第9話 アリスは証言する --6

「……シェナ、か」

「ひゃっ」

 眠っていたと思っていたルノさんに突然声をかけられ、私は変な声を上げてしまった。彼は突っ伏していた体を起こして、眠たそうな目で私を振り返る。かけたばかりの毛布が床にずり落ちた。彼が腕を伸ばしてそれを拾い上げ、もう一度私を見る。

「ありがとう」

「あ、いえ、どういたしまして。ごめんなさい、起こしちゃったみたいですね」

「いや。かまわない、寝るつもりはなかったんだ」

 ルノさんは気だるそうに机の方へ視線をやり、そこにあるマリオネットに気付くと目を見張った。手を伸ばしてそれを取り、ひっくり返したり服をめくってみたりして観察し始める。彼はとても嫌そうにいろいろと叫んでやめろ、はなせと繰り返していたがもちろんその声はルノさんには届かない。しばらくすると諦めてしまった。

「それ、捨てると聞いたのでもらったんです。ごみに埋もれていたので」

「そうか。これも持っていたのか」

 私の声をあまり聞いていないらしいルノさんの話し方はどこかいつもと違っているように思えた。驚いたような、嬉しいような、切ないような、なんとも言えない感情がにじんで聞こえる。

「これは師匠が初めて作ったマリオネットだ。いつも仕事場に置いてあったが、こうして手に取るのは初めてだな。師匠が子供の頃のものだから・・・・・・60年ほど前だ」

「そんなに古い物なんですか」

「ああ。しかしさすがに作りがおかしいな。これでは動かせない」

「えっ」

 私はルノさんの手元をのぞき込んでマリオネットを見た。確かに糸は切れてしまっているけれど、その他にどこがおかしいのか全く分からない。首を傾げる私に彼が説明してくれる。

「見よう見まねで作ったんだろう。間接がうまく曲がらないし、糸をかける場所が少し違う」

『うるせえよバカっ。帽子屋は黙ってろ!』

「そうなんですか」

 彼の手からぶら下がったマリオネットが悪態をついた。それを聞きながら、こうも駄目出しされては怒りたくもなるだろうと同情する。マリオネットにとって、動かしてもらえないのはどれだけ悲しいことだろうか。人間とは違って自分では一切動くことができないのだ。人形劇という舞台の上で役を与えられれば、その間だけ喋って踊る生きた人形となれる。もしくは子供の部屋に飾られておままごとの登場人物になれる。もし不良品の烙印を押されたらそれはかなわない。

 悲しい思いに私の気持ちが沈んだのを悟ったのか、ルノさんはマリオネットと私を見比べてこう言った。

「なんなら、動かせるように修理するが?」

「え」

『ふっざけんなよこの野郎!!』

「きゃっ!?」

 次の瞬間マリオネットの怒号が耳を打った。その声色はそれまでの叫び声とははっきり違っていて、ルノさんの手の中で暴れ出さないのが不思議なくらい乱暴な声だ。思わず声を上げてしまった私は、ルノさんの顔に困惑が浮かんだのを見て慌てて取り繕おうとするが、言葉が出てこない。耳を覆いたくなるような怒号が部屋中に満ちていて、気を取られてしまう。私は何も言えないまま半ば強引にマリオネットをルノさんから奪い取った。少し声が落ち着く。

「あ、あの、その、それはダメみたいです。すごい声で、嫌だって」

「すごい声?」

 ルノさんの眉間にしわが寄る。私は叱られているような気分になったが、口にしてしまった以上続けるしかなかった。音量は下がったもののまだぎゃあぎゃあ喚き続ける声をうるさく聞きながら告白する。

