第24話だって天使ですから
俺はミカの手紙を見つめたまましばらく動けなくなってしまった。混乱していた。天国から地獄に叩き落とされた気分だった。俺はこれから死ぬまでずっと一人なのだろうか。結局、一人で死んでいくのだろうか。そして後悔した。あの時、ミカの思いにちゃんと正直に答えておくべきだったと。ミカともう会えないのであれば伝えることは永延に叶わない。ただ呆然とすることしかできなかった。
俺が虚空を見つめていると、呼び鈴が鳴った。俺はもしかしたらミカが帰ってきたのではないかという期待で急いで玄関を開けた。するとそこにいたのはミカではなく、長身で長い黒い髪をした女だった。
「私が代理で来た天使です。短い期間になるとは思いますが、これからどうかよろしくお願いします」
そういって深々と頭を下げてきた。
「ミカは? ミカはどこにいるんだ?」
「ミカは今別の大事な使命を行っています。どこにいるかはお教えできません」
「ミカが俺の担当の天使なんじゃなかったのか?」
「本来はそうなのですが、今回は特例です。それで代理の私が来ました」
「ミカを呼んできてくれ。俺はミカに用があるんだ」
俺は興奮していた。どうにかしてもう一度ミカに会いたい。そしてまたあの穏やかで幸せな毎日を送りたいと思っていた。
「それはできません。私が代理です」
「あんたは必要じゃない。俺が必要なのはミカだ」
「そういわれても困ります。宇佐美さんを見守るのが私の使命なので」
「あんたの使命なんて関係ない。頼むからミカを呼んできてくれ」
「ですからそれはできません。私があなたを天国までつれていきます」
「あんたも自称天使か」
「自称? 私もミカも天使ですが」
「あんたたちはいったいなんなんだ。自分たちを天使だとかいって、人にそんな冗談いって楽しいのか?」
「冗談なんていってませんよ。全て本当のことです」
「もういい。あんたとこれ以上話しても無駄そうだ。俺の前から消えてくれ」
「そうですか。宇佐美さんがそう仰るのでしたらそうしましょう」
女はそういうと俺の家から離れていった。
いったいなんだっていうんだ。寿命が少ない人間に自分は天使だとかいってなにが楽しいというのだろう。それにしてもあの自称天使の女にいくら話したところでミカには会えそうにない。こうなったら自分の足で探すしかないだろう。ミカを見つけられる算段なんてない。でもなにもしないよりはマシだ。ミカと一緒にいった場所を探そう。そうすればどこかにいるかもしれない。闇雲に探すよりは見つけられる可能性があると思った。
まずはミカがお気に入りだったファミリーレストランに向かった。店内にはいると、お一人様ですか? と訊かれた。
「いや、人を探しているんだ。黒い長い髪の女の子を見なかったか?」
「それだけではちょっと分かりません……申し訳ありません」
「少し店内を見て回ってもいいか?」
「はい、それはかまわいませんが」
「ありがとう」
俺はそういって店内をぐるりと見て回った。しかし、というべきか、やはりというべきかミカは見つからなかった。おれはさっさとファミリーレストランを後にして次は図書館に向かった。館内に入り、一周見て回ってから、ミカが絵本を読んでいたことを思い出し、念入りに絵本のコーナーを見た。でもやはりいなかった。次に向かったのは商店街の本屋だ。もしかしたらミカが本を買いに来ているかもしれない。だがいくら狭い店内を見てもミカの姿はなかった。俺はそんな風にしてミカと一緒にいった場所をひたすら探して回った。だが全く見つかる気配がない。海にもいった。美乃里が住む地元にもいった。俺の故郷の公園にもいった。しかし、ミカの姿はどこにもなかった。それでも諦めることができず、同じ場所でも何回も探しにいった。
この日もなんの収穫もなく、家に帰ってきてベッドに倒れこむ。疲れた。もう疲れきっていた。ミカを探し始めて一ヶ月がたとうとしていた。いくら探してもミカは見つからなかった。そのままベッドの上で目を閉じる。後はどこを探せばいいのだろう。どこにいけば会えるのだろう。すると呼び鈴が鳴った。俺の家の呼び鈴を鳴らす人間なんて限られている。俺は高鳴る胸を抑えて、玄関を開けた。もしかしたら、もしかしたら。
そこに立っていたのはこの前の代理の天使と名乗った女だった。
「なんだ……あんたか」
「すみません。でも宇佐美さんがあまりに無駄なことをしているのを見ていたもので」
「無駄? 無駄なことなんかじゃない」
「無駄なんです。ミカは見つかりません」
「そんなこと分からないじゃないか」
俺は無駄だと図星をつかれていらついた。
「分かります。あなたはミカには会えません。ミカは今遠いところにいるのです」
「遠いところ? どこなんだそこは?」
「天国です。ですからいくら探しまわっても見つかるはずないんです」
