第20話花火

 美乃里の一件があって以来、死ぬまでにしたいことリストは進捗がなかった。俺はなにもする気が起きず、ただ本を読むだけの惰性的な毎日を過ごしていた。ミカはそんな俺を見てもなにもいってはこなかった。ミカなりに気を使ってくれているのだろう。

 今日も部屋で一人本を読んで過ごしていた。時間は夕暮れ時だった。窓から差し込む微かな橙色をした光が部屋の中を照らし、影を作っていた。部屋は静寂で包まれ、俺とミカの本のページをめくる音だけが聞こえた。



 外から大きな爆発音のようなものが聞こえた。俺は何事かと窓の外を見る。ミカも一緒に窓の外を覗き込んでいた。


「宇佐美さん、あれ花火ですよ」


 興奮気味にミカはいった。


「そうみたいだな」


「すごく綺麗です。結構ここから近いみたいですね」


「そういえば、毎年ここらへんの川原で花火大会をやってるんだ。結構規模の大きな花火大会で、屋台もたくさん出店してた覚えがあるな」


「私いってみたいです」


 先ほどよりも興奮した声でミカがいった。


「いや、止めておこう」


「どうしてですか?」


 ミカは悲しそうな顔でそういってきた。


「そういう気分じゃないんだ」


「きっと花火大会いけば元気もでますよ。宇佐美さん、ここ最近ずっと部屋に篭もりっぱなしじゃないですか。いい機会だからいきましょう」


「でもな……」


「いいからいきましょう。決まりです。ほら、早く準備してください」


 ミカの強引さに負け、結局俺は花火大会にいくことになった。



 家を出ると、浴衣姿の人々が花火大会をやっている川原に向かって歩いているのが見えた。みんな楽しそうな顔をしている。まあ、花火大会に暗い顔をしていく奴なんてそうそういないだろうが。

 ミカはそんな浴衣姿の人々を見て、


「私も浴衣着たいです」とはしゃいだ声でいった。


「たしか、川原へいく道に、浴衣をレンタルしている店があったと思う」


「ぜひレンタルしましょうよ」


「そんなに浴衣着たいのか?」


「それは着たいに決まってるじゃないですか。花火といったら浴衣ですよ」


「分かったよ。途中で寄っていこう」


「ありがとうございます」とミカは満面の笑みでそういった。


 川原に近づくにつれ人の数はどんどん増えていった。みんな花火大会にいくのだろう。家族連れにカップル、友達同士、みんな浮かれた顔をしている。俺はこの期におよんでもまだ乗り気ではなかった。美乃里のことが頭から離れなかったたのだ。それは俺の心に大きな傷を残し、今でもズキズキと痛んだ。隣を歩くミカは俺とは対照的に、笑顔を絶やさず上機嫌だった。


