第11話旧友

 またあの夢を見た。昔々の古い記憶。夢の中の俺はまだ幼稚園生で、いつもの公園でいつものように泣いていた。するとまた彼女がやってきて、俺を抱きしめながら慰めた。暖かくて、いい匂いがした。でも相変わらず顔はぼやけていて思い出せない。必死に思い出そうとするが顔はぼやけたままだ。思い出せるのは温もりと匂いだけ。

 俺はいつか彼女に再会できるだろうか?


 夢から覚めるといつもの見慣れた自分の部屋だった。体を起こして自分の感覚を確かめる。まだ彼女の温もりが残っているような気がした。俺は誰かに慰めて貰いたいのかもしれない。寿命のことや、紗友里のこと、そして、これから死ぬまでのこと。


 部屋を見渡すと、ミカはすでに起きていてベッドの上で横になりながら文庫本を読んでいた。


「おはようございます。今日はずいぶんゆっくりな起床ですね」


「昨日飲み過ぎたのかもしれない」


 少し体の怠さと頭痛がした。どうやら二日酔いになってしまったらしい。だが、これぐらいならすぐに治るだろう。


「ちゃんと私が髪を切って貰ったこと覚えてます?」


「覚えてるよ。記憶がなくなるまで飲んだりはあまりしない」


「あまりってことは、たまにはあるんですか?」


「たまにな。嫌なことがあった時とかはそこまで飲んだりする」


「昨日あんなに落ち込んでたのに、そこまで飲まなくてよかったんですか?」


「ああ、ミカのおかげかもな」


 俺がそういうとミカは上機嫌になった。にっこり笑いながら得意気な顔をしている。


「えへへ、もう宇佐美さんは私がいないと駄目ですね」


「そんなことないさ。一人で十分生きていける。どうせ長くて後、半年生きればいいんだからな」


「そういう暗い話するのは反則です。なにもいえなくなっちゃうじゃないですか」


「なにもいえないようにわざといったんだよ」


「意地悪なんですね」


 ミカはそういって顔を俺から逸らした。


「それよりもうお昼ですよ。私お腹ぺこぺこです」


「天使は腹が減らないんじゃなかったのか?」


「ですから気持ちの問題ですって」


 俺はミカの言葉をはいはいといってあしらった。それから布団をたたみ、テーブルを元の位置に戻した。

 俺も腹が減っている。食事の準備をするために台所へ向かった。冷蔵庫から卵とベーコンを取り出し、フライパンで焼く。そして食パンをトースターにセットする。これで食事の完成だ。簡素なものだが、楽でいい。出来上がったものをテーブルに運んだ。

 代わり映えのない食事だがミカは文句一ついわず、いつもおいしそうに食べる。よくも飽きないものだ。俺は同じメニューばかりで飽々していた。たまにはちゃんとしたものが食べたいとは思っている。だが自分で凝ったもを作ろうとは思えなかった。


 食事が済むとミカが「私が片付けます」といいだした。「いつも作って貰ってるので洗い物ぐらいします」と。洗い物はミカに任せ、今日のことを考える。さっき冷蔵庫を開けた時、中身はもうほとんど空だったから、今日あたり買い物にいかなければならないと思った。まずはそれが一つ目のやるべきことだ。次に、死ぬまでにしたいことが書いてあるノートをテーブルの上に広げた。そして死ぬまでにしたいことリストに目を通す。死ぬまでにしたいことリストはすでに九つ中四つが埋まっていた。酒とタバコは好きなだけやっているし、大学にももういっていない。日記も今のところ毎日ちゃんと書いている。紗友里とは最悪な形とはいえ、別れることができた。紗友里は別れ際に泣いていた。それを思い出すと胸が痛くなって苦しかった。しばらくは彼女を傷つけてしまったという罪悪感からは解放されそうにないだろう。


 だが、いつまでも罪悪感に縛られ悶々としていてはリストを消化できない。俺は気持ちを切り替え、次にやるべきことを考えた。墓参りなどはいつでもすぐに済ませることができるだろう。初恋の人探しは、ほとんど情報がないことから時間がかかると思われた。だからそれは最後にしようと最初から決めていた。となると、残りは美乃里に会って話すか、藤崎に会うかの二つだ。風の噂で聞いた話によると美乃里は地元の大学に通っているらしい。地元までは電車を使って二時間以上の距離で時間がかかる。藤崎は高校以来会っていないが、たしか俺と同じ市内にある大学に進学したはずだ。

