第17話図書館

風邪を引いてから数日、ミカの看病もあり体調はすっかりよくなっていた。熱は下がり、頭痛や関節痛、吐き気もなくなり食欲も元通りだ。風邪を引いたのは病気のせいで、もしかしたら免疫力が落ちているのかもしれない。もし仮にそうであれば、今後もなにかの感染症などにかかる可能性は高い。体調管理はしっかりしておかなければ。幸い、腹部の激痛はここ最近はきていない。このままこなければいいのだが。

 風邪を引いている間はずっとミカと一緒に寝ていた。それが習慣化してしまったのか、体調が元に戻ってからも一緒に眠るのが当たり前になっていた。なんだかミカと一緒に眠ると心が安らぐのだ。前から思っていたことだが、ミカの匂いはなぜか懐かしい感じがする。安心するのはそのせいだと思う。その匂いは昔どこかでかいだことのあるような気がするのだが思い出せなかった。特段、ミカも一緒に寝ることにはなにもいってこないからそのままにしているというのが現状だ。

 体調を崩した数日間は風邪の症状を除けば安らかなものだった。だが、そろそろ死ぬまでにしたいことのリストを消化しなければいけない頃合いだろう。俺に残された時間は有限で短いのだから。


 ベッドから起きだし、テーブルの前に座る。そしてノートを広げた。リストに目を通し、なにが残っているのかを確認する。残っているのは、

・美乃里に会う

・秋月の墓参り

・両親の墓参り

・初恋の人探し

 以上の四つだ。墓参りはいつでもできるだろうから今回は省く、となると「美乃里に会う」か「初恋の人探し」の二つに絞られる。「初恋の人探し」は最後にすると決めているから、残るのは必然的に「美乃里に会う」になる。



 美乃里と初めて話したのは俺が小学校一年生の時だった。それから中学卒業までずっと一緒だった。俗にいう幼なじみっていうやつだと思う。

 俺は小学校に上がる直前に両親を事故でなくした。それから美乃里が住んでいる土地に住んでいた親戚に引き取られたのだ。小学校に入学したばかりの俺は両親をなくしたショックで塞ぎこんでいた。誰とも話さず、本だけを読んでいた。今思えば両親の死がきっかけで本を読むことが趣味になったのかもしれない。直視できない現実から目を背けるために、俺は本の中の物語にばかり目を向けた。本の物語は俺に優しかった。楽しい物語や、面白い物語、笑える物語、ハーピーエンドの物語を好んで読んだ。悲しい物語や人が死ぬ物語は嫌いだった。家でも学校でも俺はひたすら本を読んでいた。本が読めない授業中は空想をして現実から逃げた。それほどまでに、俺にとって当時の現実は辛過ぎたのだ。だがそんな生活をしていれば当然、現実の世界から浮いてしまう。現実に俺の居場所なんてなかった。家でも一人だったし、学校でも一人で、俺と話す人間なんて一人もおらず、ただただ孤独だった。それがさらに俺を現実から逃避させ、自分の世界に入り込む。そんな悪循環の毎日だった。

 そんな暗い俺の現実に一筋の光が差した。それが美乃里だったのだ。他のクラスメイトは本ばかり読んでいる俺を気味悪がり、一切関わろうしてこなかったのだが、美乃里だけは違った。今でもはっきりと覚えている。初めて美乃里が俺に話しかけてくれた時のことを。


「ねえ、なんで本ばっかり読んでるの?」


 本を読んでいる最中に突然話しかけられ、驚いた。まだこのクラスに俺に関わろうとする人間がいたということにも驚いた。俺は美乃里の顔を見ながらしばらく静止していたと思う。それから普段使う機会のなかった口でこう答えた。


「現実は嫌なことばかりだから」


「嫌なことって?」


「本以外、全部」


「本以外は全部嫌なことなの?」


「うん、そうだよ」


「遊んだりすることも?」


「ずっと誰とも遊んでないからそんなこと忘れた」


「じゃあ私と遊ばない?」


「……なんで君は俺に構うの?」


「だってずっと不思議だったんだもん。いつも本ばかり読んでる宇佐美くんのこと。だから話しかけたの。駄目だった?」


「別に駄目なんかじゃないよ。でも君は変わってるね。みんなは俺のこと気味悪がってるのに」


「みんなの方が変わってるんだよ。私は宇佐美くんと遊んでみたい」


「やっぱり変わってる。分かったよ。なにして遊ぶの?」


 これが初めての会話だった。たしかこの会話の後、校庭につれていかれてなにかをして遊んだはずだ。

 美乃里は暗くて内向的な俺とは対照的な女の子だった。いつも元気で外を走り回っていて、女の子というよりは同性の友達と遊んでいる気分だった。実際、美乃里は男が楽しむような遊びばかりしていた。美乃里と遊ぶ場所はいつも外だった。山に虫を取りにいったり、川で泳いで遊んだり、冒険ごっこなんかもした。その性格は美乃里が中学生になっても変わりはしなかった。むしろ中学に入学してより、さばさばして男っぽい性格になっていったと思う。その性格から男女両方から人気があった。そんな人気者の美乃里と俺が友達だと知ると、周りの人間はみんな驚いた。あまりに不釣り合いだったからだろう。自分でもなんで美乃里と仲がよかったのか分からなかった。