 川原に近づいたところで、例の浴衣をレンタルできる店を見つけた。ここがその店だ、と教えるとミカは俺の手を引っ張って店内へ入っていった。

 店内は他の浴衣をレンタルしにきている連中で賑わっていた。


「すごい。こんなにたくさん浴衣がありますよ」


「ああ、結構種類があるんだな」


「どれにしようかな。これだけあると迷っちゃいます」


「あんまりじっくり悩んでると花火終わってしまうぞ」


「あ、そうですね。急いで決めなきゃ」


 ミカはそういって店内の浴衣を見て回り始めた。

 それから十分ぐらいたった頃だろうか。


「宇佐美さん、これなんかどう思います?」


 ミカが選んだのは薄い水色に朝顔の模様が入った浴衣だった。


「いいんじゃないか? 夏っぽいし、色もミカに似合うと思う」


「本当ですか? じゃあこれに決めます」


 それから店員を呼び、着付けをして貰うことになった。


「宇佐美さんは浴衣着ないんですか?」


「俺はいいよ」


「そんなこといわずに一緒に浴衣着ましょうよ」


「しょうがないな」


 俺は溜め息をついた。内心面倒だったが、ミカがそういうのなら仕方がない。

 適当に店内を見て回り、無難に紺色の浴衣を選んだ。俺もミカ同様着付けをして貰う。それから二人で下駄を履き、花火大会へいく準備は整った。


 店を出て、川原へ向かう。少し歩くと、もう屋台が見え始めた。ミカは屋台を見て興味を惹かれているようだった。屋台が両側に並ぶ道を歩いていると、人が大勢いてはぐれてしまいそうになった。すると、ミカが俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。その行動に心臓が驚いた。照れくさいがこの人混みでは仕方がないと自分にいい聞かせた。道を抜け、川原についた。人混みをかき分け、少しでも花火が見えやすい場所を探した。どうにかいい場所位を見つけ、ミカと一緒に花火を見上げる。打ち上げられた花火は大きな音をたて、真っ暗な群青の大空に大輪の花を咲かせていた。綺麗だった。そんな感想しか出ないぐらい美しかった。これが人生で見る最後の花火だと思うとより一層綺麗に見えた。さっきまでの気乗りしない気分なんてすぐに吹き飛んだ。ふとミカの方を見る。ミカの横顔は花火の光に照らされて、いつもより可愛く見えた。ミカはずっと花火を見ていた。まるで心に刻みつけるかのように。

 最後の花火が打ち上がり、花火大会は終わった。川原にいた人々は屋台がある方へ歩き出した。花火が終わっても屋台が閉まる気配はなく、みんなは花火の余韻を楽しみつつ屋台でお祭り気分を楽しんでいるようだった。


「宇佐美さん、花火綺麗でしたね。私この後は屋台を巡ってみたいです」


「そうだな。せっかく来たんだから漫喫しないとな」


 それから屋台へ向かった。まずミカが興味を示したものは射的だった。やってみたいというのでやらせてみたが、玉はほとんど景品には当たらなかった。大きな景品に当たっても一発では仕留めることができず、悔しそうにしていた。次に興味を示したものは金魚すくいだった。これも初めてだというので、少しコツを教えてやった。ポイを長く水につけないようにと助言をした。だが健闘虚しく、ポイはすぐに破れてしまい金魚を手に入れることは出来なかった。

 それから食べものを売っている屋台でたこ焼きや広島焼き、綿飴にリンゴ飴を買って、川原に戻った。地面に腰を下ろし二人並んで座った。買ってきたたこ焼きと広島焼きを半分こにして食べ、綿飴とリンゴ飴はミカが食べた。


「どれもおいしかったです。花火も綺麗でしたし。宇佐美さんも気分転換になったんじゃないんですか?」


「ああ、来てよかったって思ってるよ」


「それはよかったです。これからも宇佐美さんが元気なくても私がどうにかしてあげますからね。安心してください」


 ミカはそういって笑った。


「それはありがたいね」


 買ったものを食べ終え、帰路につく。だいぶ人も少なくなっていた。家に帰る前に、浴衣を返しに店へ寄った。ミカは浴衣を名残惜しそうに見ていた。


「また来年着ればいいじゃないか。ミカだったら一緒に来てくれる相手がいるさ」


「……私は宇佐美さんとまた来たいです」


「それは無茶な注文だな」


「そんなこと分かってますけど……」


「ほら、帰ろう」


 少し悲しげな表情のミカの手を取り、家へ向かった。

 家までの道のりでミカはなんだかずっと大人しかった。こういうミカは珍しい。いつも笑顔で笑っている方がミカには似合っていると思う。

 近所の公園の前を差し掛かった時、公園の中から、子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた。こんな時間になにをやっているのだろうと、ちょっと気になって覗いてみると。手持ち花火をしていた。それを見たミカがさっきまでの暗い顔から一変して、いつもの顔になった。


「宇佐美さん、あの小さい花火私もやってみたいです」


「手持ち花火か。今からスーパーマーケットに行けば売っているかもな。やるか?」


 ミカが先ほどまで暗い顔をしていたから、元気づけたいという気持ちがあった。


「はい、ぜひやりたいです」


 いつもの笑顔のミカだった。


「よし、じゃあ今から買いにいこう」


 家には帰らず、スーパーマーケットがある駅前の商店街を目指した。店につくと、小さな手持ち花火のコーナーが特設されていた。そこで大きな袋に詰められた花火セットを買うことにした。この量があれば二人でやる分には十分だろう。花火を購入した後は、一度家へと戻った。消火用のバケツが必要だったからだ。花火とバケツを手に持って、さっき子供たちが花火をしていた公園に向かった。もう子供たちの姿はなかったが、まだ硝煙の匂いは残っていた。

 持ってきたバケツに公園の水道から水を入れ近くに置いた。

 花火セットの袋から適当に数本花火を取り出し、ミカに渡す。そして花火の先に、いつもタバコを吸う時に使っているオイルライターで火をつけてやった。すると、花火の先から綺麗な緑色の火花が勢いよく吹き出した。


