第9話別れ

 そして約束の時間に近づき、俺は着替えて家を出る準備をした。忘れ物がないか確認し、玄関を開ける。すると、当然といわんばかりにミカがついてきた。


「ミカはここで留守番しててくれ。今から彼女に別れ話するっていうのに女連れじゃ、まずいだろ」


「ついていきます。これも使命の一つなので譲れません」


 俺は深い溜め息をついた。


「宇佐美さん、溜め息ばかりですね。溜め息つくと幸せ逃げちゃいますよ」


「溜め息もつくさ。女を隣に置いて別れ話をさせるつもりか?」


「そういわれましても、使命なので…」


 ミカが困った顔をしながら俯いた。困っているのはこっちだというのに。


「分かったよ。ただ、俺からは距離をとって他人のフリをしてくれないか?」


「分かりました。迷惑かけてすみません」


「なに今更謝ってるんだよ。もう慣れたさ。それに看病もしてくれるしな」


 俺がそういうとミカは嬉しそうに笑顔で「はい」と答えた。


 集合場所まで俺とミカは離れて歩いた。いつ紗友里に見られるか分からない。万全の注意を払わなければならないと思った。

 集合場所の駅前につくとすでに紗友里が来ていた。俺の姿を見るなり遠くから手を振っている。俺もそれに合わせて軽く手を振った。

 紗友里は白い薄手のブラウスに淡い緑色のスカートを履いていて涼しげだった。長い黒髪が風に揺られている。


「もう、やっときた。遅いんだから」


 紗友里はいつも通り笑顔だった。ただその笑顔が今は辛い。まさか振られるなんて微塵も考えていないのだろう。俺だって寿命のことがなければ振るつもりなんて毛頭なかった。


「時間通りだろ? いつも紗友里が早過ぎるんだよ」


「そんなことないよ。五分前行動って学校で習わなかったの?」


「紗友里は五分どころか十分以上前からいつもいるじゃないか」


「分かってるなら早く来てくれてもいいんだよ? 次は私より早く来てね」


 紗友里、次はもうないんだよと心の中で呟いた。


「それにしても宇佐美くんから誘ってくるなんて珍しいね。いつも昔から私が誘ってばかりだったのに。だから今日はちょっと嬉しいんだ」


 頼むからそんなに嬉しそうにしないでくれ……そう思った。


「今日はちょっと大事な用があったから……」


「話がしたいんでしょ? じゃあとりあえず近くのカフェにでも入ろうよ」


 紗友里につれられ駅前にある小洒落たカフェに入った。白と茶色を基調とした店内でとても落ち着いた雰囲気だ。駅前だけあって店内は様々な客で賑わっていたが、女性客が多いみたいだ。俺たちは奥の窓際の席へ案内された。窓からはさっきまでいた駅前が見下ろせる。

 席に着き、メニューを見る。ケーキの種類がたくさんあった。


「ここのお店ね、ケーキがおいしいんだよ。宇佐美くんも頼んだら?」


「いや、俺はいいよ」


「残念だなあ。せっかくおいしいのに。でも甘いもの苦手だもんね。あ、お腹は空いてない? ここパスタとかもあるんだよ」


「減ってないから大丈夫だよ」


「そっかあ。じゃあ私はなににしようかな。うん、決めた。ケーキとアイスティーにする」


「宇佐美くんはもう決まった?」


「俺は暑いからアイスコーヒーにするよ」


「じゃあ二人とも決まりだね」


 二人とも頼みたいものが決まり、店員を呼ぶ。俺はアイスコーヒーを、紗友里はアイスティーとショートケーキ、チョコレートケーキを注文した。


 ふと入り口の方を見る。するとミカが一人で入店してきていた。そして俺と紗友里の近くの席に座りなにかを注文していた。無一文なのにどうするつもりなのか。きっと俺が払うんだろうが、どのタイミングで払えばいいんだ。まさか店を出る際にミカを呼ぶわけにもいかないだろうし。もしここでミカの存在がバレたら話がややこしくなってしまう。考えるだけで頭が痛くなった。