 小学生の時、美乃里に話しかけれてから俺はちゃんと現実の世界を見るようになっていった。きっとあの時美乃里が俺に話しかけてくれなければ、俺の人生はずいぶんと違ったものになってたんじゃないかと思う。美乃里は恩人だった。俺を一人の世界から外の世界に連れ出してくれたのだ。美乃里との交流は結局、中学を卒業する日まで続いた。その間、俺と美乃里は学校が終わるといつも一緒に下校して寄り道をしたりして色んな遊びをした。どうして美乃里がそんなに俺に構うのか不思議でならなかったから、中学のある日訊いてみたことがある。


「美乃里はなんで俺に構ったりなんかするんだ? もっと遊ぶ連中なんてたくさんいるだろ?」


「ううん……なんでっていわれてもなあ。気が合うから? かな?」


「俺たち真逆な人間だと思うけどな」


「そうかな? 私はそうは思わないな。じゃあ一緒にいて気が楽だからかなあ」


「なんだか的を射ない答えだな」


「だってなんで友達なのかなんて分からないじゃん。それに友達になるのに理由なんている?」


「俺は美乃里以外、友達がいないから分からない」


「そういえばそうだったね。友達いないもんね。なんで友達作らないの?」


「作らないんじゃなくて作れないんだよ。人付き合いは昔から苦手だって美乃里も知ってるだろ?」


「宇佐美は損してると思うんだよね。本当はすっごくいいやつなのに、自分のことなにも話さないから誰にも理解して貰えないんだよ。ちゃんと言葉にして伝えないと伝わらないんだからね?」


「そういってくれるのは美乃里だけだよ。それに自分のこと話すのはどうしても苦手なんだ。理解して貰えるとか以前の問題だよ」


「私には自分のこと話してくれるじゃん。こんな風に他の人にも話せばいいんだよ。そうすればきっと周りからも好かれるよ」


「俺にはまだ難しいよ。それに、仮に自分のことを話したって好かれるわけないさ」


「そんなことない。私は宇佐美のこと好きだよ」


 俺はその言葉に対してなんて返せばいいのか分からなかった。人に好意を向けられることに慣れてなかったからだ。美乃里のその素直で率直な言葉に俺は混乱してしまった。


「……」


「変なタイミングで無言にならないでよ」


 と美乃里は笑った。


「宇佐美っていう人間を人として好きってことだよ」


「分かってるよ。ただ、今まで好きって言葉なんていわれたことなかったから」


「でも、もしかしたら宇佐美のこと異性として好きっていう女の子もいるかもしれないよ?」


「そんなわけないよ。ただでさえ人から好かれないのにそんなことあるはずない」


「宇佐美は鈍いからなあ」


「悪かったな。鈍くて」


「本当だよ。きっとその女の子は宇佐美の知らないところで泣いてるよ」


「そんないるはずのない人間の話しなんていいよ」


「宇佐美は女の敵だね」


 と美乃里はまた笑った。


 結局、なんで美乃里が俺に構うのかは分からず仕舞いだった。

 そんな美乃里との関係は中学卒業を機会に終わりを告げた。進学先の高校が別々だったのだ。それ以来、連絡はぷつりと途絶えた。なぜ急に連絡が途絶えたのかは分からない。俺がなにかした覚えはなかった。そして高校に進学し、俺はまた孤独になった。



 携帯を手に取って美乃里のメールアドレスを探す。メールアドレスはちゃんと残っていた。だが果たしてメールを送れるだろうか。中学以来連絡をとっていないのだ。連絡先が変わっている可能性は非常に高いと思った。だが美乃里から連絡先が変わったというメールがきたことはない。美乃里と連絡がとれる可能性があるのはこのメールアドレスと電話番号だけだった。これに託すしかない。俺はどうしても美乃里にもう一度会ってお礼がいいたかった。俺を外の世界に連れ出してくれたことに対して。

 そして、「久しぶりに会って話がしたい」という旨のメールを作成して送った。携帯には送信済みの画面が表示されている。しばらく待ってもメールは返ってこなかった。だが、幸運にも送信先不在を表すメールもこなかった。つまりメールはちゃんと美乃里の元へ届いたということだ。これだけでも嬉しいことだった。問題はメールが返ってくるかどうかだ。美乃里がこのメールを見たとして、なんと思うだろうか。俺のことなんか忘れているかもしれないし、例え覚えていたとして返信してくれる気持ちになってくれるかどうか。