「うわあ、とっても綺麗です」とミカは驚きと感動を同時に感じているような声を出した。


 俺も袋から花火を取り出し、火をつける。俺の花火は赤色の火花を吹き出し、地面を焦がした。


「大きな打ち上げ花火もいいですけど、自分の手で持つ花火もいいですね。こんなに近くで花火が見られるなんて」


「そうだろ? こっちはこっちで別の楽しみがある」


 話しているうちにミカの花火は勢いを弱め、消えてしまった。


「消えた花火はバケツにいれるんだ」


「はい」といってミカがバケツに消えた花火を入れる。ジュッという音がした。


「もっとたくさん花火をしましょうよ。私両手で花火持ちたいです」


 俺は笑って、ミカに花火を二本渡し、火をつけてやった。

 ミカの両手から綺麗な色をした火花が散る。俺もミカと同じように両手で花火を持ち、火をつけた。両手に花火を持っていたのではライターでつを付けられないから、片方だけに火をつけて、もう片方は花火の火花で点火した。ミカは両手で花火を持って楽しそうに振り回していた。硝煙の匂いが辺り一面に漂っていた。

 それからほとんどの花火を堪能した最後に、線香花火をすることにした。ミカに細い線香花火を渡す。


「ミカ、ちょっとしゃがんでくれ」


「こうですか?」


「そうだ」


「この花火はなんです? さっきまでの花火に比べてずいぶん小さいですけど」


「これは線香花火っていうんだ。静かに楽しむ花火さ」


 ミカが手に持つ線香花火に火をつけてやる。するとちりちりという小さな音をたて、真ん中の火の玉を中心に小さな火花が散る。


「わあ、これは綺麗ですね。今までの花火とは違って静かで可愛いです」


「線香花火は風情があっていいだろ?」


「そうですね。なんだかずっと見てても飽きないです」


 ミカの線香花火の火が地面に落ち、消えた。


「あ、終わっちゃいました。この花火、ちょっぴり切なくなりますね」


「それがいいんだよ」


「はい、それがいいですね」


 花火を終え、バケツの水を捨てて、花火のゴミと一緒に家へ持ち帰った。


「今日はとっても楽しかったです。浴衣も着れましたし、花火は二回も楽しめました。宇佐美さん、ありがとうございます」


「俺も楽しかったからいいんだよ。いい気分転換になった。誘ってくれてありがとうな。最後の花火、いい思い出になった」


 俺がそういうとミカはまた少し悲しそうな顔をした。


「そうですね。二人のいい思い出です」


 それからシャワーを浴びて、一緒のベッドで眠った。


「宇佐美さん、今日は本当にいい日でした。おやすみなさい」


 ミカは俺にそういって俺の方を向きながら目を閉じた。俺もミカの方を向きながら眠った。ミカの顔が目の前にあったから少し照れた。



 花火の次の日、雨の音で目が覚めた。昨日の花火で、すっかりやる気になった俺は、ノートを広げ次になにをするのか考えた。やることはもうほとんど残っていない。今日は秋月の墓参りにいくことにした。


「ミカ、今日は秋月の墓参りにいこうと思ってる」


「分かりました。秋月さんって宇佐美さんのお友達でしたっけ?」


「そうだ。数カ月前に自殺した友達だよ」


 外に出ると、しとしとと雨が降っていた。俺はミカにいわれずとも、傘を一本だけ持った。そして相合傘をしながら駅まで二人で肩を濡らしながら歩いた。ミカはこの前のように上機嫌だった。

 秋月が眠る墓地に行く前に、商店街で線香と花、それからビールと生前秋月が吸っていたポールモールのタバコを買った。

 墓地まではバスに乗って移動した。墓地前のバス停で降りる乗客は俺とミカ二人だけだった。

 雨が降る墓地は閑散としていて、俺とミカ以外、人はだれもいなかった。秋月の墓石の前に立ち、秋月に話しかけた。


「よお、久しぶりだな。ここに来たのには理由があるんだ。俺はこの前余命宣告をされた。もう少しでお前の仲間入りだよ。もし天国と地獄ってものがあったら、そっちに行った時、また一緒に酒を飲もう」


 墓石に花を置き、線香に火をつけた。それから秋月が好きだったポールモールにも火をつけ、一口吸ってから墓石に置いた。それからビールも。

 それだけすると俺たちは雨の墓地を後にした。


 残る死ぬまでにしたいことは後二つだけ。どうにか死ぬまでには間に合いそうだ。


 だが、今思えば、このことばかりを考えている場合ではなかったのだ。なぜなら、ミカが本当にいつまでも一緒に居てくれる保証なんてどこにもなかったのだから。

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