第18話濡れた肩

家につき、熱いシャワーを浴びて冷蔵庫からビールを取り出した。美乃里に電話をかけるのは中学以来だ。だから少しでもアルコールで緊張を解こうと思った。いつもより速いペースでビールを飲む。少しでも速く酔いたかった。そして十分に脳にアルコールを送ってから携帯を手に取り、美乃里の番号を表示させる。俺は今から美乃里に電話をする。出なかったらどうすればいいのかという思いが、俺に通話ボタンを押すことを躊躇させる。仮に電話に出た場合でもまともに話せるだろうか。そう考えて携帯の画面を見ていると、メール受信中の画面が表示された。俺の胸の鼓動は高鳴った。そしてメールが受信され、送信相手の名前が出る。じっくり送信者の名前を見た。そこには美乃里という文字列が並んでいた。俺は安堵した。ちゃんとメールは美乃里に届き、美乃里はメールを読んでくれた。そして返信をくれた。だが、肝心の内容はまだ見ていない。もしかしたら会えないという内容かもしれない。緊張で顔が熱くなった。俺は意を決してメールを開いた。内容は今度の日曜ならば会えるというものだった。俺はほっとして胸を撫で下ろす。それから震える手で、分かったという内容のメールを返した。そこからメールのやりとりはスムーズだった。返信をすればすぐに返ってきた。 結局、今度の日曜の昼に美乃里の住んでいる最寄り駅で待ち合わせることになった。つまり俺の地元だ。これでやっと美乃里に会うことができる。そう思うだけで嬉しさで卒倒しそうだった。美乃里には全て話そう。きっと美乃里は昔のように俺の話を聞いてくれると思えた。そうしたら出会った時のように俺を暗闇から救い出してくれるかもしれない。昔の感謝をするのが一番の目的だが、そういった思いも少なからずあった。



 約束当日、俺は早めに起き、早めに準備をした。こちらから久しぶりに会いたいといったのだ、遅刻するわけにはいかない。だったら早めにいって待ち合わせ場所でゆっくり時間まで待っていた方がいい。そう考え、家を出た。駅までの道を歩いていると、突然雲行きが怪しくなってきた。先ほどまで晴れていたのに、今では空を真っ黒な雲が覆っている。嫌な予感がするな、と思っていた矢先、大粒の雫が顔に落ちた。空からの雫はどんどん降る量を増やしていき、あっという間に豪雨になった。夏特有の雨の降り方だ。俺たちは走って近くにあったコンビニに駆け込んだ。コンビニの中から雨の様子を少しの間窺っていたが、どうやらしばらく止みそうになかった。仕方がないのでコンビニで傘を買おうと二本手にとった。すると、


「一本でいいです」


「ん?」


「傘は一本あれば十分です」


「二人なんだから二本あった方がいいだろ」


 俺はミカの謎の提案に首を傾げた。


「今読んでいる恋愛小説で主人公とヒロインが相合傘というものをやっているシーンがありました。私もやってみたいです」


「なんだ小説の影響か。相合傘なんてお互いが濡れるだけで碌なことがないぞ?」


「それでもやってみたいんです。ちょっとした憧れです」


「そこまでいうなら、分かったよ。でも相合傘って普通は付き合ってる異性同士がやるものだ。俺が相手でいいいのか?」


「宇佐美さんならいいですよ」とけろっとした表情でいった。


 その言葉が少し照れくさかったが、俺はミカの提案に乗ることにした。レジに傘を一本だけ持っていき買った。店員がすぐ差しますか? と訊いてきたので「はい」と答えた。

 コンビニを出ると相変わらずの豪雨だったが幸い風は強くなかった。傘を左手で差し、ミカとの真ん中になるように差した。おかげで、俺の右肩はすぐに雨でびっしょりに濡れてしまった。ミカの方を見ると左肩が濡れている。それでもミカは上機嫌だった。


「まるで恋人同士みたいですね」と茶化したようにいってきた。


「恋人が天使だったらさぞロマンチックだろうな」と返事を返した。


 ふと秋月と見た天使の映画を思い出した。あれは天使が人に恋をする映画だった。


「なあ、天使って恋するのか?」


「さあ、どうでしょう。もしかしたらするかもしれませんね」


 とミカは笑った。


「でも、今読んでいる恋愛小説は理解できますよ。だからきっと恋するはずです」


「そうなのか。じゃあミカもいつか恋する日が来るかもな」


「そうですね。私も恋ってものを経験してみたいです。きっと素敵なことなんでしょうね。人間を見ているとそう思います」


「楽しいことばかりじゃないけどな」


「そうなんですか? 恋しているだけでも幸せだと思いますけどね」


「喧嘩したり失恋したり、恋してりゃ大変なこともたくさんある」


「宇佐美さんもそうだったんですか?」


「分からない。俺はもしかしたら恋なんてしたことがないのかもしれない」


「でも紗友里さんとお付き合いしていたじゃないですか?」


「あれは紗友里が告白してきて、それで断る理由がなかったからだ」


「じゃあ好きじゃなかったんですか?」


「好きだったよ。でも今思い返せば人として好きってだけで、恋愛じゃなかったのかもしれない」


「なんだか人間の恋愛って複雑です。でも私はいつか恋してみたいですけどね」


「ミカならきっとできるさ」


 ミカは年頃の女の子だし、俺と違って別に人付き合いが苦てっていうわけでもない。そのうち天使ごっこに飽きればいくらでも恋する機会なんてあるだろうと思った。ミカは正直可愛い。ミカに恋人がいないのは一重に自称天使なんかやっているからだと思う。


 そんな話をしていると駅に着いた。傘をたたむと、ミカが「もう少しの間、相合傘やってみたかったです」と不満を漏らした。

 切符を買い、ホームに出る。程なくして電車がやってきた。美乃里の駅まではここから電車で二時間ぐらいの距離だ。今回は二時間も時間があるのだ。旅行気分を味わうためにいつもの座席ではなく、ボックス席に二人で座った。ファミリーレストランの時とは違い、ミカは俺の正面に座った。


「ところで今日会う美乃里さんって方は宇佐美さんとどういう関係なんですか?」


「幼なじみってやつかな。小学校から中学卒業までずっと一緒だった」


「会ってどうするんです?」


「お礼をいいたいんだ。両親が死んで自分の世界に閉じこもっていた俺を救い出してくれたのが美乃里だった」


「恩人っていうわけですね」


「まあそうなるな」


 目的地までの二時間、俺は美乃里になにを話そうか考えていた。訊きたいこともたくさんあった。中学を卒業してから今までどうしてたのかや、なんで突然連絡をしてくれなくなったのか、それなのにどうして今は会ってくれる気になったのか。それから美乃里には俺の病気のことを話そうと思っている。ただ美乃里と会う上で不安なこともあった。それは美乃里も藤崎のように変わってしまっていないか、というものだ。でもきっと美乃里なら変わらず、俺の話を昔みたいに聞いてくれる気がしていた。俺が美乃里のことを考えている間、ミカは相変わらず車窓から外を楽しそうに眺めていた。

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