第5話 笑顔の理由
夜が明けた朝日の輝く日の出で目が覚めた。
二人の寝ている姿を確認しながら、起きないように洗面所で顔を洗い、髭を剃りなどの一般サラリーマンの一通りの準備をしながら、朝ご飯の準備へと移っていく。
今日は二人の大好きなタコさんウィンナーを入れて、可愛らしく鮭のフレークで白いご飯に彩りを加えたりとしながら、念入りに周りの子に見られてもおかしくないお弁当を仕上げていく。
「兄ちゃん......?」
「華月か? ちゃんと顔洗ったか?」
目を擦りながら、フラフラと貧血気味の華月を連れて洗面器に向かい合わせると、温かくなったタオルを絞って相手に手渡す。
いつもは元気な華月が、弱々しく俺を頼ってくる唯一の一時でもあり、コックリコックリと再び寝てしまわないように歯磨きから着替えまで全て担当する事になっている。
「華月。お前も中学生なんだから、俺に頼らずに着替えくらい一人でーーー」
「んーっ、んっ?」
パジャマを脱ごうとした際に、スポーツブラジャーが捲れ上がっていくのを手で押さえつける。
「あ~。兄ちゃんナイスキャッチ~.......」
ウトウトしながら、ふにゃっとした笑顔を俺に見せた華月を制服姿に着替えさせていく。
朝ご飯は食パンにベーコン、スクランブルエッグといったごく普通の家庭料理。
目をしょぼしょぼとさせながら、イチゴジャムを付けて食べるむにゃむにゃと子猫のように寝ぼけた相手を見ながら新聞を広げて、珈琲を飲みながら出勤までの時間を有意義に過ごしている。
「兄ちゃんは今日の収録に参加するんだよね? 私の事務所からイベントで配置する女の子を決めるって、スタッフさんから聞いてるけどーーー」
「あぁ。一応、華月の希望通りに選抜リストに入れておいたから安心しろ」
相手の頭を撫でながら、緋鞠の眠る部屋の前にいつものように弁当を配置して、仕事用の鞄を担ぐ。
「華月、行ってくる。鍵の閉め忘れをしないようにな?」
玄関で朝練で出るとされる華月に鍵を渡して、通勤時間に間に合うように家を出て行く。
何事もない朝の通勤に顔合わせや勤務内容に続け、夕方からの収録現場に向かうまでの時間に緋鞠の問題も含め、華月の選抜もアルプロのアイドル抜擢に利用出来ないかと考え込んでもみる。
自分の妹を推したいというのにも理由がある。華月、緋鞠共々にそれ程の魅力を秘めた存在だという事を俺は知っていたからである。
華月は学校の人気者で、体育会系で元気に溢れた今の社会を支える礎に限りなく必須な人物像であると同時に、プロダクションに管理された子達は質素でとにかく元気というテーマが欠けている為である。
そして緋鞠はーーー。
「社長! 見てくださいよ。今日も”狐鞠”ちゃんが配信をしています!!!」
「あぁ、狐鞠ちゃんか。彼女は本当に我らアルプロの癒しだ。配信に映った画像を見たまえ君。こんなに可愛い子が居てくれたら、我がプロダクションも安泰なんだがなぁ~」
そう、オタサーの姫と暴露したあの日に打ち明けた緋鞠のユーザーネーム。
それが狐鞠と呼ばれるネットアイドル界の頂点であり、華月と違う意味で収入を得てる理由がそこにある。
俺が仕事をしていた矢先に緋鞠の配信に群がるアルプロ社員を見ながら、ユニットを組ませないにしてもこの二人の存在は不可欠だと思っていた。
夕方になり、華月のいる撮影現場へと向かって社員を三人程、同行させる。
公園のような綺麗で居心地のいい場所と聞いていたが、緑溢れる豊かな場所で既に撮影が行われているようにカメラ音が鳴り響いて聴こえた。
「兄ちゃ~ん!」
俺の到着と同時に華月が飛び込むように抱きついてくる。その姿を困ったように見つめる撮影現場の記者達を見据えて、華月を離して謝罪を兼ねての挨拶へと向かう。
「この子が先輩の妹さん。噂は聞いてましたが、これは中々にーーー」
犯罪者に成りかねない目を向けた社員から華月を隠し、他に撮影をしていた子達も揃えて、アルプロから選抜される子を現場の記者と話し合いながら決めていく。
ルックスとアルプロが求める人物像である華月は確定的だと、決定付ける話が進む中で辺りを見渡す。
話を耳に入れさせないようにと、近場で撮影を休ませていた華月達が居なくなっている事に気づいて席を離すと一言告げて、妹の捜索に乗り出す。
「どうせアンタが選ばれるんでしょ!?」
怒鳴り声のようなものが捜していた俺の耳に入り込む。声の先には、華月を囲うように喧嘩腰になっていた他の子達の姿がある。
「まだ決まってないし、先輩達もかわいーーー」
「お世辞はいらないから、今すぐそこに土下座しなさいよ!!!」
華月は言われた通りにその場に正座になると、ゆっくりと頭を床につける。
その姿を見た先輩の女の子達は頭を踏みつけたり、腹を蹴るなどの暴行をし始める。
「なんで! アンタはそうやって私たちを見下して、のうのうと生きてられるのよ!? アンタが来なければ、私たちは平均的にみんな人気を保っていられたのに!!!」
