第23話写真

 退院してからは体調の悪い日が頻繁に訪れるようになっていた。腹部を襲う激痛の頻度も増え、体がだるい日や、熱が寝る日もあった。ミカはその度に膝枕をし看病してくれたり、お粥を作ってくれたりした。もうミカは俺にとってかけがえのない存在になっていた。それは病気的な意味だけではなく精神面的な意味でもそうだ。ミカが一緒に居てくれるから耐えられる。そう思っていた。

 この体調の悪化は俺に考えの変化をもたらした。もう死ぬまでにしたいことリストの項目は全て終えたのだが、俺が生きていたという証をなにか残せないかと思うようになったのだ。死んで忘れられることが怖かった。日記は、ほぼ毎日書いている。でもそれだけでは足りないような気がした。もっと具体的になにか残せないものだろうか。そんなことを考えている時に、ふと秋月のことを思い出した。あいつは写真が趣味だった。そしてあいつが撮った写真は今も秋月の家に保管されている。俺はこれだと思った。俺も写真を撮ろうと考えた。秋月はちゃんとしたカメラを使って凝った構図で様々な被写体を綺麗に撮っていたが、なにもそこまでする必要はない。今は携帯にカメラが付いているし、それを写真屋に持っていけば現像もしてくれる。


 それを思い立ってからはミカを連れて写真を撮りにいこうと思った。


「なあ、前に他にやりたいことはないのかって俺に訊いたよな?」


「はい、訊きましたよ」


「それで一つ思いついたんだ」


「なにかやりたいことが見つかったんですか?」


「ああ、写真を撮ろうと思っている」


「写真ですか。なんで写真を撮ろうと思ったんです?」


「写真だったら俺が死んでも残るだろ? それに今はカメラが携帯に付いているから手軽だ。それを写真屋に持っていって現像して貰ってアルバムを作ろうと思ってる」


「それはいい考えですね。写真を撮るってなんだか素敵ですし」


 それから俺たちは写真をとるために家を出た。だが写真といってもどんなものを撮ればいいのだろう。今まで碌に写真なんか撮られたことも撮ったこともない。

 とりあえず、まずは空を撮ることにした。よく空の写真をインターネットなどで見かけるからという単純な理由だった。空の写真をいざ撮り始めると空は様々な表情や色をした。朝の突き抜けるような爽やかな空、夕暮れの悲しくて切なげな空、夜の星が瞬く幻想的な空、曇でどんよりとした空、快晴で雲一つないときの元気な空。空の写真だけでもこれだけの空があった。今まで空は単なる空だったものが、今では様々に俺の目に写る。それらの写真を店に持っていき、現像を頼んだ。その間、店で売っているアルバムも買った。現像も終わり、家に帰った俺は撮った写真を一枚一枚丁寧にアルバムに綴じていく。アルバムの最初の方のページは空の写真一色になった。


 空の写真に飽きた後は、次に家の写真を撮り始めた。古い趣のある民家や真新しい新築と思われる家、自分のアパートの写真も撮った。家も様々な色や形をしていて面白かった。それも現像し、アルバムに綴る。

 次に撮り始めたものは自然だ。花や木などの植物を撮った。

 退院してから体調が悪化し、死の実感を完全に感じるようになった俺には、今まで何気なく見ていたものが綺麗に色づいて見えた。空をより空らしく、家はより家らしく、花はより花らしく、目に写るものがどれも美しくかけがえのないものに見えた。

 しばらくは風景ばかり撮っていたのだが、だんだんそれではもの足りなくなってきていた。その写真には俺が写っていなかったからだ。だから、ミカに提案をした。


「なあ、俺と一緒に写真に写ってくれないか?」


「宇佐美さんと一緒に写れるなら大歓迎ですよ」


 とミカは快く承諾してくれた。

 それからは携帯のインカメラを使って、自分とミカが二人で写るように写真をとった。一緒に近所をぶらつき、何気ない場所で一緒に写真を撮った。写真に写るミカはいつも笑顔だった。それに対して、俺の顔は少し強張っている。写真に写る時、どんな顔をすればいいのか分からなかったのだ。ミカみたいに笑顔になればいいのだろけど、なかなかうまく表情を作れなかった。

 最初は家の近所だけで写真を撮っていたが、徐々に近所には飽きてきて、少しづつ遠出をするようになっていった。もちろん、痛み止めは忘れずに持って歩いた。またいつ激痛がやってきても対処できるように。

