第22話卑怯者
初恋の人探しと、両親の墓参りを終え、死ぬまでにしたことを全てやりとげてから数日、俺は今日も読書に勤しんでいた。もう他にやることがないのだ。目的を失ってからは以前のように怠惰な生活に戻っていた。毎日、本を読み酒を飲んで寝る。ひたすら同じことをしていた。
そんなある日、もう酒がなくなったので商店街のスーパーマーケットへ買い物にいった。問題はその帰り道だった。急激な痛みが俺を襲う。生憎痛み止めは家だ。俺はたっていることができずに、道の真ん中に膝をついた。これはまずい。今まで痛みが来る時は家だったからどうにかなったが、外で痛み出すとどうしようもない。
「宇佐美さん、ちょっと大丈夫ですか?」
「すまない動けなそうだ」
どうにか声を絞りだす。
「薬は持ってないんですか?」
「家だ」
「ああ……どうしましょう」
ミカが慌てている。痛みは徐々に強さを増していき、俺の意識をも蝕み始めた。
「宇佐美さん、私の声が聞こえますか?」
「かろうじて」
「すみません、悪いですけど携帯借りますよ。こうなったら救急車呼ぶしかないです」
ミカが携帯から一一九に電話をかけ、慌てながら向こうの質問に答えてるようだった。
「宇佐美さん、もうすぐで救急車が来てくれるそうです。それまでどうかしっかりしてください」
また救急車の世話になるのか。まさか自分がこんな短い間に二度も世話になるなんて考えてもみなかった。痛みが襲ってくるのはいつも夜だったから油断していた。常に痛み止めを持ち歩くべきだった。今更後悔しても仕方ないが、俺はどうしてこうも甘いのだろうか。
それから救急車が来るまでの間、痛みはさらに増し、もう意識を保っているのが限界だった。俺はついに目を閉じ、道に倒れこんだ。薄っすらとミカの慌てた声が聞こえる。でもその声もだんだん遠ざかっていって、最後には意識を失った。
*
目が覚めた時、最初に見えたものはまたあの真っ白な天井だった。前回は知らない天井だったが、今回はよく知っている。ここは病院だ。まだ意識がはっきりしない。なんだか半分まだ夢の中にいるようなそんな気分だった。ふと右を向くと人のシルエットが見えた。でも視界はぼやけていて誰だか分からなかった。腕にはまたあの時と同じように点滴がされていて、なにかの薬が投薬されていた。この眠気は薬のせいなんだろうか、それとも病気のせいなのだろうか。俺はこの眠気には逆らえず、またすぐに眠りについた。
次に目が覚めた時には、もう眠気はなくなっていて、頭も割りとはっきりしていた。それからまた右側を見る。そこにいたのはミカだった。パイプ椅子に座って本を読んでいる。
体を起こし、ミカの方に体を向ける。それに気づいたミカが俺に抱きついてきた。
「宇佐美さん宇佐美さん」
ミカは泣いていた。しゃくりを上げて何度も俺の名前を呼ぶ。
「今度は死んじゃうんじゃないかと思いましたよ。もう丸二日も意識がなかったんですよ。病院の先生からは、あと少し救急車を呼ぶのが遅かったら危なかったかもしれないっていわれました」
「そうだったのか。またミカに助けられたな。いつもありがとう」
「お礼なんていいですから、早くよくなってくださいよ」
「ああ、よくなるよ」
しかし、自分の病気がまさかここまで進行しているとは思っていなかった。
そんな話をしていると、最初に俺を診てくれた医者の朝倉がやってきた。
「宇佐美さん、お久しぶりですね」
と朝倉は会釈をした。
「はい、お久しぶりです」
俺も朝倉に会釈を返す。
「あれから体調の方はですか?」
「何度か腹部に痛みがありました」
「やはりそうですか」
朝倉は眉間に皺を寄せてそういった。
「宇佐美さんが眠っている間、またいくつかの検査をさせて頂きました。病気は思ったよりも早く進行しています。ですから私は入院を強く勧めます。このままでは長くは持ちません」
「それは自分でも分かります。でも、俺はそれでも自分の家で過ごしたいんです」
「そうですか。しかし、いずれ痛みはこれまで以上に増し、最終的には体が動かなくなって自分ではなにもできなくなってしまい、最終的には入院することになると思います。それは覚悟しておいてください」
俺は静かに「はい」と答えた。
それから退院の手続きを済ませ、家に帰った。
*
