第20話 家族の有り方

それは急な知らせだった。


華月と緋鞠の産みの親。つまりは俺に取って従姉妹にあたる母親が突如、会いたいと申し出てきたのだ。


勿論、この知らせをもらった時に姉妹共々、不穏な気配を悟っていたのだろう。同様に俺も只ならぬ急用に、不信感を持っていたのだ。


従姉妹の立花 伊鶴いづるは、立花家始まって以来の激運を持って生まれた超大富豪で、彼女にとってお金は価値のない紙束同然の代物で、欲しい物はブランドでも高級車でもない。


ただの『愛』といった変わり者であり、愛人や夫は勿論。娘や息子は何十人といる。


一言で表すなら『凄い女』といえる彼女が、明日訪問しにくるのだという。


華月や緋鞠という今となっては、アイドルになってしまった二人に何の未練もなく俺に預けた母親なだけあって、知らせを聞いた時に緋鞠は勿論の事ながら、華月すらいい顔はしなかった。


「今更、アイドルになった私達を自分の子どもとして迎えようだなんて思ってないよね?」


「緋鞠ちゃん、落ち着いて。兄ちゃんに当たっても仕方ないよ」


緋鞠は似合わない運動系の仕事の合間という事もあり、かなりピリピリとしていた。


止めに掛かる華月も平常心とはいかないように辛い表情をしながら、その後の種目も普段は絶対しないミスで、仕事どころじゃないのが見ただけでわかる。


緋鞠も八つ当たりをするように、動きの一つ一つに力を入れ過ぎているのがアイドルとして、活躍しようという気は更々ないらしい。


その日の収録も終わり、見慣れない二人の姿を撮られた事を視聴者はどう受けるかが心配である。


「兄さん。私と華月ちゃんは、その場に居なければならないのですか?」


収録終わりに華月と手を繋いだ緋鞠が、俺に問いかける。怒りに満ちていたその顔には、流石の俺も同情するしかないと思う。


明日の休日を過ごす相手は、姉妹を棄てた張本人であり、何よりも許しがたい理由の一つとして母親の理屈に反した愛を唯一受けれなかった緋鞠を簡単に俺に預けたから。


華月もそんな緋鞠を一人で、俺に預けるのが心配でついてきたのが、3人で住む事になったきっかけだった。


そもそも緋鞠が引きこもりになった理由を作ったのは、母親そのものなのだから緋鞠の怒りは妥当なものだろう。


怒りに拳を握る緋鞠の頭をソッと撫でると、目線を合わせるようにゆっくりと膝を床につけて抱き寄せる。


「明日は俺だけでいい。二人は結城や胡鳥と遊んでおいで?」


今の生活を脅かす相手を俺も許す気はない。気持ちは伝わったのかわからないが、頷いてくれた緋鞠、それを見守るような視線を送った華月に感謝しながら当日に向けて俺は二人と指きりを交わした。



次の日の昼頃。


空港まで出向いた俺の目の前に現れた一人の女性。


気品だけでなく、安い女と思われない誇りが滲み出ていた強気な瞳の彼女こそ、姉妹の母親こと伊鶴張本人だった。


「出迎えは、樹だけか? 久しぶりに再会した従姉妹の顔を見れて嬉しかろう?」


「華月と緋鞠は来ませんよ? もう貴女の子じゃないですので、それぐらいは承知だと思いますがーーー」


若干、喧嘩腰になった事を大人の風格のように軽く微笑みながら、頷いて護衛を下がらせると俺の腕に緋鞠を産んだ女性ともあり、多彩な男性を魅了してきたであろうエベレスト級の胸に挟まれながら空港から俺の車へと移動していく。