 頭を抱えていると紗友里が話しかけてきた。


「ここ数日大学に来てなかったでしょ? なにしてたの?」


「ちょっと風邪を引いててさ」


 嘘だ。余命宣告を受けたことは紗友里には絶対にいわないつもりでいる。


「風邪? もう大丈夫なの? あんまり顔色良さそうには見えないけど」


「風邪はもう大丈夫だよ。熱もないし。いつも通りだ」


「ならいいんだけど。いってくれれば、看病してあげたのに。いっつも私の事頼ってくれないよね」


「風邪ぐらいで悪いと思ったんだ」


「そんなことないよ。些細なことでも頼りにされると嬉しいもんなんだよ? 次からは、風邪引いたりなにか病気になったら必ず連絡すること。いい?」


「ああ、分かったよ。必ず連絡する」


 胸が苦しかった。人を振るということがこれほどまでに苦しいだなんて知らなかったし、知りたくなかった。


「分かってくれればいいよ。それでさ、今年の夏はどうする? 去年みたいにどこかに旅行にいく?」


「あのさ、その前に話があるんだ」


 俺は意を決していおうとした。

 だがその時、タイミング悪く、店員が注文したものを運んできた。

 俺は運ばれてきたアイスコーヒーを無言で飲んだ。タイミングを逃してしまった。一度タイミングを逃すともう一度いうときにはそれ以上の勇気がいる。


「やっぱりここのケーキおいしいな」


 紗友里は満足そうにショートケーキを食べていた。ちゃんと話をしなければ。そう思えば思うほど、なかなか口が開かなかった。


「私、旅行も行きたいけど、海とお祭りもいきたいな。毎年ここの近所でやってるお祭りあるでしょ?」


「ああ、あるね。去年も一昨年も予定が合わなくていけなかったんだっけ」


「そうそう。だから今年はいきたい」


 俺は無言になってしまった。なんて答えたらいいのだろうか。

 俺が無言のまま窓の外を見ていると、


「それで話ってなに?」


 と紗友里から訊いてきてくれた。ここでいうしかない。そう思った。


「えっと、実はさ……」


 言葉がうまく口から出てこない。喉になにかがつっかかっているような気分だった。

 紗友里との今までの思い出が頭の中に流れ込んできて頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 初めて出会った日。

 初めて二人で出かけた日。

 高校の図書室での毎日。

 告白された日。

 初めてデートした日。

 一緒に大学に通った日々。

 初めて二人で旅行した日。

 そんな様々な思い出がぐるぐると巡った。


 アイスコーヒーでそれを流し込む。

 そして俺はいった。


「実は、別れてほしいんだ」


「別れるってなにと?」


 紗友里は本当に意味が分かっていない様子だった。


「俺と別れて欲しい。つまり付き合いを終わりにしたいんだ」


「急にどうしたの? なんでそんないきなり……」


 紗友里の顔が強ばる。


「本気でいってるの?」


「ああ、本気だ」


「なんで? 理由は? 私なにかした?」


 しまった。別れるということばかり考えていて理由を考えていなかった。


「理由は……」


 ここは適当に濁すしかない。


「理由は、もう紗友里のこと好きじゃなくなったんだ。それだけだよ」


「そんな理由で別れたくない」


 紗友里は今にも泣き出しそうだった。


「そんなんじゃ納得できないよ。私たち付き合ってもう三年でしょ? そんな急に好きじゃないなんていわれても……」


「ごめん」


「ごめんじゃないよ……私は嫌だよ。別れたくない。だって私は宇佐美くんのこと好きだもん」


「本当にごめん。でももう好きじゃないんだ。だから別れて欲しい」


「嫌だ。絶対に嫌だ」


 紗友里はそういうと下を向いて俯いてしまった。


「紗友里……?」


「…………」


 どうやら黙りを決め込んだらしい。俺はこれ以上なんていっていいのか分からなくなってしまった。でも、紗友里の幸せを願うのなら別れるしかない。

 俺は必死で考えた。どうやったら別れられるのか。しかし今まで人を振ったことなんてない。なかなか言葉は浮かんでこなかった。

 紗友里の方を見る。相変わらず俯いていて、なにも話すつもりはないといった風だった。

 そんな時、今思えば、最も最悪で最低なアイディアを思いついた。

 俺はおもむろに立ち上がり、ミカが座っている席へと向かった。ミカが俺に気づきこちらを向く。俺の顔を見て、ミカの目が見開かれた。驚いているミカの腕を無理矢理引っ張り、紗友里がいる席へと連れていった。

 紗友里がこちらを向く。


「紗友里、実はさっきの話は嘘なんだ。本当は好きじゃなくなったんじゃなくて、別に好きな人ができたんだ。それがこの人だ」


 紗友里はしばらく固まっていて動かなかった。あまりに突然のことだったからだろう。


「本当なの?」


 紗友里は俺ではなくミカに訊いているようだった。それに対してミカは俺の目を見る。俺は、うんと頷いた。それからミカは紗友里に「はい」と小声でいった。


「もう付き合ってるんだ。だから紗友里とはもう付き合えない。本当にごめん」


 紗友里は俺の目を見ながらふるふると震えていた。

 そして、


「……最低」


 紗友里はそれだけいい残し、店を出ていった。


 ミカが先ほどまで紗友里が座っていた席に座る。俺も自分の席に座った。一気に虚脱感に襲われた。


「本当にこれでよかったんですか?」


 ミカが俺に問い詰めてくる。


「きっとこれでよかったんだ。他に方法が思い浮かばなかったんだ」


 俺は自分にいい訳するようにいった。


 ミカは紗友里が手をつけていないチョコレートケーキを食べ始めた。

 俺はテーブルに肘をつき、頭を抱えた。


「これおいしいですよ。宇佐美さんも食べませんか?」


 それから三人分のお代を払い店を出た。外は夕焼けで真っ赤に染まっていて、まるでこの世界の終わりのようだった。家までの帰り道、俺はずっと無言だった。ミカもなにか話しかけてこようとはしなかった。黙って二人で歩いた。なにか少しでも話してしまったら俺が泣いてしまいそうだったから。


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