第6話 孤児院の伯爵夫人

 ミティーちゃんと二人で歩いて行くうちに、まわりの風景はどんどん変わっていった。最初はキャロルさんのお家ほどではないにしても、大きくて綺麗な家と、花の咲き誇る手入れされた庭が並んでいた。それがやがて家は小さく庭は狭くなっていき、街並みも少しずつ汚くなっていく。キャロルさんの家のまわりはほとんど人通りがないのだがこの辺りではたまに歩いている人を見かけた。明らかに貧しそうに見えるような服装の人はいないが、最近私が見慣れていたものよりは質素にしている人ばかりだ。やっぱりキャロルさんはかなりのお金持ちのお嬢様らしい。ふと、私は自分たちが目立っていないか心配になった。ミティーちゃんはキャロルさんを怒らせたあの男の子みたいな恰好のままだし、一方私は借り物のふわふわした高そうなワンピースだ。

「シェナちゃん、どうかした? まさか追手が来てたりする?」

 道行く人の目を気にする私を見て、ミティーちゃんは不安げにそう尋ねてきた。私はいえ、と否定してあまりきょろきょろしないように努める。それほど人々の視線を感じるわけではないし、気にしない方がいいだろう。挙動不審にしてはかえって目立ってしまう。別に悪いことをしているわけではないし、堂々としていればいいのだ。ただ、キャロルさんに何も言わずミティーちゃんをこうして連れ出していることは……悪くないと言い切れないけど。

 だんだん小さくなっていく家々の列は、ある角を曲がったとき肩ぐらいの高さまであるレンガ造りの壁に変わった。道のどちら側も壁だ。壁の向こうには背が低いけれども大きな建物が見える。装飾はあまり見られない。長い煙突が何本か空に伸び、灰色の煙を吐き出していた。

「この辺にはね、工場がいっぱいあるんだよ」

「工場ですか」

 私はこの町の地図を思い出した。確か孤児院があると指された辺りにはやたらと大きな家がたくさんあったはずだ。あれは工場だったのか。

「うちのパパの工場もこの近くにあるの」

「お父さんの工場?」

「うん。知らない? レヴァント・ヒュームって。うちのパパはけっこう有名人だよ。商人なの」

「そうなんですか……すみません、記憶が戻れば思い出すかもしれないんですけど」

「あ、そっか。えーっとね、工場も持ってるし、あと船もあって貿易もしてるよ。だから外国にいることが多いんだけどね、今はオールダムに帰ってきてるんだ」

 それでは、ミティーちゃんのお家もだいぶいいお家なのではないか。彼女だけではない、ランさんもだ。息子だけでなく娘までが家を出たと知ったら、そのレヴァントさんという人はどうするだろうか。当然人を使って探させるだろう。ミティーちゃんはまだ子供だ。お金持ちなんだから、今頃はかなりの人数で彼女を探しまわっているのかもしれない。

「ミティーちゃん、お父さんの工場の近くに来てしまったら、見つかってしまうんじゃ」

「大丈夫だよ、あたし変装してるから!」

「えっと……」

 変装になっていませんよ、と言うべきかどうか迷って苦笑する。彼女の「変装」していない姿を見たことがないからもしかしたら案外本当に変装になっているのかもしれないが、メイドさんたちもキャロルさんもそれに戸惑うような素振りは全く見せなかった。実際男の子の恰好こそしているが、十四歳だという彼女はまだ成長しきっていないとはいえ十分女の子らしい体つきになっている。その外見と服装が合っていないので妙に目立つのだ。

 ふと、後ろからスカートを引っ張られたような気がして、私は反射的に足を止め後ろを振り返った。誰かに見つかったのかと思ったのだが、最初は視界に人影が映らず一瞬だけ混乱する。だが目線を下に向ければ、そこには大きな目を見開いて私を見つめている小さな男の子がいた。栗色の巻き毛が、今にも泣き出しそうな頬を縁取っている。服も靴も少し彼の体には大きいようで、黄色みがかった上着は首のところから痩せた肩が見えそうだ。