「また天国の話か。もうそういう話はうんざりだ。本当のことを教えてくれ」
「本当の話なんです。私は嘘をついたりしていません。信じるかどうかは宇佐美さんに委ねます」
「俺はそんな話やっぱり信じられない。ミカはきっと見つかる。見つけられるはずなんだ……」
「そうですか。信じて貰えないのは残念ですが、仕方ありません。それに宇佐美さんが信じようが信じまいが、ミカは見つけられないのですから」
俺はその言葉がとどめのように感じた。自分でも薄々分かっていた。ミカを見つけられないのではないかと。でもそれを他人から絶対見つけられないなんていわれたら、心が折れてしまう。そして俺の心は折れてしまった。テーブルの前に座り、もう一度ミカからの手紙に目を通す。そこには、最後に、「いつかきっと宇佐美さんにまた会いにきます。約束です」と書かれていた。もうこの言葉を信じるしかない。しかし代理の自称天使はもうミカには会えないといっていた。このミカの言葉は優しい嘘なんだろうか。俺にはもう分からない。でも、もう信じるしかない。俺はミカのこの言葉を信じる。
部屋の棚からアルバムを取り出す。そして一ページ一ページめくっていく、最初の方のページは空、家、自然などの風景が漠然と写っていた。それらを数ページめくると、俺とミカ二人の写真で溢れていた。ミカの愛らしい笑顔と俺の不器用な笑顔が写っている。その写真を見ていると自然とミカとの短い夏の思い出が蘇ってきた。
最初にミカと出会ったのは公園だった。俺が余命宣告を受けた直後で、この頃は死の実感なんてなかった。そこでミカは、「私は天使です」と馬鹿げたことをいったのだ。あんな衝撃的な自己紹介があるだろうか。きっと後にも先にもあんな自己紹介はもうないだろう。最初は宗教の勧誘か営業か、もしくはただの変人だと思っていた。でも本当はただの優しい女の子だった。俺のことを思いやり慰めてくれた。
紗友里と別れる時は、ミカに助けられた。ミカがいなかったらきっと別れることはできなかっただろう。結果的に紗友里を傷つけてしまい、自己嫌悪に陥ったがそんな時も慰めてくれた。私がずっとそばにいますといってくれた。その後は藤崎に会って、その帰りにミカの高校時代の同級生に会った。その時、やっぱりミカは普通の女の子なんじゃないかと思った。なにか理由があって天使ごっこをしているんだと。それから次に海に二人でいくことになった。水着を持っていないというから隣町のショッピングモールまでいった。あの時は、ミカと一緒に水着を選ぶのが恥ずかしかったことを覚えている。女の子と水着を見るなんて初めての経験だったから。水着を買った次の日には早速海にいった。俺は初め、海を見ながらビールを飲めればそれでいいと思っていて、泳ぐつもりなんてなかったのに、結局ミカのペースに乗せられて一緒に泳ぐことになった。思えば一緒に泳いだことは楽しかった。お昼は海の家で食べ、その後もくたくたになるまで泳いだ。帰りの電車から見えた夕日はとても綺麗で、その夕日に照らされていたミカの横顔は可愛かった。
海にいって数日たってからは俺が風邪を引いてしまった。その時はミカが一生懸命看病してくれた。隣の美容師に看病のやり方を訊いて、俺のために食事を作ってくれたり、額にタオルを乗せてくれたり、一人で薬まで買いにいってくれた。元々はその風邪がきっかけで一緒に眠ることになったんだ。それから結局最後まで一緒に眠った。ミカと一緒に眠る夜は幸せで満ちていたような気がする。
次に起こったことは美乃里との再会だった。美乃里は藤崎みたい変わってしまったというわけではなかったが、俺が思っていたような結果にはならなかった。本当は美乃里に会って、全部を話して慰めて貰いたかったというのが本音だった。でも美乃里は俺の話を聞こうとはせず、拒否してきた。あの時はショックだった。まさか美乃里が俺の話を聞いてくれないなんて考えもしなかったからだ。その上、もう会いたくないとまでいわれてしまった。その衝撃は筆舌しがたい。それですっかり意気消沈した俺を慰めてくれたのもミカだった。あの時は思わず嬉しくて泣いてしまった。ミカが俺にとってどれだけ大きな存在になったことか。