移動していく際に尾行をする毎日、見ていた物と同じ金髪のツインテールの少女がチラホラと、変装をバレないようにとサングラスをかけて、こちらを見ているのが伺えた。


「アイツら来てるのか.......」


伊鶴を隣に乗せると、相手を連れて都市部の近くの喫茶店へと移動しようとしていた。流れ行く景色に懐かしさの目を向ける彼女と、背後を付け回す社長のベンツを気にしないように進んでいく。


着いた矢先に相手の表情を確認しながら、ゆっくりと店内に入ろうとするが予想通りに、足を止めてなかなか動かない。


それもその筈。此処はーーー。


「皮肉のつもりか。お前に華月と緋鞠を初めて会わせた此処に誘うとはな」


今よりもずっと小さかったニコニコと元気な素振りで目を輝かせていた華月と、その後ろに隠れながら小動物でいえばリスのように警戒をしていた緋鞠と、プロジェクトを立ち上げる一年前の俺が出会った小さな喫茶店。


中には年老いたお爺さんがバーの客寄せをしているようなコップ磨きをしている姿と、小さな兎が、喫茶店内を駆け回っていた記憶が今でも蘇る。


扉を開けると、中に居たのは顔がよく似た息子のような男性と、駆け回らなくなってしまった兎が置物のように日向ぼっこをしていた。


店内はあの時のままだが、兎が落ち着いていると別の店に入ったような気分になってしまうのが、あの時との差である。


アメリカンコーヒーを頼んで運ばれてくる間、沈黙の時が流れながらもネイルを弄っていた相手をジッと見つめていた。


問題なのは俺達に続いて、姉妹は勿論だが結城に胡鳥に社長の活き活きとした格好で入られては目のやり場に困ってしまう事だ。


意識をしないように退屈そうな相手は、自分からではなく俺から話を振らせようとしているのが見ていて理解する事が出来た。


「本題をそろそろ話せよ。世間話をしに来たんじゃないんだろ?」


運ばれたコーヒーを一口飲んだ相手は、俺に立花家の威厳を放つかのように鋭い視線を向ける。まるで、俺に敵意を向けている。そんな目をしていた。


「率直に言うと、華月と緋鞠を返してもらおうか。私もやっと娘達を愛でてやれる時間を取る事が出来るようになったのでな。二人にも優雅に暮らせるだけの安定した生活と共に私自身が注げなかった愛をだなーーー」


その言葉を聞くつもりは元より無い。席を立とうとする俺の腕を掴む相手の視線は変わらず、続け様に言い放つように同じように席を立ちながら顔を近づけた。


「自惚れるなよ。私は、2人の将来を考えて言っている。お前の事も二人の事も調べはついている。アイドル事業だと? くだらない事をさせて、夢を与えるつもりだったか? お前の理想を他のアイドルにも押し付けているのだろう。それはお前の自己満足に過ぎんのだ。華月も緋鞠も自らが、夢という幻想を抱いて失敗という絶望に叩き落された時にお前は責任を取れるのか?」


その言葉はとても俺に突き刺さる程、正論だった。俺の夢を思い出した時、それを華月達に当て嵌めて満足しようとしていた事は一度もないが、理想のアイドルに育ってほしいという願いだけで後先は考えていなかった。


伊鶴の言った事は正しいのかも知れない。二人の将来を考えた時に俺はーーー。


突然の事だった。椅子を大きく引く音を立てて、奥で聴いていた結城が立ち上がると、テーブルに置いてあった水の入ったコップを持って、伊鶴の横に移動する。


「なんですか? 貴女は」


「結城......?」


髪の色は変色しているのを見て、ラスターシャである事を確かめると手に握られたコップの水をそのまま伊鶴の顔にかける動きまで先読みする事を出来ていた。


しかし俺が本来する筈だった怒りを、ラスターシャが代弁するように伸ばした手は届かず、止める事は出来ずに髪から服までズブ濡れになった彼女に毅然とした態度を向けていた。


「おっと、すまない。うっかり手が滑ってしまってな? 謝罪をしてほしいなら、今の内だ。僕は少々気性が荒いので、すぐに気分が変わってしまうのが、生まれてこの方、得た性質なのだ」


