第10話 ご注文はパンダですか?

それからの日々は至って平穏に流れていった。


緋鞠の復帰にアルプロも宣伝としての企業紹介の為に姉妹揃ってのPVを公開し、プロダクション加入の応募が絶えない。


近日に開催されるアイドル育成プロダクションの集まりの祭典にも『Kaleido sisters』としてのユニット参加が決まって以来、レッスンもそうだがイベントに参加する事も多くなった。


今日も緋鞠を秋葉原で開催されるイベントに付き添いとして、通勤電車で匿うように席に座る妹の前に立って、何気ない会話をしていた。


「兄さんもお疲れじゃないですか? ここ最近は毎日は私達に構い過ぎて、やや顔がやつれてる気がします」


「ん? あぁ、もうすぐ祭典もあるしな。俺が休んでしまうとアルプロは、緋鞠達の詳しい打ち合わせが出来なくなってしまうのでな」


緋鞠が身に付けていた帽子の上から頭を撫でながら、心配してくれた事に感謝を伝えると、目的地の秋葉原のアナウンスが流れると共に妹の手を引いて人混みを移動していく。


この時間帯ともあり、降りる人の流れに便乗して無事に駅のホームに二人揃って並ぶ事が出来た。


「時間もあるし、人が少なくなってから改札口に向かうかーーー」


下り口に通勤ラッシュで混雑した駅のホームにゆとりを持って、向かえた事もあり、体力が余りない緋鞠にも安心を持てたと思う。


「今日のお仕事は、漫画家さんのトークショーのイベントでの売り子として参加するでいいんですよね?」


人が少ない大通りに出ると、身に付けていた変装を解いて一息といった様子を見せる緋鞠を横に自販機から、ココアを購入して相手に手渡す。


「えっと...担当の漫画さんの名前は『岸田のりお』さんだったか? 緋鞠の方がこの人に詳しいんだろ?」


「お兄ちゃんは『岸田のりお』先生を知らないの!? そんなんじゃ甘いよ......」


大声を上げながら、驚愕した顔を見せると鞄から一冊の漫画を取り出して俺に見せつける。


「とのゴト? 漫画家さんの作品か」


相手から漫画を受け取ると内容を把握しようと、ベンチに腰掛けてパラパラと捲りながら、肩を並べて覗き込む緋鞠を横に中身を見ていく。


「女の子が男装して生徒会に入って、貧相な生徒役員に金を振り撒くのか.......」


「そうそう! この女の子がめちゃくちゃ美少女なんだけど、男装するとイケメンになって、もうテンションが上がっちゃうんだよね~!!!」


イキイキとした緋鞠の姿に笑顔が浮かび上がると、相手の反応に俺も続いて笑顔で話を聞き続ける。


腕時計で時間を確認すると、緋鞠に夢中になる妹に仕事の資料を見せながら、我に還らせるように長々と語った事に対して謝罪をするように一礼をする妹の頭を撫でて、会場となるマニメイトへと向かっていく。


「流石に秋葉原は人が多いな。緋鞠も来た事あるのか?」


「私は初めてだよ? でも此処に来たのは仕事の為だからーーー」


アニメのグッズに目がいっているのだろうか、通り過ぎるお店に目を輝かせている妹の子供らしい好奇心を向けた姿にちょっと前までは、表情も覚束ない顔をしていた頃と比較して良い傾向にあると改めて安堵するのであった。