無言で抵抗をしない華月を見ながら、助けに向かおうと近づいていくと舌打ちをして、華月を残して先輩達は去っていく。
「華月! 大丈夫か!?」
「兄...ちゃん......?」
ボロボロになった服や髪の毛を直しながら、水場のある蛇口へと連れて行く。
蹴られた打撲や土を綺麗に水で流すと、俯いていた華月にかける言葉が見つからずに俺も口篭ってしまう。
「ーーー私ね。自分が可愛いと思った事も先輩達みたいにキラキラしたオシャレも知らないし、何よりモデルなんて世間の目に止まる仕事なんてしたくなかったんだ。
体育で身体を動かしてる方が好きだし、撮影の時には偽りの自分を演じてるみたいで、正直怖かったんだ。でも私は負けられない事情もあったから我慢して、ここまで来たの。あの日、恋を知らなければ傷つく事もなかったあの送迎会で、私に足りない魅力が得られるような気がして、我慢に我慢を重ねてここまできたの.......」
緋鞠から聞いた話を口にした華月を見ながら、涙を流して声を出さないように我慢している相手の姿に話だけでもと耳を傾ける。
「でも...結局、私は自分の魅力を見つけられないまま、好きだったあの子が好きになった女の子に何一つ届く事ができなか...った......。わかってたのに。
いくら今の自分を磨いても今更遅いって分かってたのに...それでも知らない女の子に負けたのが悔しくて、そんな事を忘れられない自分が情けなくて.......」
涙を拭きながら泣き出してしまう華月を抱きしめる事しか出来なかった。
過去を悔やみきれずに残してしまった負けず嫌いな心。そして、今でも憎んでいるかもしれない実の妹に対する感情が渦巻いているのだろう。
緋鞠の事を知ってしまったら、華月はどうなってしまうのだろうか。
華月も女の子の筈なのに緋鞠ばかり構って、心細かっただろう。辛かっただろう。
そんな妹の辛さをいつも元気な笑顔で隠していた事に気づいてやれなかった。
その日の打ち合わせで、華月は見事に我がアルプロに抜擢された。
しかし家に戻り、ご飯を暗い表情で食べる華月を心配そうに緋鞠と共に眺めていた。
食器の片づけをして、小さな声で華月の部屋をノックする緋鞠の姿を目にする。
「どうかしたか?」
「兄さん。華月ちゃんにお風呂上がりに代わってあげようと報告をしにきたのですが、反応が無くてーーー」
俺もノックをしたり、声をかけるが一向に反応がなくショックが大きすぎて、もう寝てしまったのだろうと二人で顔を見合わせながら、放っておく事を決断する。
緋鞠は部屋に戻り、俺もシャワーを浴びようと浴室へ向かおうとする。
衣類を脱いで中に入ると、一通りの浴槽に浸かる準備を終えると目を水面に向けるとブクブクと空気の泡が浮いている事に気がつく。
次の瞬間に大きな飛沫と共に華月が浴槽から、飛び上がるように現れる。
「な、ななな何してんだお前!?」
「おう、そこにいるのは兄ちゃんではないか。私に気づかないとは、まだまだ甘い甘い!」
八重歯をニシシと見せ付けながら笑う相手にため息をついて、自分の付けていたタオルを相手の身体に巻き付けて、緋鞠同様に股の上に乗せて足をプラプラした相手の後頭部を見つめている。
「なんかさ。いつまでも落ち込んでるとか私らしくないなぁ~って思ったんだ。だって、私が元気ないと緋鞠ちゃんも落ち込んじゃうし、兄ちゃんだっていつもみたいに笑ってくれないから、このままじゃいけないって驚かそうとここで待ち構えてみた。
結果は大成功! 兄ちゃんもいつもみたいに私の悪戯をサポートしてくれたじゃん? だから私は元気でいようって決めたんだ!」
俺の方に向き直りながら、満面の笑みで人指し指をこちらに向けてくる。
「容赦しろよ兄ちゃん! 兄ちゃんを将来、私の婿にしてみせるからな?」
冗談でも元気な姿に戻ってくれた華月の頭を撫でながら、ゆっくりと風呂場から上がって緋鞠も誘って、夜の有意義な時間を華月のいつもの何気ない会話で過ごす。
緋鞠もいつもよりも積極的な会話の参加をしていたように見えた。
就寝の時間になり、ベッドに着いて寝ようとすると扉を勢いよく開ける音が響き渡る。
「兄ちゃん! 添い寝の時間だ! 緋鞠ちゃん連れてきたぞ!!!」
「お、お邪魔します......」
華月の枕を顔で受け止めながら飛び込む華月を受け止めると、狭いベッドの両隣に妹を抱える。
「に、兄さん...狭かったら、その...言ってください.......」
「あぁ、兄ちゃん。私、寝相悪いから蹴ったりしたらごめんな!」
俺は引っ越してきたこの家で妹の事情を何一つ理解していなかったんだと思う。
華月の事も緋鞠の事も今日の段階で、理解出来たのは本の握りなのかもしれない。
それでも妹から語ってくれた言葉一つ一つが、これから訪れる未来に繋がる架け橋になるだろう。
そう信じて俺は眠りについたーーー。
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