そしてミカの提案で花火大会にいくことにもなった。本当は最初乗り気ではなかったのだが、今回もミカのペースに乗せられいくことになった。ミカが浴衣が着たいというので浴衣をレンタルした。浴衣姿のミカはとても可愛くて、今でもよくその姿を覚えている。それから人混みの中に入っていって、はぐれそうになった時、ミカが俺の腕に自分の腕を絡ませてきたのだ。あの時は正直恥ずかしくて仕方がなかった。きっともうその時点で、俺はミカのことを好きになっていたんだと思う。いつからミカを好きになったのかと聞かれても明確な答えは出ない。気づいたらいつの間にか好きになっていた。そういえばミカはいつから俺のことを好きになってくれたのだろう。もしまた会えたら訊いてみたい。人混みをかき分け、見た花火は綺麗だった。群青と橙色が混ざった夜空に咲く大きな花は本当に美しかった。それを見上げるミカも美しかった。ミカの横顔に目を奪われたことを覚えている。その後、公園で子供たちが手持ち花火をやっているのをミカが見てやりたいといい出した。その提案に乗り、スーパーマーケットで花火セットを買って二人で花火をした。初めての手持ち花火にはしゃいでいたミカが印象的だった。ミカは両手に花火を持ち振り回して楽しそうにしていた。最後に線香花火を二人でやった。静かに火花を散らす線香花火をミカはとても気に入っていた様子だった。硝煙が漂う中、線香花火をしゃがみながらやっているミカは幻想的だった。
花火をやった日の次は、いよいよ死ぬまでにしたいことリストの初恋の人探しにいった。初恋の彼女が毎日いた公園にいくとミカは不思議なことをいった。懐かしい感じがすると。あれはなんだったのだろうか。本当にただの既視感だったのだろうか。それから俺は公園にいても彼女のことを思い出せず、周りの民家の呼び鈴を片っ端から鳴らして、彼女のことを訊いて回った。結局成果はなかったが。その後実家にもいった。実家はすでに取り壊され、空き地になっており、俺の思い出が一つなくなってしまったような気持ちになった。その帰りの電車でミカが俺にもたれかかって眠っていた時、ミカの温もりと匂いが彼女のものと一緒だと気づいた。でもそんなことがありえるのだろうか? でもミカは以前天使は歳をとらないといっていた。もし、本当にミカが天使だったら、ミカが俺の初恋の人なのか? こんなことを考えるなんて馬鹿げてるとは思う、でも……もし、本当にそうだったら――
リストの項目を全て埋めた俺は怠惰な生活に戻り、ある日外出中に道ばたで倒れ、ミカに救急車を呼んで貰った。またミカに助けて貰ったってわけだ。病院で目を覚ますと、ミカがパイプ椅子に座っていた。きっと俺が眠り続けている間もずっと傍にいてくれたのだろう。俺が目を覚ましたことに気づくと、大げさにも俺に抱きついてきた。あんなに誰かに心配して貰ったのは初めてだったから嬉しかった。退院してからは、俺は写真を撮り始めた。撮った写真は全て現像してこのアルバムに綴じてある。最初は風景ばかり撮っていたが、それでも物足りなくなり、ミカと一緒に自分を撮った。この写真は全て俺の大切な宝物だ。俺がミカと共に生きていたという証だ。
そして、ミカがある日突然いなくなった。俺は一ヶ月近く費やし、ミカを探した。でももうミカはどこにもいなかった。なあ、ミカ。今ミカはどこにいるんだ? なにを思っているんだ? 本当にまたいつか会えるのか? それとも俺はこのまま誰にも看取られず死んでいき忘れ去られてしまうのだろうか。その不安が消えることはなかった。
そんな思いに浸っていると呼び鈴が鳴らされた。きっとまたあの代理の女だろう。俺は立ち上がり、アルバムをテーブルの上に置いて、玄関を開けた。
すると、急になにかに抱きつかれた。
「宇佐美さん、宇佐美さん、宇佐美さん」
彼女が何度も俺の名前を呼ぶ。
「やっと、やっとまた会えました」
これは幻覚なのか? あれだけ探しまわってどこにもいなかった彼女が今俺に抱きついている。
「傍にいられなくてすみませんでした。でも約束通りまた帰ってきましたよ」
彼女は涙を流しながら笑った。
「ああ、信じてた」
「ねえ、宇佐美さん……天使が人間に恋をするのは変でしょうか?」
「そんなことはないさ。じゃあ人間が天使に恋することは変だと思うか?
「いいえ、そんなことありません」
それから彼女はこう続けた。
「あの……私が教えた誓いの言葉覚えてますか?」
「結婚式のやつか?」
「そうです。私が今から牧師の役をやるので、二人で一緒に『誓います』っていってくれませんか?」
「ああ、もちろん」
俺はもう自分の気持ちに正直になろうと決めた。ミカがいなくなって、自分の気持ちを伝えられなくなるのは嫌だった。
「じゃあいきますよ。『健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく一緒にいることを誓いますか?』」
『はい、誓います』
「『では、お互い自分自身をお互いに捧げますか?』」
『はい、捧げます』
それから俺たちは向い合って笑った。
「これからはずっと宇佐美さんの傍にいますよ」
そしてはにかみながら誓いの口づけをした。
「なあ、ミカ。俺が死んでも一生忘れないでいてくれるか?」
「いいえ……永延に忘れません」
そう答えるミカは俺にとって間違いなく、本物の天使だった。
だって天使ですから 楠木尚 @kusunoki_nano
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