マニメイトに到着し、衣装を着替える為にスタッフの更衣室に緋鞠を押し込んで準備をさせようとする。


準備の時間といってもあと一時間しかない事もあり、化粧の時間も含めて緋鞠にはギリギリといったところだろうか。


30分過ぎた辺りで、中にいる緋鞠にノックをして現状を確かめようとする。


「緋鞠、どうだ? 間に合いそうか?」


「部屋の中に入ってきてくれますか?」


少しだけ扉を開けると、何かに困っているように目を泳がせながら手を引こうとしている緋鞠に連れられると中に入っていき。


「ココのベルト部分が少しキツくて、胸にも圧迫感がありましてーーー」


「ん、調整をすればいいんだな? でも三ヶ月前に測った時に比べて何か変わったのか?」


相手の胸と繋がれた腰周りの衣装の中を裏返して、手持ちの裁縫で直そうとするが、質問に対して妹は頬を膨らませて、顔を赤くしていた。


「兄さんは女の敵です! 女の子に体格の変化なんて聞くものじゃないんですよ?」


気分を損ねたように補修が終わるまで、横を向いたままの緋鞠を気にしながらも服の生地を傷めないように仕上げてみせた。


「緋鞠、出来たぞ? ココに置いておくから早く着替えて出てくるんだぞ?」


試着室の椅子に服を置いて部屋を出ると、暫くして不機嫌そうな緋鞠がゆっくりと姿を現す。


今日はサイドテールで胸を強調した全体的に丈が短い衣装にも関わらず、着慣れているという様子で特に気にしていない緋鞠の頭を撫でながら、挨拶周りに向かう。


「アルプロ所属の立花緋鞠。本日は、岸田のりおさんのトークショーの売り子として参加させてもらいますのでよろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いします」


俺の挨拶と共に緋鞠も頭を下げて、マニメイトの店長と来賓していた編集者さんだと思われる人に妹の紹介も含め、宣伝になればと期待を膨らませていた。


「あっ! あぁ~!!! やっぱり弧鞠ちゃんだ~! 本当に今日来てくれたんだ」


俺達の入ってきたドアから、はしゃぎ声が聞こえたと同時に緋鞠の手を掴んで大きくブンブンと振り始める変装をした女性の姿。


まるで緋鞠を知っている口振りから、相手の正体は大体の察しは付く事が出来た。


「のりお先生の枠をいつも楽しみに見させてもらってます。こうやって一緒に仕事が出来る日が来るとは思いませんでしたけどね」


「うんうん! 弧鞠ちゃんの絵も私は大好きだし、弧鞠ちゃんの可愛さも知ってるから尚更、今日が楽しみだったんだよ?」


意気投合していた二人の姿を背に今日の予定を打ち合わせていくが、緋鞠がオタクの世界では有名という事もあり、アニメキャラクターのお面を付けての接待という形を取る事が決定された。


仲良く会話を続けていた緋鞠とのりお先生に、時間は待ってくれないといったように開催予定時間が近づくと、編集者と共に会場に移動していく先生に手を振りながら、テンションの上がりきった妹に打ち合わせの内容を伝える。


「今日は張り切っていきましょう! いつも以上に頑張っちゃいますよ、私!!!」


やる気を出した緋鞠を見送ると控え室にいるのも凌ぎないので、トークショーをスタッフ入り口の横で聞くことにした。


本番ギリギリまで顔を隠して見えなかったが、相当な美人らしく評判も高いという事もあったが、人を惹きつける人材の一人として、これからの妹達の成長に役立てる部分を盗ませてもらおうと観察をしていた。


「ねぇ~、ジャーマネさん。売り子ちゃんのお面取っちゃダメ~?」


唐突な先生の発言に横に立っていた編集者さんがワタワタとしているのが、頭に浮かんだ。オタサーの姫のトップに立った弧鞠こと、俺の妹の姿を晒せば、別の意味で会場は沸きあがるだろうが。


