第19話幼馴染

 二時間後、目的の駅に到着した。ここは俺の地元でもある。ここに来るのは三年ぶりだった。大学に進学して一人暮らしを始めて以来、俺を引き取った親戚の家には一度も帰っていない。この街は本当になにもない場所で、よくいえば自然で溢れた街だった。駅前は相変わらず閑散としていて、店もほとんどなく、歩いている人さえほとんど見かけない。街全体が静まり返っているようで、いつもより虫の鳴き声が大きく聞こえる気がした。

 待ち合わせの時間は昼の二時だ。今は一時半。約束の時間まで三十分ほどある。さすがにこの炎天下の中ずっと待っているのは辛い。かといってちょっと休憩できそうなカフェやファーストフード店などはもちろんなかった。辺りを見回すと丁度木陰になっているベンチがあった。とりあえずはそこに座って時間を潰そう。

 木陰のベンチは思っていたよりは風があって涼しかった。ここであれば三十分ぐらいなら待っていられそうだ。約束の時間まで俺は何度も自分の腕時計で時間を確認していた。一分一分が長く感じられた。


「宇佐美さん、そんなに時計ばかり見ても時間は早く進みませんよ?」


「分かってるさ。でもつい見てしまう」


「よっぽど美乃里さんと会うのが楽しみなんですね」


「ああ、美乃里とならきっと楽しい時間を過ごせるはずだ」


「今まで会った方たちとは散々でしたもんね。今回は会ってよかったと思えるといいですね」


「きっと大丈夫さ」と俺は自分にいい聞かせるようにいった。きっと美乃里なら変わっていない。仮に変わっていたとしても、いい方向に変わってるさ。

 それから何十回目になるか分からない時間の確認をしていると、


「もしかして宇佐美?」と後ろから声がした。俺の心臓の鼓動は速くなり、体中を勢いよく血液が巡る。そして恐る恐る後ろを振り返った。そこには茶色のショートヘアーで、薄手のパーカーにショートパンツを履いた女の子が立っていた。


「……美乃里か?」俺は慎重に訊ねた。


「やっぱり宇佐美だ。後ろ姿でもう分かったよ」と美乃里は微笑んだ。


「髪型変えたんだな」そんなどうしようもない言葉しか出てこなかった。


「まあ、中学卒業してから六年だからね。髪型ぐらい変わるよ。宇佐美は中学生がそのまんま大きく育ったって感じだね。雰囲気とか変わってない」と笑った。


「たしかにそうかもな。変わったのは身長ぐらいかもな。中身は昔のまんまさ。なにも変わってない」


 俺は自嘲するようにいった。


「男なんてみんなそんなもんなんじゃない? 体は大人でも中身は子供のまんまだよ」


 それからこの日差しの中立ち話をするのもあれだからといって、ここから近い場所にあるというファミリーレストランに移動した。美乃里の話によると最近できた店らしい。実際、店内は綺麗でこの建物が建ってあまり時間が立っていないのだと分かる。店内に入るとタバコを吸いますか? と店員に訊かれた。俺は美乃里の方を見る。


「私は吸うけど、宇佐美は?」


「ああ、俺も吸うよ」


 美乃里がタバコを吸うなんてなんとなく意外だった。昔からよく外を走り回っていたから、健康的なイメージが強かったのだろう。

 店員の質問に吸います、と答え、窓際の四人席に案内された。美乃里が奥側で俺とミカが手前に座った。席に座ると、俺と美乃里は同時にタバコを取り出し火をつけた。美乃里と再会した興奮が少し落ち着いた気がした。


「それで宇佐美、さっきから気になってたんだけど、その子は宇佐美の彼女?」


「こいつはちょっとした知り合いで、どうしてもついてきたいっていうから仕方なくつれてきたんだ。無視してくれて構わない」


 ミカは俺の方を一瞥し俺を睨んだ。きっと紹介の仕方が気に入らなかったのだろう。


「そうなんだ。てっきりあの宇佐美にも彼女ができたのかって驚いちゃったよ」と美乃里は笑った。


「彼女はこの前まではいたよ」


「もしかして失言だった?」


「いや、俺から別れてくれって頼んだんだ」


「そっか。それにしても急に連絡きてびっくりしたよ」


「実はさ、いきなり重い話で悪いんだけど、俺余命宣告されたんだ。それで、美乃里に昔のお礼がいいたくて連絡した」


「……それ冗談だったらきついよ?」


「冗談じゃないよ。俺は後数ヶ月で死ぬことになってる」


 美乃里の顔が引きつった。


「そうだったんだ。その話、して欲しくなかったなあ」


 昔の美乃里だったらそんなこというはずがない。美乃里だったら親身に聞いてくれるはずだ。俺はそういわれ、なにもいえなくなってしまった。美乃里も変わってしまったのだろうか。

 その時、店員が注文を取りに来た。三人ともソフトドリンクを頼んだ。注文したものが来るまでの間、俺は無言でタバコを吸い続けた。そしてやってきたコーラをストローで飲んだ。