 まずは近くに住んでいる藤崎と会おうと考えた。



 藤崎は当時、地味な見た目をしていて黒縁の眼鏡をかけていた。身長は俺よりも高く、華奢でひらひらとしたような奴だった。藤崎と初めて知り合ったのは高校二年生の春だった。毎年行われるクラス替えで同じクラスになり、偶然席が隣だったのだ。俺は小さい頃からずっと人付き合いが苦手だったが、藤崎もまた人付き合いが苦手な男だった。授業ごとの休憩時間や昼休みなどはいつも俺の隣の席で一人本を読んでいるような奴だったのを覚えている。そんな藤崎と話すようになったきっかけは些細なことだった。授業で隣の席の人と話し合ってそれを簡単に発表するということがあった。その時に初めて話したのだ。最初の印象は内向的で暗い奴。それが第一印象だった。普段から一人でずっと本を読んでいるところを見てきたから余計にそう思ったのかもしれない。最初は俺に警戒していたのか、自分からはほとんど話さなかった。だが、俺と少しずつ話していくうちに、同類だと思ったのだろう。だんだんと饒舌になりだした。趣味が同じ読書というのも大きかったのかもしれない。

 そんな時、俺は藤崎にある質問をされた。


「なあ、宇佐美は人生についてどう思ってる?」


 それは哲学的で漠然とした質問だった。それに対して俺は普段考えていることを素直に話した。


「人生は毎日が退屈なものだと思ってるよ。他人の人生のことは知らない。ただ、俺の人生は退屈なパズルのピースで組み立てられているように思う。一つ一つのピースも退屈で、仮にパズルが完成しても巨大な退屈になるだけだ」


「俺もそう思ってるんだ。変わらない毎日に退屈を感じている。このままじゃ退屈に殺されそうだ。だから俺は毎日本を読んでいる。本を読んでいる間だけは退屈をしない。本の世界ではなにもかもが刺激的だ。宇佐美もいつも本を読んでいるよな? 宇佐美も似たようなこと思ったことないか?」


「俺も藤崎と同じような理由で本を読んでる」


「俺たちは似たもの同士かもしれないな」


「ああ、そうかもしれない」


 この会話が藤崎とよくつるむようになったきっかけだったと思う。この会話以降、俺たちは二人で話すことが多くなった。二人とも他に友人と呼べるような奴はいなかったし、退屈を嘆き合える人間は存在しなかった。俺はそれからたまに紗友里のいる放課後の図書室に藤崎を誘った。紗友里は誰にでも優しく平等に接する人間だったから、藤崎ともすぐに打ち解けた。紗友里と俺と藤崎と三人で放課後に色々なところに寄り道をした。ほとんどが紗友里の提案だった。この点でも紗友里には感謝している。結局、卒業するまで三人は仲がよかったし、俺は藤崎と退屈について語り明かした。



 俺がリストを見ながら藤崎との高校時代を思い出していると、ミカがノートを覗き込んできた。


「今日も誰かと会うんですか?」


「今日会えるかは分からないが、連絡してみようと思ってる」


「今回は誰なんです?」


「高校時代仲がよかった藤崎っていう男だ」


「藤崎さんですか。どんな人なんですか?」


「高校の頃は俺と似た者同士だった」


「私、宇佐美さんの高校時代なんて知りませんよ。高校の頃ってどんな風だったのか教えてください」


「今と変わりないさ。人付き合いが苦手で、本ばかり読んでた。藤崎もそんな奴だったんだ」


「類は友を呼ぶってやつですね。会って、最後のお別れでもいうつもりなんですか?」


「そうだな。最後のお別れがしたいってよりは会って昔話をしたいんだ。そして過去を懐かしみたい」


「過去を懐かしむですか。私にはよく分かりませんけど」


「ミカにだって昔の旧友と会って話したいとか思うことがあるだろ?」


「私には友達っていうものが分かりません。いたことないですし。人間だけの概念なんじゃないでしょうか。天使で友達がいるっていうのを聞いたことがありませんから」


「たしかに天使に友達がいるって話はあまり聞かないな。世界中の神話を探したらそういう記述もあるのかもしれないが。まあ人間にはノスタルジーを感じたい時があるんだよ。特にもうすぐで死ぬっていうときにはな」