「おねえちゃん? そうだよね、おねえちゃん」

「えっ、その……」

 男の子はもう一度強く私のスカートを引っ張った。答えあぐねた私はスカートを押さえながら助けを求めてミティーちゃんを振り返る。すると彼女はどこかひんやりとした表情で首をかしげた。

「なあに、この子?」

「ねえおねえちゃん、かえってきたんだよね、またいっしょにうちにいるんだよね?」

 男の子には私の反応が思わしいものではないようで、焦った様子で私の体に手を回すようにしてしがみついてきた。とても小さい子なので体といっても実際に手を回しているのは太腿の部分だ。だからかなりくすぐったい。私はそれに耐えながら彼に話しかける。

「あの、もしかしてこの近くの孤児院の子ですか?」

 彼の幼い顔にはっきりと困惑の色が浮かんだ。まわした腕をそうっと話して、ごにょごにょと小さな声で呟くように答え少し怯えた目で私を見上げてくる。

「そうだけど。……なんでそんなこというの? ぼく、ジャンだよ。しってるでしょ」

「ジャンくんっていうんだ」

 固まる私を押しのけるようにして、ミティーちゃんが私とジャンくんとの間に割り込んだ。ジャンくんは怯んで一歩後ずさる。ミティーちゃんはしゃがみこんで彼と目線の高さを合わせた。

「はじめまして、ジャンくん」

「……はじめまして」

「ジャンくんは何歳かな?」

「え、えっと、えっとね、六さい」

「そっかー。あたしの弟もね、おんなじ年だよ。でもジャンくんの方がおっきいなあ」

「ほんと?」

 警戒していたジャンくんの表情が少し柔らかくなる。

「ほんとほんと」

 その時、ミティーちゃんはただ感心してぼうっと見ていただけの私をちらりと振り返った。彼女はにやっと笑ってウインクをして見せる。私は軽くうなずいて彼女と同じように膝を折りもう一度ジャンくんに話しかけた。

「ジャンくん、私、孤児院に帰りたいんですけど、孤児院はあっちでしたっけ?」

 帰りたい、と言ったのはもちろんわざとだ。ジャンくんは私のことを知っているみたいだから、同じ孤児院の子供なのだろう。記憶喪失であることを打ち明ければ話が早いかもしれないが、こんなに小さな子供が理解できるかどうか分からない。それに何より、あなたのことを覚えていないなんて告げることはあのすがりつくような手を振り払うことのように思えて気がとがめた。

 ジャンくんは大変なことが起こった、という顔をした。適当な方向を指差した私の右手を慌てて両手で握り、首を思いっきり横に振る。

「ちがうよ! こっちじゃなくてあっち! ぼく、おしえてあげるからいっしょにいこう」

 そうまくしたてると、彼はぱっと私の手を離して走り出した。十数歩ほど進んでから、やっと立ち上がったばかりの私たちを振り返って「はやくー!」と元気な声をあげる。私たちは顔を見合わせてくすりと笑った。

 何度も何度も振り返りながら先を走っていくジャンくんに続いて、少し急ぎ足になってレンガの壁の間を進んでいく。ふと横にいるミティーちゃんを見ると、彼女はまたさっきのひんやりした表情に戻っていた。

「ミティーちゃんは小さい子が好きなんですか」

 私はあまり深く考えずにそう質問する。ミティーちゃんは考え事でもしていたのか、まるで私が横にいたことに今気付いたかのように目を丸くして私を見た。

「あー、まあね」

 彼女は口をゆがめて力なく笑う。そして視線をジャンくんの背中に向ける。

「さっきのは半分ウソだよ」

「え?」

「ミーアは……弟は確かにあの子と同じ六歳で、背は低かったけど、今は十歳だから」

 だからもうだいぶ大きくなったと思うよ、と言って彼女は笑う。私はそれが笑顔には見えなかった。

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