第9話 アリスは証言する --5

 マリオネットが人間を操るだなんて、我ながらおかしなことを考えているとは思う。だってそれでは立場が逆だ。マリオネットは人間に操られるものだから。普通ではありえないことだ。でも今の状況は普通じゃない。人間がマリオネットになり、その人だけ一切時が止まってしまうなんて、冷静に考えればあまりにも非現実的なことだ。だったらマリオネットに操られることだってあるかもしれない。そもそも私は、マリオネット本人からそうとしかとれない言葉を聞いたのだ。

 ドアをノックし、中から返事が聞こえたか聞こえないかぐらいに開く。夕暮れ時のいま部屋の中の照明はどれも火が入っておらず、少し薄暗かった。奥にはランさんのベッドがあり、もうだいぶよくなった彼はベッドの上やサイドテーブル、さらには近くの床にまで分厚い書物をたくさん重ねて読書にふけっていた。ベッドの横の窓が全開になっていて、太陽が一日の最後に放つ真っ赤な光が射し込んでいる。窓辺にはぽっかりと書物の置かれていない空間があって、そこには彼とミティーちゃんの弟が小さなクッションの上に座らされていた。

「すごい量ですね」

「本業は学生だからな。大学にはほとんど顔を出せないから、自分で勉強するしかないんだ」

「でも、目に悪いですよ。灯りを点けないと」

「もう悪くなってるよ」

「もっと悪くなったら困るじゃないですか」

 ランさんは子供みたいな言い訳を言って肩をすくめる。私は苦笑して火を灯そうとランプに手を伸ばした。だが彼はいいよ、というように手を振って読んでいた分厚い本を静かに閉じる。

「急ぎの用じゃないのか」

「あ、そうでした」

 すすめられた椅子に腰掛け、私は言葉を探す。だがあまり何も考えず勢いでやって来てしまったので、どう説明すれば彼にうまく伝わるのかよくわからない。しばらく迷った後、結局ありのままに話すことにした。

「あのですね、ランさん。私、マリオネットの声が聞こえるんです」

「声?」

「ええ。マリオネットも、人間には聞こえないけれどいろんなことを考えて、マリオネット同士でお喋りしたり独り言を言ったりするんです。その聞こえないはずの声が私には聞こえているみたいなんです」

「はあ」

 ランさんは、腑に落ちないといった表情でうなずく。私は前のめりになって一生懸命に話す。

「それで、マスターのマリオネットが言っていたんですけど、その子はマスターのことを操っていたみたいなんです!」

「あ? いや悪い、もう一度……」

「マスターは、マリオネットに操られていたんですよ!」

 彼がぽかんと口を開けた。本当に絵に描いたように呆気にとられた顔をしている。返す言葉も見つからないらしい。私は高ぶっていた気持ちにふっと影が差すのを感じた。きっと、この人は、信じてくれない。

「ランさん、本当なんです、本当に!」

「……ショックだったのは分かる。でも現実逃避はどうかと思うぜ。夢でも見たんだろ、あんた」

「夢、ですか」

 思いの外優しい彼の声につられて勢いをそがれる。私はマリオネットの告白を聞いた瞬間を思い浮かべる。ついさっきのことなのだから、はっきり覚えているに決まっているのだが。どう考えても夢ではない。だがそれを再びランさんに主張する気は失せていた。私は彼に一言謝って、夕日の射し込む部屋を後にした。


 次に私はキャロルさんに話をしようと、彼女の姿をお屋敷の中で探し回った。最初は彼女の部屋に行ったのだがそこは今マスターを閉じこめておくために使われているのだった。中でルノさんが怒っているのかと思うと恐ろしかったが、恐る恐るノックをしてキャロルさんはいますかと尋ねたところ、メイドさんらしい女の人の小さな返事があった。中にはいないらしい。