「よく分かりませんけど、藤崎さんと会ってそのノスタルジーを感じられるといいですね」


「きっと藤崎と会えば懐かしくなるさ」


 俺はそういうと携帯を手に取った。電話帳を開き藤崎の名前を探した。今は平日の昼だ。藤崎は大学の講義中かもしれない。電話ではなくメールを送ることにした。文面は、久しく会っていないから久しぶりに合わないか? という簡素な内容にした。藤崎にも俺がもうすぐで死ぬことは伝えないつもりだ。もし話してしまったら、藤崎は俺に同情するだろうし、それでは目的の昔を懐かしむということが難しくなるかもしれない。

 メールはそれから程なくして返ってきた。今日の夜だったら会えるとのことだった。夜までまだまだ時間はある。その間にスーパーマーケットにいって食料と酒を買っておこうと思った。


「ミカ、出かけるぞ」


「もう会いにいくんですか?」


「いや、会うのは今日の夜だ。今から出かけるのはスーパーマーケットさ。もう碌な食料がないだろ?」


「たしかに、冷蔵庫ほとんど空でしたもんね」


「ミカが来てから買い物にいく機会が増えたよ。誰かさんのおかげで食料の消費が二倍だからな」


 俺は嫌味っぽくいった。


「でも一人で食べるより二人で食べる方がおいしくないですか?」


「それは……」


「やっぱり宇佐美さんもそう思ってるんですね」


 ふふふとミカは笑った。


 でもミカのいう通り、二人で食べる食事は一人の時よりおいしかった。一人の時は完全に作業と化していた食事もミカと話しながら食べると、味がよくなったような錯覚を起こす。俺も単純なものだと自嘲した。

 準備をして玄関を開ける。太陽の光で熱せられた湿った空気が俺を包んだ。今日も一段と暑くなりそうだ。ミカは両手でパタパタと自分の顔を仰いでいた。

 スーパーマーケットに向かう間にも気温はどんどん上昇し、着く頃にはTシャツが汗でびしょびしょだった。


「今日はいつもより暑いですね」


「そうだな。これは藤崎と会う前に一度シャワーを浴びないと駄目そうだ」


「私も浴びたいです。一緒に浴びますか?」


 ミカはいたずらっぽくはにかんだ。俺はミカのいうことを無視して、スーパーマーケットに入り、買い物カゴを手に取って食料品を見て回った。後ろから「なんで無視するんですか?」という声が聞こえた。いつものようにて適当な食材とビール、それとつまみをカゴに入れる。後、昨日飲み干してしまった安いウイスキーのバランタイン・ファイネストも忘れずに入れた。安いウイスキーだが、ハイボールにしてもロックで飲んでも割りと飲める優れた酒だと思う。ウイスキーをカゴに入れている俺を見てミカが近寄ってきた。


「宇佐美さん、私にも飲める甘いお酒ってないですか?」


「甘い酒か。無難に缶チューハイとかでいいかもしれないな」


「よく分かりませんけど、宇佐美さんにお任せします」


 俺は適当に甘そうでアルコール度数の低い缶チューハイを数本カゴに入れた。これならミカでも飲めるだろう。


「これで今日の夜お酒飲む時は一緒に飲めますね」とミカがいった。


「ああ、いつも一人酒じゃつまらないからな。今日は二人で飲むか」


「はい。楽しみです。宇佐美さん普段お酒飲む時は本ばかり読んで相手にしてくれませんからね」


「相手にして欲しかったのか?」


「それはそうです。一人は寂しいですよ。最近私おかしいんです。今までずっとずっと一人だったので寂しいなんて思うことなかったのに、宇佐美さんと出会ってから寂しいと思う時があるんです。これも人間と交流した結果なんですかね。人間のこと少し分かってきたような気がします」


「会ってまだ数日じゃないか」


「そうなんですけど、ずっと一緒にいるせいですかね?」


「じゃあ離れてくれてもいいんだぞ?」


「意地悪なこといわないでください。私は天使なので宇佐美さんから離れたりしませんよ。絶対に」


「そうだったな。それが使命だもんな」


「はい。それが私の使命です」


 レジにいき、会計を済ませる。しばらく買い物をしなくて済むように多めに買ったから、袋に詰めたら四袋にもなってしまった。さすがに一人で持つのは大変だったので、飲み物などの重いものが入った袋は俺が持ち、他の軽い食料が入った袋はミカに持って貰った。こういうことをしていると同棲しているカップルのような気分になった。紗友里とは三年付き合ったが、同棲したことはない。もし同棲していたらこんな気持ちなのかと思った。


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