「宇佐美さん、もう他にやりたいことはないんですか?」
と、家に帰るとミカが訊ねてきた。
「今は特に思いつかないかな。俺は今、こうやってミカと一緒に毎日本を読んで静かに暮らしていることを案外気に入っているんだ。だから強いていえば、ミカと一緒にいたいかな」
これは俺の本心だった。ミカと過ごす毎日は俺に安らぎを与えてくれた。二人で本を読み、些細なことを話し、一緒に眠る毎日。それは穏やかで、満たされた生活のように思えた。
「そういってくれるのは嬉しいです」
ミカは少し頬を赤らめながらそういった。
「私も宇佐美さんと過ごす毎日はすごく好きです。これからも一緒にいたいって思います。だからどうか体には気をつけてください。私、宇佐美さんが死んじゃったら……」
「ミカは元々俺を迎えに来た天使なんだろ? なに悲しそうにしてるんだよ」
そういって俺は努めて明るく振る舞った。今回の入院と朝倉の言葉でまた一段と死の恐怖が増した。でもミカに悲しそうな顔はさせたくなかった。いつも笑っていて欲しかった。
「それはそうなんですけど……天国に送るのはなるべく遅めがいいです。少しでも一緒にいたいですから」
「変な天使だな。ミカはなにかやりたこととか、いきたいところはないのか?」
「私ですか?」
「そう。今まで散々ミカに付き合って貰ったからな。今度はミカのやりたいことに付き合いたいと思って」
「そんな、私が宇佐美さんに付き合うのは当然のことですから」
「いいから、いってみろよ」
「ううん、そうですね……じゃあ宇佐美さんと初めていったファミリーレストランにもう一度いってみたいです」
「あんなところでいいのか?」
「はい、初めて宇佐美さんと一緒に食事をした場所ですから。それにおいしいですよ?」
「分かった。丁度腹も減ってるし今からいくか」
「いいですね。いきましょう」
それからまた国道沿いにあるファミリーレストランへと向かった。
店内に入り、喫煙席を選び、たまたま以前と同じ席に案内された。
「前と同じ席ですね。今回はちゃんと正面に座りますよ」とミカは笑っていった。
「あの時は驚いたよ。二人なのに隣に座ってくるもんだから」
「本当に知らなかったんですよ。私それまで誰かと食事なんてしたことなかったんですから」
「ああ、そうだったな」
俺はタバコに火をつけ、メニューを見た。今日はなにを食べようか。
「私、決まりました」
「今回は早いな」
「はい、初めから決めていたので」
「そうか。じゃあ俺も決めた」
店員を呼ぶブサーのボタンを押す。程なくして、店員が注文を取りにきた。
「私はシーフードドリアで」
「俺はこのパスタで」メニユーの写真を指差しながら答える。
「それ私が前に頼んだものじゃないですか」
「ミカだって俺が前に頼んだやつだろ」
そういってお互い笑った。同じことを考えていたようだ。
少しして注文したものが運ばれてくる。
「やっぱりシーフードドリアっておいしいですね」
「このパスタもうまいよ」
「じゃあ一口だけ交換しましょうよ」
そういって互いの皿を交換して一口ずつ食べた。あれからまだ二ヶ月ぐらいしかたっていないのに、ひどく懐かしい味がした。あの時は自称天使の変人に目をつけられてしまったという風にしか考えてなかった。でも今はそれが不思議なもんだ。俺の傍にミカがいることが当たり前になっていて、俺もそれを望んでいる。もし、あの時ミカと出会っていなかったら俺の人生は悲惨なものになっていただろう。俺は今、ミカに救われている。
「この後はどうする? 他にいきたいところはあるか?」
「ううん……そうですね。私またあの図書館にいきたいです」
「図書館か。いい案だな」
「じゃあこれ食べ終わったらいきましょう」
ファミリーレストランで食事を終え、俺たちは図書館へ向かった日中の日差しは厳しかったが、図書館に入ると、冷房が俺たちの体を冷やしてくれた。
俺は前回同様、小説のコーナーにいき、宮沢賢治の短編集を手に取った。以前にも読んだことのある本だが、何度読み返しても飽きず、俺のお気に入りだった。
ミカはまた図書館の奥へと姿をくらませた。また絵本でも持ってくるのだろうか。
俺は空いている席に座り、本を読みだした。それからしばらくしてミカが戻ってきた。今回はなにやら分厚い本を持ってきていた。絵本ではないらしい。ミカは俺の隣の席に座ると、その分厚い本を読み始めた。後でなんの本は訊いてみようと思った。