 俺が携帯の画面を凝視しているとミカが話しかけてきた。


「もう次のこと始めるんですか?」


「ああ、ここ数日風邪で動けなかったからな。大事な時間を無駄にしてしまった。だから少しでも早く行動しようと思ったんだ」


「次はなにをすることにしたんです?」


「美乃里に会おうと思っている。もっとも会えたらの話だが」


「会えなそうなんですか?」


「まだ分からない。今メールを送ったばかりだ」


「返信、来るといいですね」


「正直、来なくても不思議じゃない」


「なんでですか?」とミカは首を傾げた。


「中学の卒業式以来、連絡をとってないんだ。もちろん会ってもいない。果たして俺のことを覚えていてくれてるのか分からない」


「たったの数年じゃないですか。きっと覚えてますよ」


「だといいんだが」


 結局、その日美乃里から返信が来ることはなかった。



 次の日、起きて真っ先に携帯を見た。もしかしたら俺が寝てる間にメールが来ているかもしれないと思ったからだ。しかし、携帯にはなにも届いていなかった。今日の夜までに、連絡がこなかったら電話をかけてみようと思った。

 日中はすることがなかったので本を読もうとしたが、すでに買っておいた本は全て読んでしまっていた。なにをするか思案していると、


「今日は本読まないんですか?」とミカが訊いてきた。


「買った本はもう全部読んでしまったみたいだ」


「そうなんですか。それで暇そうにしているんですね」


「まあな」


「じゃあ私にいいアイディアがあります」


「いいアイディア?」


「はい、本屋さんで本を買うのもいいと思うんですが、たまには図書館なんてどうでしょうか?」


「図書館か。確かにあそこなら本もたくさんあるし、エアコンも効いているだろうな」


「この近所に図書館はないんですか?」


「そういえば歩いていける距離にあった気がするな」


「宇佐美さんは図書館いったことないんですか?」


「ないな」


「なんでです? こんなに本好きなのに」


「禁煙だからさ」


「どうしようもない理由ですね」


 とミカは呆れた顔をしていた。


「きっと外には喫煙所ぐらいありますよ。だからいってみませんか?」


「たしかに悪いくないかもしれない。いってみるか」


「楽しみです。じゃあ早速準備しましょう。私も宇佐美さんの影響で本が好きになりましたから」


 図書館までは歩いて二十分ぐらいの距離だった。初めてみる建物だったが古ぼけていてどこか懐かしさを感じさせる見た目をしていた。それに思っていたよりも大きな造りだった。館内に入ると人はまばらで、そこらにちらちらと人影が見えるだけだった。平日の昼間に図書館に来る連中なんてほとんどが暇人だろう。俺たち二人もそれに漏れなく含まれていた。ミカは初めて見る図書館の書物量に圧倒されていて、口を大きくポカンと開けていた。

 俺は小説が置いてある棚を目指した。なるべく図書館の閉館時間になる前に読み切りたかったから、短編集を手にとった。そして適当に空いている席に座って、本を読み始めた。ミカはまだどの本を読むか迷っているらしく、そこら辺をうろちょろしている。

 本を読み始めて一時間ほどがたった。ずっと同じ姿勢で読んでいたから背中や肩が痛かった。立ち上がり、伸びをする。立ったついでにタバコを吸いたいと思い、喫煙所を探した。壁にかかっている案内図によると入り口の外にあるようだった。入り口を出ると熱く湿った空気に出向かえられた。さっきまでエアコンが効いていた館内にいたから余計に暑く感じた。喫煙所は入り口を出て右の方を見たらすぐに発見できた。木陰になっていて、直射日光は受けずに済みそうだ。ポケットからタバコとライターを取り出し、火をつける。煙を吸い肺まで十分ためて吐き出した。吐き出された煙は空高く上っていき、霧散した。タバコを吸いながら携帯を見る。相変わらず、美乃里からの返信はなかった。ただずっと待っているというのは人間を疲労させる。俺はすっかり待ちくたびれてしまっていた。図書館から帰ったら電話をしよう。そう心の中で呟いた。タバコを灰皿に投げ入れ、また館内に戻った。

 館内に戻るとミカはなにやら絵本を読んでいた。なんだかその姿は妙に似合っていて、少し可笑しくなった。俺は自分の席に戻り先ほどの短編集の続きを読み始めた。そして一時間後にはまたタバコを吸いにいき、戻って来るということを数回繰り返すともう閉館時間が迫っていた。


「ミカ、そろそろ閉館時間だから帰るぞ」


「あ、はい。本戻してきます」


 そういって急ぎ足で本を戻しにいった。


 外はすっかり夕暮れになっていた。空は群青と橙色が混ざったような色をしていた。蝉は休むことなく鳴いていた。たまには休んで貰いたいものだ。そう思いながら図書館を後にした。

 それから駅前の商店街へいき、いつも本を買っている本屋に寄って、俺もミカもそれぞれ本を数冊買ってから帰路についた。


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