確認の為にこちらに合図を送る編集者さんに苦笑いをしながら、指で丸の形を取ると同時にペコペコとしたのを見た先生が嬉しそうにしているのが声で伝わってきた。


「じゃ、みんなに本日のスペシャルゲストを紹介するぞ! 売り子としてくれたこの子は只の女の子じゃない。みんなが大好きな今、活躍中のアイドルなのさ!」


先生が直接、緋鞠に付けていたお面を外すと会場が一気に静まり還る。


「本日のゲストー!!! 真のオタサーの姫こと弧鞠ちゃんだーーー!!!」


テンションの上がりきった先生の紹介と共に100人ものトークショーを見にきた客が、歓声で湧き上がる。


その後も緋鞠を交えたトークショーは、一時間という短い時間だったが無事に成功の道を辿って終了することが出来た。


緋鞠も満足そうに更衣室内で、ずっと俺に対してトークショーの内容を活き活きとした様子で語りかけていた。


SNSでも秋葉原のマニメイトに伝説の弧鞠が控えていると情報が、大量に流れているようでうかうかもしていられない。


「あぁ、すいませーん! 弧鞠ちゃんは、まだ中でお着替え中だよね? これを弧鞠ちゃんに渡してもらいたいんですけどーーー」


手渡されたのは、一冊の本。表紙にサインとメッセージが書かれていたのを見て、両手を合わせて、お願い事をするように上目遣いの相手に頷いてみせる。


「弧鞠ちゃーん! 私、これから引きこもりの現場に戻るから、また今度遊ぼうね?」


更衣室にいる緋鞠に声を掛けると、俺に一礼をしてその場を去っていく先生の後ろ姿を見ていたが、漫画家もスケジュールは大変なのだろうと腕を組んで自分の中で納得していた。


暫くして、緋鞠が更衣室から出てくる。返事が出来なかった事や先生が帰ってしまった事にガッカリしているような顔をしながら、裏口を経由してマニメイトを後にする。


「---せっかく来たんだし、秋葉原を探索して帰るか?」


唐突な思い付きだが、少しでも緋鞠が元気になればと思い、提案をしてみせるが、首を横に振っていた妹の姿に哀愁を感じたのか、相手の手を掴んでゲームセンターに連れて行く。


「記念に俺が、緋鞠の欲しいぬいぐるみ取ってやるよ」


「.......本当?」


やっと俺に顔を見せてくれたのが嬉しかったのだろう。最近、人気だと噂のアニメのキャラクターのように自分の腕に手を掛けて人目を気にせずに発言した。


「お兄ちゃんにお任せ!」


一瞬、場の空気が静まり還って、完全に滑ってしまったように引きつった表情が周りが沈黙していたが、緋鞠を見つめると笑いを堪えた後に目に涙を浮かべる程、笑い始めてくれた。


「兄さん、笑わせないでください。仕方のない兄さんですね、本当にーーー」


俺の手を握りながら、500円で一回しか動かせないアームで巨大なパンダのぬいぐるみを掴むという、難易度の高い注文をするように指差していた妹に笑みを浮かべる。


「成る程な。一回目はアームの稼動範囲で、二回目で確実に取るから安心しろ」


緋鞠は俺のクレーンゲームのセンスを高く評価していた。この間の仕事帰りに連コインで欲しいぬいぐるみを取ろうとしていたのを見兼ねて、俺が一発で取ったのを機に欲しい商品が並ぶ度にせがんでいた妹も信頼しているのだろう。


予告通りにその巨大なパンダのぬいぐるみを二回でキャッチする事が出来た為、見物に来ていた店員も客も拍手を送る。


店員さんに取り出し口から取れない程の大きさのぬいぐるみを受け取ると、ゆっくりと目を輝かせていた緋鞠に手渡す。


「ご注文はパンダですか?」


決め台詞のこの言葉を呟きたかったのだと思う。その日の俺は、アニメというジャンルのタイトルを誰かに伝える事に対して満足感を覚えた。


それは緋鞠が過ごしてきた人生に繋がる趣味の世界に近づけた気がしただけの勝手な思い込みだろう。


それでもいいと思う。


妹達の笑顔が見れるなら兄として、これ以上に嬉しい事はないと俺は感じたのだから。


アルプロ本社に戻ると思い出すように、先生から渡された本を緋鞠に手渡す。


先生の本を嬉しそうに胸に抱えていたが、それ以上に俺が取ったぬいぐるみがお気に入りなのか、今日の思い出としてだろう。


俺達の職場の雰囲気として飾られるようになった巨大なパンダのぬいぐるみと、先生から受け取った本が一緒に並べられた。


まるで童話から出てきたパンダが、本を大事に抱えている姿に働くみんなが癒される空間になった。


俺もそんな風景に和まされていたのだろう。


辛い事があったら、ぬいぐるみの隣に座るというのが、いつの間にかアルプロ社員の憩いとなったのだった。

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