 気まずい雰囲気の中、美乃里が口を開く。


「私ね、今日はけじめをつけにきたの」


「けじめ?」


「うん、けじめ。私が宇佐美のことを好きだったことに対するけじめ」


「え……?」


 俺は美乃里がなにをいっているのか全く理解できなかった。


「私、中学の時までずっと宇佐美のこと好きだったんだよ」


 無言で聞いているしかなかった。


「でも宇佐美は鈍いから全然気づいてくれなくて。中学を卒業してから連絡をしなかったのは、宇佐美のこと諦めたかったからなんだ」


「そう……だったのか」


「でも今までずっと宇佐美が心の隅にいてさ、それを消し去りたかったの。だから今日会おうと思ったの」


「……」


「私今ね、付き合ってる人がいるの。本気で好きだと思ってる。だから、もう私には連絡してこないで。余命宣告の話は本当に残念だけど、私は聞いてあげられない。ごめん」


「……いいんだ。俺はただ、昔のお礼がいいたかっただけだから。あの時は俺を助けてくれてありがとう」


「あの時って?」


「俺が小学一年生の時、話かけてくれたろ? 俺はあれで救われたんだ」


「もう昔の話だからそんなこと覚えてないよ」


「そうか。でもありがとう」


「ううん。私、宇佐美にさっきのことだけがいいたかったの。だから今日はもう帰るね。さようなら宇佐美」


「ああ、さようなら」


 俺はまだたっぷり残っているコーラをゆっくり飲んだ。


「宇佐美さん、大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だよ。今日の目的はお礼をいうことだったんだから」


「でも元気ないですよ」


「気のせいだよ。そう見えるだけさ」


「でもでも宇佐美さん、本当は美乃里さんに話聞いて貰いたかったんじゃないんですか?」


「……」


 俺はなにも答えることができなかった。頭の中が処理落ちしたみたいになっていて、ひどく混乱していた。それから残りのコーラを飲みきって、店を出ることにした。

 駅で帰りの切符を買い、電車に乗った。電車では俺もミカも無言だった。俺はなにも考えることができない状態で、ミカはなにを話したらいいのか分からなかったのだろう。

 二時間かけ家に着いた俺は、とりあえず水のシャワーを浴びて頭を冷やした。それからベッドに腰掛け、美乃里のことを考えた。今日の目的は美乃里に会って昔のお礼をいうことだった。それは達成された。だから今日美乃里と会ってよかったんだ。そう思おうとした。でもなぜだか虚しくて悲しかった。なぜだろう? 本当の俺の目的は慰めて貰うことだったんじゃないのか? そんな気持ちが俺を支配した。だが、その目的は達成されることはなかった。俺が話した余命宣告のことに対して、美乃里は明確に拒否を示してきた。もう連絡しないで欲しいと。つまりもう会うことはないと。そればかりか、俺の話すら聞いてくれようとはしなかった。俺の存在そのものと、美乃里との今までの思い出が全て否定された気分だった。俺が悪かったのか? 俺が昔、美乃里の思いに気づいていればこうならなかったのか? そんな後悔が頭の中をぐるぐると巡った。本当に美乃里に会うべきだったのだろうか。会わなければ、こんな思いをせず楽しかった頃の思い出を持ったまま死ねたのかもしれない。

 俺はまた一つ孤独になった。紗友里とは別れ、藤崎とはもう会いたいとは思わない。そして美乃里には拒否をされた。ただ、もうこれ以上孤独には成り得ないだろう。きっと俺は誰にも悲しまれず、誰にも知られずに孤独に死んでいく。俺の人生にぴったりな最後だと自分でも思う。こんな思いをするなら最初から誰かに会おうなんて思わなければよかったのだ。秋月みたいに自ら命を断てばよかったのかもしれない。そうだ、今から死ぬまでこんな惨めな思いをしながら生き続けるぐらいなら自分で命を断てばいい。それは今の俺にとって一番の慰めになるかもしれない。


「宇佐美さん」


 その声に俺は顔を上げる。


「宇佐美さん、今よくないこと考えていませんか?」


「いや、俺にとってはいいと思うことを考えてるよ」


「それはきっと駄目な考えです。しっかりしてくださいよ」


「俺はしっかりしてるよ。ただ楽になりたいだけなんだ」


「ちゃんと最後までしっかり生きてくださいよ」


 ミカが今にも泣き出しそうな声でいった。なんで泣きそうなのだろう?


 ミカはベッドに座っている俺の元に近づいてきて、俺はミカに両手で思い切り抱きしめられた。


「例え、みんなが宇佐美さんを避けても、私は一緒にいます。例え、みんなが宇佐美さんを嫌いでも、私は好きです。例え、みんなが宇佐美さんを拒否しても、私は受け入れます。宇佐美さんが死ぬまで、私はずっと傍にいます。だって私は宇佐美さんの天使ですから」


 これは愛の告白なのだろうか、それともただの慰めなのだろうか。ミカの真意は分からない。


 そしていつもみたいに俺の頭を撫で始めた。今回俺は笑わなかった。代わりに涙が止まらなかった。

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