「私、マリオネットの声が聞こえるんです。だから、この子の声も。今もなにか、叫んでます」

 彼の顔色がざっと青ざめた。あまりに劇的に変わったので、倒れるのではないかと心配したほどだ。彼は椅子から立ち上がって、驚く私の両肩を掴む。痛い。

「君は、もう人形じゃないんだ! そんなものが聞こえるはずはない、聞こえてはいけない!」

「え……いやっ!」

 がくがく、と強く揺さぶられて私は小さく悲鳴を上げた。ルノさんがはっとして弾かれたように手を離す。私はなんだか分からないけど、マリオネットを抱きしめながら目の奥がじわりと熱くなるのを感じた。視界がにじむ。ルノさんがどんな顔をしているのか見れない。やっぱり話すべきじゃなかった。マスターのことは、何も言っていないのだけれど。

「ごめんなさいっ」

 勢いでぺこりと頭を下げ、すぐにきびすを返してドアを開け外に出る。ルノさんに呼び止められないように、私は全速力で自分の部屋へ駆け戻った。


 はあはあと肩で息をしながら自室へ入る。ドアを閉めてそのまま床にへたりこみ、しばらく何も考えないようにしようと思いながらドアに背中を預けた。マリオネットをそっと床のカーペットの上に下ろし深くため息をつく。部屋の中は明るかった。夕食後にメイドさんがやってくれたのだろうか、開けっ放しにしていたカーテンはちゃんと閉められていてランプには火が灯されている。小さなランプの中でささやかにちろちろと燃えている炎をぼうっと見つめていると、床のマリオネットがうんざりした様子で話しかけてきた。

『なんだよ、突然走り出してさ。まあこっちは助かったからいいけど』

「……はい」

『帽子屋のやつは無遠慮に触ってきやがるし、アリスはアリスで僕を振り回すし』

「ごめんなさい……」

『あーあ。ついてないや』

 ぼんやりと答えていた私は、そこで彼とは会話が成り立たないことを思い出す。駄目だ、これでは駄目だ。誰もこんなことを信じてはくれないし、マリオネット本人から聞くこともできない。本当に彼がマスターを操っていたのか確かめるには、彼が言っていた通り彼をマスターに触れさせればいいのだが、そういう訳にもいかない。捕まって縛られているとはいっても、あの冷酷なマスターが現れたら大変だ。

「もうやだ……」

 ぽつりと吐いた弱音は思いの外情けない響きで、私はかえっておかしい気持ちになった。もう夜になっているのだし、いっそ眠ってしまおうかと思い床に手をついて立ち上がる。ふわりと広がるスカートの中になにか重たいものを感じた。スカートの上からさわると何かごつごつしいたものがポケットに入っている。そこでやっと気付いた。これはルノさんのポケットからこっそり取ってきてしまったものだ。ポケットにそっと手を差し入れて、固いそれを掴んで取り出す。緑色のまるでおもちゃみたいな銃が私の手にあった。

 この銃は言わずもがな、マスターが持っていた銃だ。普通の武器ではない。これで撃たれた人間はマリオネットになってしまう。ルノさんが撃たれて、帽子屋さんのマリオネットになった時のことをまだ覚えている。私もきっとこれで撃たれたんだ。記憶はだいたい戻ったのに、その辺りは結局戻らなかったけれど。

 私は床の上のマリオネットに視線を落とした。今は彼も静かにしている。銃を右手に持ちゆっくりと身をかがめて彼を持ち上げる。ぶらりと下がった手足が互いにぶつかりあってからからと軽い音をたてた。口の中がからからになっている。私は右手の銃を脇にはさんで彼の体をひっくり返す。さっきルノさんがいじっていたときに見えたのだが、背中の木の部分に何か文字が彫ってあったのだ。服をめくって確認してみると、それは彼の名前だった。チャーリー。彼はチャーリーだ。

 部屋の中を見回し、小ぶりのドレッサーの上に彼を置く。ドレッサーの引き出しを開けて、大きめの手鏡を取り出す。椅子の上に鏡を立てて、ちょうどドレッサーの鏡と手鏡が合わせ鏡になるようにした。マリオネットの糸をひっかけて、彼を合わせ鏡の真ん中に吊す。もし糸が切れてしまってもいいように、その下にはクッションを一つ敷いておいた。


 そして私はベッドに腰掛け、深呼吸を一回してから自分の心臓めがけて引き金を引いた。

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