その態度に腹立つ様子もなく、ソッと立ち上がると腰に手を当てている小さな女の子を上から見下ろすと、頬を手で触れながら鋭い目で睨み付ける。


「そうね。これが樹の事務所のアイドルなら、プロデューサーである貴方に土下座をしてもらいましょうか?」


「その必要はないーーー」


俺の手元にある湯気が立ち昇るカップを持つと、妖しく微笑むラスターシャはそのまま熱々のコーヒーを頭から被って同じ、いやそれ以上の土俵に立って毅然な態度を相手に向けたまま、腕を組む。


「これでいいか? それとも出来立てを被って火傷をしなければ、満足はしないのだとしたら、甘んじて受けよう」


「ラスターシャ、もういい!!!」


ラスターシャの手を取ると、急いで濡れた髪や皮膚の部分を布巾で拭き取ると、火傷の痕がないか調べながらも顔を歪ませる事なく、伊鶴に余裕の表情を向けたまま煽りを続けていた。


「馬鹿。やり過ぎだ。お前も俺の大事な家族なんだぞ? お前がどうしてそこまで、盾になる必要がある.......]


「馬鹿は貴様だ。いつまで戯けた事を話す愚弄に言わせている。僕達は自ら進んで此処まで来た。君は僕だけでなく彼女達の想いを無駄にするつもりか?」


衣服が着色するように染まり、伊鶴に表情を見せないよう俺を正面に置きながら、熱さを堪えきれずに苦悶の顔で、俺に視線を送るラスターシャをどうしていいか分からずに、よろけた相手の肩を抱く。


「ーーーそこまでして、彼を介護する必要があるの?」


「貴様には、一生掛かってもわからないだろう。僕はコイツに救われた。それだけでどれだけの愛情を感じたかをーーー」


後ろで見ていた華月達も変装を解いて、伊鶴の前に立って必死に彼女に訴えかけようとしていた。


「兄ちゃんと、私はずっと居たいの! お母さんお願い! アイドルとして活動出来なくなったらでいいの! それまで待って!!!」


「兄さんは私も救ってくれた。お母さんが私を棄てた時に言った筈だよ? 私は戻らないし、貴女をもう親とも思ってないんだから、私から兄さんを取らないで!」


「お、お兄...さん.......は、凄くいい人...です.......。華、月ちゃん...は.......私の初めての、とも、友達...だから.......お願い、取らない...で!!!」


その光景に同様するように、一歩下がる伊鶴に追い討ちをかけるようにラスターシャが再び前に出る。


「僕は貴様の子どもでも何でもないが、これだけは言おう。貴様が決めた未来が、必ずしも幸せとは限らない。この男が、僕達の『希望』なのだ。僕達の未来は、決して奪わせたりしない」


強い想いは伝わったのだろう。伊鶴は鋭い目つきを解いて、ため息をつくと携帯端末を開いて何処かに連絡を入れる。


その間にラスターシャの服を拭きながら、俺の上着を着せて一時を凌ぐが、その様子や華月や緋鞠とのやりとりを見ていた。


その様子をどう思っていたかはわからない。迎えが到着次第、すぐに車に乗り込んで窓ガラスを少し開けながら、向かい合う俺に一言述べた。


「いい家族を持ったなーーー」


華月と緋鞠に向けてのメッセージでもあり、俺のアイドル達を見てのコメントなのだろう。後ろで、見ていた社長も満足気に解決出来て良かったと仏のような微笑みを向けられながら、俺の周りに集まる4人のアイドルを見て思う。


この子達の将来を担う身として、この先も困難を乗り越える事があるだろう。それでもこの子達の笑顔があれば、結果は光に満ちているだろう。


この先もずっと架け橋となって続いていくのだと、青い空に飛び立つ小鳥を見ながら感じたのだった。

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