 俺はまた海にいきたかった。今度は泳ぐのが目的ではなく、ミカと一緒に写真をとるのが目的だ。海に沈む夕日を背景に撮った写真はとても綺麗だった。海の次は山にいった。低い山の頂上に登り、大自然と一緒に写った。

 アルバムはもう俺だけのものではなく、ミカと共有のものになっていった。アルバムに綴じられた写真は日に日に増えていき、その分俺とミカの思い出も増えていった。もうアルバムは結構な量になっていた。


 こんな生活が日課になっていった。外出する度にミカは嬉しそうだった。「また宇佐美さんとの思い出が増えますね」と。

 ある日、いつものようにミカと写真を撮るために、街をぶらついていると、真っ白な教会が目に止まった。その教会からは賑やかな声が聞こえてくる。なにをやっているのだろうと少し覗いいてみると、結婚式だった。それを見たミカが歓声を上げる。


「わあ、宇佐美さん見てください。結婚式ですよ」


「ああ、そうみたいだな」


 真っ白な衣装に身を包んだ新郎と新婦が友人たちと思われる人々に祝福の言葉をかけられていた。


「宇佐美さん、結婚式の誓いの言葉って知ってますか?」


「そういうのがあるっていうのは知ってる」


「じゃあ内容は知っていますか?」


「そこまでは知らないな」


「私が読んだ恋愛小説で結婚式のシーンがあったんです。そこではこんな風にいってました。牧師さんが新郎新婦にこう訊ねるんです。『健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく一緒にいることを誓いますか?』そして新郎新婦がこう答えます。『はい、誓います』

次に牧師さんはこう訊ねます。『では、お互い自分自身をお互いに捧げますか?』と。すると新郎新婦はまた『はい、捧げます』と答えるんです。そうして誓いの口づけをするんです。ロマンチックじゃありませんか?」


「ああ、そうだな。ロマンチックだ」


「そう思いますよね。私もいつかこんなことしてみたいです」


「結婚したいってことか?」


「はい、そうです」


「ミカならできるさ」


「……私は宇佐美さんと結婚してみたいです」


「俺はもすぐで死ぬんだ。そんな男やめておいた方がいい」


「それでもいいんです。私は宇佐美さんがいいんです」


「……じゃあいつかしよう」


「本当ですか? 約束ですよ?」


「ああ、約束だ」


 俺は叶えられるはずもない約束をした。


 俺ではミカを幸せにすることは絶対にできない。紗友里と別れた理由と同じだ。俺はもうすぐ死ぬ。そんな男が人を幸せにしてやれるだろうか? いやできない。これは絶対に無理なことなんだ。もし、俺に人並みの寿命があればきっと俺はミカの思いに答えただろう。でも今の俺はその思いに答えてはいけないんだ。もし答えてしまったらミカはきっと悲しむ。ミカが泣いている姿は想像したくなかった。いつまでも笑っていて欲しかった。


 ミカとの和やかで平和な日々は続いた。毎日が幸せだった。一緒に食事をして、写真を撮りにいって、一緒に酒を飲んで、一緒に眠る。こんな毎日が死ぬまで続くと思った。だが、その日は突然やってきた。

 朝、ふと目が覚めた。そしてなにか違和感を覚えた。その違和感の正体はすぐに分かった。ミカが隣にいないのだ。部屋を見渡しても見つからない。試しにミカの名前を呼んでみるがなんの反応もないし、人の気配もない。ベッドから起きだし、テーブルの前に座って考える。なぜミカがいないのだろうか。今までずっと俺の傍を離れたことなどなかったのに。テーブルに両肘をつけ、頭を抱え考える。すると、テーブルの上に、手紙らしきものがあるのを見つけた。便箋に書かれた手紙だった。


「本当にすみません。とても大事な使命を言い渡されてしましました。宇佐美さんとはもう一緒に居られません。代わりに私の代理の天使がやってくると思います。でも、いつかきっと宇佐美さんにまた会いにきます。約束です」


 手紙にはそれだけ書かれていた。大事な使命ってなんだ? もう一緒にいられないとはどういうことだ?  いつかってどれぐらい先なんだ? 俺が死ぬまでに会えるのか? 俺はこの手紙を読む瞬間まで、ミカが俺の傍からいなくなるという可能性を全く考えていなかった。あれだけ、ずっと俺の傍にいるといっていたのに――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る