第12話変わってしまった人
スーパーマーケットの帰り道、商店街を二人で歩いていると、ふとミカの足が止まった。
「宇佐美さん、あのお店なんですか?」
ミカが指を差す先を見てみるとそこはかき氷屋だった。商店街にある氷屋がやっているようだった。
「あれはかき氷屋だ。さすがに食べたことあるだろ?」
「ないですよ。この前ファミリーレストランで初めて人間の食事というものを食べたんですよ? 食べたことがあるわけないじゃないですか」
「そういえばそんな設定だったな」
「設定じゃないです」
「分かった分かった」
「それでどんな食べものなんですか?」
「氷を細かくして、それに甘いシロップをかけて食べるんだ。色んな味があってうまいし、冷たいから夏にはもってこいだな」
「私、食べてみたいです」
上目遣いで俺の目を覗き込んでくる。仕方がないなと思いつつ、かき氷屋へ足を向ける。
「ありがとうございます。宇佐美さん優しいです」
「意地悪っていったり優しいていったり忙しいな」
「たまに意地悪なんですよ。私は分かってますよ。宇佐美さんは本当は心の優しい人だって」
「調子のいいことばかりいうなよ」
かき氷屋の前に着くと、ミカはどのシロップにするか真剣に悩んでいるようだ。人差し指を口元に置きながら「ううん」唸っている。
「どうしましょう。どれもおいしそうです」
「色で決めたらどうだ?」
「色ですか。そうですね、色だったらこのいちご味がいいです。ピンクで可愛くて」
「じゃあミカはいちご味だな。俺はブルーハワイにしようかな」
「それってどんな味なんですか?」
「実のところ俺にもよく分からない。ブルーハワイっていう味だ」
「なんですかそれ」とミカは笑った。
いちご味とブルーハワイ味を買って近くで座って食べられそうな場所を探した。たしか、商店街の横道を入ったところに公園があったはずだ。二人でその公園に向かうことにした。
公園は割りと広く、様々な遊具があった。ブランコ、鉄棒、シーソー、滑り台。公園の真ん中には噴水があって涼し気な水音を奏でていた。どの遊具も手入れが行き届いていて綺麗だった。公園の端には屋根つきのテーブルとベンチがあって、そこで座ってかき氷を食べられそうだった。
「あの屋根があるところで食べよう。日陰になってるから少しは暑さがマシになるだろう」
「いいですね。早く食べてみたいです」
ベンチに座り、荷物を隣に置く。それからかき氷をテーブルの上に載せた。早速一口食べる。口に入れると氷は一瞬で溶け、冷たさとブルーハワイの味が口の中に残った。ミカも恐る恐る食べ始めた。
「これ冷たくて甘くておいしいです。夏にはぴったりですね」
「まあ、夏の風物詩の一つだからな」
ミカはそれから黙々とかき氷を食べていた。よほど気に入ったのだろう。だが、途中で急に手を止めた。
「宇佐美さん、口を開けてください」
「なんでだ?」
「いいですから、早く」
俺はいわれた通りに口を開けた。するとミカが自分のいちご味のかき氷を俺の口の中へと運んだ。
「おいしくて幸せだったので、幸せのおすそ分けです」
「じゃあミカも口を開けてみろよ」
俺がそういうとミカは素直に口を大きく開いた。そこにブルーハワイ味のかき氷を入れてやった。
「うん、これもおいしいですね。二つの味を楽しめて大満足です」
「ミカ、舌を出してみろ」
「え? こうですか?」
「やっぱりな。舌が真っ青だ」
「え? どういうことです?」
「ブルーハワイ味を食べると舌が青くなるんだ。ずっとそのままだぞ」
「え……」
ミカの顔まで青ざめてくる。ショックを隠し切れないといった顔だ。
「冗談だよ。すぐ落ちる」
「もう、からかわないでくださいよ」
ミカは怒った様子で俺の肩を叩いた。
「悪かったって」
「宇佐美さんはやっぱり意地悪な人です。本気で信じちゃったじゃないですか。このまま永遠に自分の舌が青色のままなのかと思いましたよ」
そういって頬を膨らませている。そんなミカを見ているとなんだか心が癒やされた。俺は存外、ミカと過ごす毎日を気に入っているのかもしれない。そう思った。
それから家に帰って俺もミカもシャワーを浴びて着替えた。藤崎と会うまでにはまだ時間がある。俺はいつものようにその空いた時間を読書に充てた。ミカも俺に習って本を読み始めたようだ。ミカはいつもなんの本を読んでいるのだろう。後で訊いてみようと思った。
しばらく本を静かに二人で本を読んでいると、ミカが突然口を開いた。
「宇佐美さん、知ってますか?」
「なにを?」
「一番大切なことは、目に見えない」
「なんの話だ?」
「この本に書いてありました」
そういって、ミカは本の表紙を俺に見せてきた。それはサン・テグジュペリの星の王子様だった。
「星の王子様か」
「読んだことあるんですか?」
「いや、有名な本だけど実は読んだことないんだ」
「じゃあ読み終わったら貸してあげますよ。なんだか大事なことがたくさん書かれているような気がします」
「そうだな。読書が趣味なのに『星の王子さま』を読んだことないっていうのもあれだからな」