 結局夕食までに見つけることはできなかったが、幸いながら夕食は彼女と二人っきりだった。ルノさんはまだマスターのところにいて、ミティーちゃんはランさんと一緒に彼の部屋で食べている。ミティーちゃんはここ最近ほとんどずっとランさんにくっついているが、それは兄が気になっているのと、兄の部屋に置かれているマリオネットの弟が気になっているのと、あとはキャロルさんにそろそろ家に帰れとお説教されることを警戒しているのだと私は思う。さすがにキャロルさんも、ランさんの怪我がすっかりよくなるまではあまりしつこく言わないだろうと思うけれど、彼女の場合たまに感情が爆発することがあるのでなんとも言えない。

 何はともあれ、キャロルさんと二人になれたのは都合がよかった。夕食後のお茶を飲みながら、メイドさんたちがちょうど全員いなくなったタイミングでランさんにしたのと同じ話をした。食べながらいろいろ考えてはいたのだが、ほとんど同じような言い方になってしまったのは仕方がないだろう。私にはマリオネットの声が聞こえる、マリオネットがマスターを操っていたと言っていた、それぐらいしか言うことはないのだから。

 なにやら沈んでいるらしいキャロルさんの反応は鈍かった。彼女はぴたりと手を止めて、しばらく私をまじまじと見ながら黙り込み、少し首を傾げて一言もらす。

「シェナ、あなた疲れているのよ」

「……そうですね」

 ため息をつきたい気分だったが止めておいた。もちろん疲れている。気が休まる暇がないのだ。


 最後に、私はルノさんにも話してみることにした。彼にマスターの話をすることは気が進まないのだけれど、ランさんやキャロルさんと違って彼は私と同じくマリオネットになったことがある。先の二人は私の言葉を少しも信じてくれなかったけれど、ルノさんなら少なくともマリオネットがしゃべることぐらいは分かってくれるだろう。私はいったん自分の部屋に戻って、「チャーリー」と呼ばれた例のマリオネットを抱えてルノさんの部屋に向かった。

 ノックをしても返事はなかったのだが、軽くドアを押してみるとあっさり開いてしまった。ルノさんが本当にいないのかどうか確かめていこうと思いそうっと中をのぞき込む。すぐに見えた左手の窓は閉められていて厚いカーテンが外の光を遮断している。もう日は沈んでしまったから外の光なんて入ってこないけれど。その代わりにランプの暖かい光が部屋の中をぼんやりと照らしている。入り口のところのコートかけに黒いコートが一着、それとシルクハットが下げられていた。それぐらいしか物の置かれていない殺風景な部屋の中、突き当たりの壁の前に小さな机と椅子があり、ルノさんがそこに座っている。座っているというか、机に突っ伏してどうやら眠っているようだった。机の上には深緑色をしたビンと半ばまで褐色の液体がつがれたグラス、それにランプがある。ドアを後ろ手にそっと閉めると、わずかな物音に反応してかルノさんが少しだけもぞりと動いた。眠りが浅いのだろうか。私は忍び足で近付いて彼の顔をのぞきこんでみる。わずかに酒のにおいがした。

『なんだよもー、マスターのところに行くんじゃなかったのかよっ』

 心臓が止まるかと思った。よりによってこのマリオネットは、私の腕に抱かれてルノさんの耳元で大声を上げたのだ。思わず静かに、と諫めそうになって思い直す。私の声は彼に届かないのだから言っても無駄だ。それよりルノさんは?

 私はルノさんに視線を戻す。彼は先程までと同じように規則正しい寝息を立てていた。彼にもマリオネットの声は届かないのだろうか。分かっていたことではあるが、若干の失望を感じる。私はいったんマリオネットを机に置いて、ベッドの毛布を手に取った。それをルノさんの背中にかけようとして、彼の上着のポケットからなにか緑色のものが見えているのに気付く。それが何であるかに気付いた瞬間、私は無意識にそれを抜き取って自分のポケットにおさめていた。自分が何をしているのか分からないままルノさんに毛布をかける。ちらりと机の上に置いたマリオネットを見ると、彼は無言でこちらを見つめているように見えた。きっと気のせいだろう、だってこちらを向くように置いたのは私だもの、と自分に言い聞かせるがやけに早くなった心臓の音は落ち着かない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る