本を読み始め、一時間がたった。俺はまた席を立ち、外の喫煙所に向かった。そこでタバコを吸いまた館内に戻る。そして短編集の続きを読み始めた。
そうこうしているうちに閉館時間になった。ミカはまだ本を読んでいた。
「もし、続きが気になるなら借りてやろうか?」
「いいんですか? 私この本気に入りました。できれば借りたいです」
「分かった。今貸出用のカードを作ってくるから待っててくれ」
俺はカウンターにいき、司書にカードが作りたい旨を伝えた。カードは名前や住所、電話番号を記入し、最後に本人確認のための保険証を見せたら五分程度でできた。そのカードでさっそくミカの本を借りてやった。図書館の帰り道、ミカはその本を大事そうに両手で抱え、上機嫌だった。
「なんの本を借りたんだ?」
「童話の本です」
「童話か」
「はい、気に入ったお話がありました」
「なんていう話だ?」
「『幸福な王子』っていう話です」
「それ知ってるな。たしか王子様の像とツバメの話だったよな」
「そうです。そのお話が気に入りました。私もこの王子様の像とツバメのようにみんなに幸福を届けられる天使になりたいんです」
図書館の後、商店街のスーパーマーケットへビールを買いにいくことにした。店内でビールをカゴに入れていると、「今夜は私もお酒に付き合います。宇佐美さんの退院祝いです」といってきたので、ミカが飲めそうな缶チューハイを数本買った。
家に帰り、早速晩酌を始める。今日は一人じゃないから二人で乾杯をして飲んだ。ミカと出会って今まであった色んなことを話した。いつもは本を読みながら飲んでいるが、ミカと飲む酒は普段の何倍もうまく感じた。ミカが缶チューハイを数本空けるともう酔ってきたのか、いつもと雰囲気が変わっていった。俺とテーブルを挟んで正面で飲んでいたのが、いつの間にか俺の隣に移動してきて、俺にもたれかかりながら飲み始めた。
「宇佐美さん、私は今酔っ払っています」
「見れば分かるよ」
「そうですか。宇佐美さんにはいっておきたいことがあります」
「なんだ?」
「私は宇佐美さんと一緒に生活をして人間というものがどんなものか少しずつ分かってきました」
「それで?」俺は酔っ払った自称天使に相槌を打った。
「私は恋というものを知りました」
「ほう。それはすごいな。恋愛小説で知ったのか?」
「きっかけはそうです。人間の恋ってなんだろうって」
俺はまた「そうか」と相槌を打つ。
「でも最初は理解できませんでした。でもやっと最近恋が理解できたんです。人を好きになるっていう気持ちが分かりました。そうなんです。私は宇佐美さんに恋してます」
その言葉にすこし顔が熱くなった。
「つまり、私は宇佐美さんのことが好きです」
俺はその言葉になんて反応したらいいのか分からなかった。正直、俺もミカに恋していると思う。好きだと思う。でも俺はもうすぐ近いうちに死んでしまう。ここでこの正直な思いを伝えれば、俺が死んだ時ミカは悲しむだろう。そう思うとなにもいえなかった。だからこそ紗友里とも別れたのだ。今ここで仮に俺がミカのことを好きだといったとしたら、ミカは喜ぶだろう。そして俺たちは俺が死ぬまで幸せな日々を送るんだろう。俺はそれでもいい。むしろそうなったらなんて幸福なことだろうと思う。だが、俺が死んだ時にミカはどう思う? 俺が入院しただけであんなに大げさにしていたミカのことだ、きっとひたすら泣いて悲しむだろう。そんなこと考えたくなかった。
「宇佐美さん、聞いてますか?」
「ああ、ちゃんと聞いてるよ」
「じゃあ返事をください」
「そうだな。今は保留ってことにしておいてくれないか?」
俺は逃げた。もしここできっぱりと断ってしまったらミカが俺の傍から離れてしまうんじゃないかと思ったからだ。自分でも卑怯なことをしていると思う。
俺がそう答えるとミカはふてくされたような顔をしてベッドにいってしまった。それから寝息が聞こえてきた。ふて寝でもしたのだろうか。
でもミカの言葉は嬉しかった。ただその言葉には答えられない。それが卑怯な俺の卑怯な答えだった。
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