「はい、ぜひ。人間って本当にすごいです。神様も思いつかないようなことを平気で考えたりしてると思います」
「知恵の実を食べたらしいからな」
「そそのかしたヘビが悪いんです。人間が自分たちを責める必要なんてないと私は思います」
「おかげで楽園を追放された。どんな場所だったんだろうな。エデンっていうところは」
「素敵な場所ですよ。これ以上はいえません」
「天使だから知ってるっていうのか」
「当然です」
ミカは得意気な顔をしてそういった。
*
夜になって部屋の中はすっかり暗くなっていた。そろそろ藤崎との約束の時間だ。藤崎とは七時に駅前で待ち合わせている。本を閉じて、部屋を出た。
駅前には時間丁度に着いた。藤崎は俺が到着してから五分後ぐらいにやってきた。だが、最初見た時、すぐに藤崎だとは気づかなかった。髪を茶色く染め、服装も流行りのものを着ているようだ。首や腕にはネックレスとブレスレットをつけていた。高校時代とはえらい違いだ。
「宇佐美、ひさしぶりだな。高校の卒業式以来だ」
「ああ、久しぶり」
「今日はどうしたんだいきなり話がしたいだなんて」
「ちょっと昔の事を思い出して、話したくなっただけだよ」
「そうか。それでその子は?」
ミカの方を見ながら藤崎が訊いてきた。
「こいつの事は気にしないでくれ。ちょっとした知り合いだ。どうしてもついてきたいっていうもんだから。悪いな」
「別に構わないさ、ずいぶん可愛い子だな」
俺はこの時点で少し、藤崎と昔話をする気持ちが削がれてきていた。あまりに昔と印象が変わってしまっていたからだ。
三人で駅前の居酒屋に入ることになった。席に案内され、俺と藤崎はビールを、ミカには甘くて飲みやすそうなカクテルを適当に注文した。程なくして、お通しと一緒に頼んだ酒が運ばれてきた。とりあえず乾杯を三人でする。
「宇佐美は見た感じなにも変わってないな。昔のまんまだ。」
「そういう藤崎はだいぶ変わったみたいだな」
「ああ。大学デビューってやつかな。もう昔みたいな暗い学生生活は嫌だったんだ。宇佐美は嫌じゃなかったか? あの高校生活。俺は嫌だった。友達も宇佐美と紗友里ぐらいしかいなくて、退屈なものだった」
俺はそういわれて、少し腹が立った。あの三人で過ごした高校生活を否定されたからだ。たしかに、藤崎のいう通り友達は少なかったかもしれない。でも今思えば、俺は割とあの生活を気に入っていた。だが俺は我慢してそれについてはなにもいわなかった。
「そうか。なんだか楽しそうだな」
「毎日楽しいよ。色んな奴と色んなことしてさ」
藤崎はもう昔の藤崎ではなく、俺が話したいと思っていた藤崎ではなくなっていた。俺はここに昔話をしにきて、あの頃を懐かしがりたかった。でもそれはもう無理なようだ。あの高校生活をすぐに否定されたのだから。
「そういう宇佐美はどうなんだ? 高校の時の彼女とはまだ付き合ってるのか? 紗友里って名前だったか」
「いや、紗友里とはこの前別れた。色々あってな」
「まぁ、気をおとすなよ。俺がだれか紹介してやろうか?」
「遠慮しておくよ。今はそういう気分じゃないんだ」
「お前は本当に高校から何も変わってないな」
「藤崎が変わり過ぎなんだよ」
それからは藤崎がいかに大学生活を謳歌しているのかという自慢話が始まった。俺はそのほとんどを聞かずに、適当に相槌を打った。藤崎と会うんじゃなかった。そんな気持ちでいっぱいだった。本当は藤崎に寿命のことを話して慰めてもらいたいという気持ちがあったのかもしれない。
しかし、その話をする気はとうに失せていた。もう我慢の限界だった。これ以上藤崎の話していることを聞いてはいられないと思った。俺は藤崎の話を遮り、実はこの後用事があるからと嘘をついた。藤崎はまだまだ自慢話をしたりないといった顔だったが、仕方ないなといってくれた。そして居酒屋の前で別れた。もう会うことも話すこともないだろう。変わってしまった藤崎と久しぶりに会って、心の大事な部分がぽっかりとなくなってしまったような気分だった。ノスタルジーなんて何一つ感じることはなかった。
「どうでした? 懐かしい気持ちになれましたか?」
「いや、なんだか虚しい気持ちでいっぱいだったよ。人って変わってしまうんだな」
「そうですね。人は変わっていく生き物ですから」
「俺はなにか変わったのかな」
「きっと変わっていってると思いますよ。自分で気づかないだけで」
「俺は変わりたくないって今日思ったよ」
「それは無理ですよ。皆変わっていきます。それにいい方向に変わることっだってあるじゃないですか」
「俺も残された短い寿命で変わっていったりするんだろうか」
「それはどうでしょう。宇佐美さん次第ですね。でも、本質は変わらないと思います。宇佐美さんは優しい人です。そこはきっと変わりません。いくら見た目などの表面的な部分が変わっても。『一番大切なことは、目に見えない』ですから」
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