葉と砂があちこちについてしまっている。
「ああっ、もう、お嬢様あ!」
もう手遅れだと思うのだが、エドワードさんは二人を止めに走った。落葉の中から引きずり出そうとして、逆にミティーちゃんに引っ張られて落葉へ突っ伏してしまう。私は噴き出してしまった。
「騒がしいな。……おや、お嬢様にミーア坊ちゃん」
診療所の窓からオルドジヒさんが顔を出した。落葉を散らかすミティーちゃん、ミーア君、止めようとして落葉まみれにされているエドワードさんを苦笑気味に見下ろす。
「あっオル爺こんにちは! オル爺のとこって落葉すごいね! 楽しい!」
「それはよかった。終わった後はちゃんと片付けないといけませんよ。折角シェナ嬢が掃除してくれたんですからな」
「うん、分かった!」
元気よく返事をしてまた落葉遊びに戻る。私が集めた落葉はどんどん散らかされていったが、二人の賑やかな声を聞いていると不思議にがっかりする気持ちは湧いてこなかった。私も混ぜてもらおうか。みんなの方へ歩き出したとき、背後から足音が聞こえた。
「……なにやってんだ、あいつら」
「え」
すっかり呆れきったその声には聞き覚えがあり、振り返った私は目を丸くした。
「ランさん! お久しぶりです、どうしたんですか」
現れたのはヒューム家の長男、ランさんだった。彼に会うのも半年ぐらいぶりだ。髪を短く切り、きちんとスーツを着こなしている彼はずいぶん大人びて見えた。
「ちょっと話があって、寄ってみたんだ。まさかあいつらがいるとは思わなかった」
「ついさっき、遊びに来てくれたんですよ。ミティーちゃんもミーア君も元気みたいで、ほっとしました」
「俺も安心した。まあ、あんたじゃないだろうとは思ってたけどな」
「え?」
「最近起きてる連続殺人事件、知ってるか」
ランさんの口から物騒な言葉が飛び出した。彼は少し怖い顔で、こちらに気付かず遊んでいる弟妹たちを見つめている。
巷で起きている殺人事件のことなら、耳にしたことはあった。診療所によく来るおじいさんおばあさんたちが教えてくれたのだ。新聞は難しくて読めないから伝聞でしかないが、ここしばらく若い女性が殺される事件が相次いでいるとか。お嬢ちゃんも気を付けるんだよ、と親切な人たちが心配してくれたのだ。オルドジヒさんも気にしているようで、市場へお使いに出されるのはいつもお昼の明るい時間帯だった。幸い、今のところ怪しい人を見かけたり声をかけられたりしたことはない。
「あの事件の被害者は皆、金髪の少女だそうだ」
「金髪ですか」
ランさんが頷く。私は思わず自分の髪を撫でた。私の髪の色も金なのだ。
「犯人の目的も分からないし、目星もついていないらしいんだが……そういうわけだから、あんたは特に注意した方がいい」
「そう、ですね。はい。気を付けます。ランさん、もしかして私にそれを教えにきてくださったんですか?」
ランさんを見上げると、彼と目が合った。そう思ったのもつかの間、ランさんはふいと目を逸らし何も答えずにミティーちゃんたちの方へ歩いて行ってしまう。ランさんに気付いたミーア君が笑顔で手を振っている。ランさんも小さく手を振った。
「ミティー、ミーア。何やってるんだこんな所で」
「うげっ」
「おにいちゃん、たのしいよ! あそぼう!」
「ランドルフ様!?」
落葉に埋もれた三人は三者三様の反応を示す。ミーア君は嬉しそうにランさんに抱きつき、ミティーちゃんは怒られることを予想してか早くも口をとがらせている。エドワードさんは驚き、謝り始めた。
「申し訳ありません、このような時に寄り道などしてしまって……」
「いや、いいよ。どうせミティーが我儘を言ったんだろ」
足元にまとわりつくミーア君の頭をくしゃりと撫でてやりながら、ランさんはため息をついた。ミティーちゃんがますますふくれっ面になり、ぷいっとそっぽを向く。
「あのな、あんまりエドを困らせるなよ。最近は特に物騒なんだ。寄り道なんてしてるんじゃない」
「お兄ちゃんだってシェナちゃんに会いに来てるじゃない。自分はいいのに私たちはダメっておかしいわよ」
「お前らと俺じゃあ心配のされ方が違うだろう。家で皆が心配してるんだ」
「へー、お兄ちゃんのことは誰も心配してないって言いたいわけ? そんなわけないよね? ママは昨日もお兄ちゃんの帰りが遅いって泣いてたわよ。一番我儘なのはお兄ちゃんなんじゃないの?」
「……ぐ」
相変わらずミティーちゃんはランさんに容赦がなかった。すらすらとランさんを問い詰めていく様を、ミーア君とエドワードさんがぽかんと見つめている。ランさんが苦虫を噛み潰したような顔をしているので、私は割って入ることにした。
「まあまあ、その辺にしておきましょうよ。ここは木が多いですから、明日も明後日も落葉ならたくさんあります。ひとまず今日はここまでにして、また明日も遊びましょう。ね?」
「あしたも、あそべる?」
ミーア君がきらきらした目で私とランさんを見上げた。ランさんは一瞬言葉に詰まり、諦めたように力ない笑みを浮かべる。
「……そうだな。その代わり、明日も俺が迎えに来たらすぐに帰るんだぞ」
「おにいちゃん、むかえにきてくれるの?」
「ああ」
「やったー!」
喜ぶミーア君とランさんをよそに、ミティーちゃんはまだふくれっ面をしていた。それでもエドワードさんに促されると大人しく従い、服と髪を軽く整えて帰り支度を始める。散らかした落葉をもう一度かき集める作業は皆が手伝ってくれたのですぐに終わった。
友人との約束があるというランさんを見送り、馬車に乗りこんだミティーちゃんとミーア君にも手を振って、私は診療所の中へと戻った。
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