第14話 嫉妬
新メンバーとなった結城がアルプロに所属してから、一週間という月日が流れようとしていた。
最初は、オドオドとしていた結城も今ではその存在を『世に知らしめる』というフレーズが、厨二病を拗らせた大人向けに配信さてたアルプロの宣伝PVに早くもネットで話題が広まっている。
毎日のように俺のパソコンを覗き込んでは閲覧数にコメントの確認を欠かさないのが、結城の日課になりつつあった。
「お兄ちゃんも見るデース! 世の中の下僕共が、私にひれ伏している様を! 滑稽で笑いが止まらないデス。祖チンのクソ野郎の集まりデス。世界征服も夢じゃないデース!!!」
「どうでもいいけど、ファッションビッチは誤解を招くから辞めといた方がいいぞ? マニアしかお前の設定は受け付けないし、そもそも今時は援助交際で売れるアイドルもいないだろう?」
小さい身体で俺の膝に座っていた結城が、キョトンとした顔で目の中に映る自分を見つめるように澄んだ青い目を輝かせて、こちらを見つめている。
「えんじょこーさいって何デス? それは我が夢に必要なものデス!?」
「必要ないに決まってるだろ? あと意味は調べるな」
頭を撫でると、嬉しそうに抵抗を見せている結城を降ろして、いつものように宿題に追われた姉妹の方へと移動する。
アイドルになってからというもの成績アップも見込めない華月に対して、本を構えながら姉に講師する緋鞠といった複雑な様子に目を疑いつつも、結城を華月の隣に座らせては、終わらない宿題に戻らせようとしていた。
「兄ちゃん助けてくれ! 緋鞠ちゃんが私を虐めるんだ! 虐待に近い! 今すぐ警察を呼んでくれぇ!!!」
「華月ちゃんが『ヴァァァカ』なのがいけないんでしょ? はい、次は『(-2)ー(-6)』の式ね。出来なかったら、結城さんが頭をハリセンで叩かれるからちゃんと答えてくださいね?」
「ちょっと待つデース! なんで私が頭数に入れられてるデース! 責任転嫁は辞めるべきデス---」
答えを書いた華月に対して、即座にハリセンが結城の頭を捉える。まるでコントのような早さで繰り広げられる悪魔のような光景。
『自称』世界征服を目指すアイドルの面影はなく、叩かれた頭を押さえて涙を流すのを堪える結城と、理解に苦しんで今にも泣きそうな華月。
それを背後から掌握する緋鞠といった数ヶ月前までは、予想もつかなかった世界が俺の前に広がっていた。
「次は結城さんの番です。『Do you speak English (英語を話す事は出来ますか)?』」
「ぃ、イエス...デース......」
結城ベアトリーチェという名前とは裏腹にアメリカの血を引く彼女もまた、母親の国の言葉を全く理解していないという欠陥だらけの似非外人ハーフなのである。
「Thx. Could you tell me where the high school(ありがとう。高校までの道のりを教えてくれますか)?」
「え、えっと......」
即座に俺に助けを求める眼差しで、見つめる結城を背にハリセンで頭を叩かれる華月。まるで罪の擦り付け合いのように互いに涙しながらも、緋鞠という圧倒的な存在に支配されているかのような姿に少しだけ慈悲の感情を抱いてしまった。
時間も過ぎて、帰宅する時間になると魂が抜け落ちたように華月と結城が、机に顔を伏せながらも何とか今日の分が終わったと安堵している。
「華月、緋鞠帰るぞ?」
俺も荷物を纏めると、二人に駆け寄りながら結城の親御さんも迎えに来る頃だろうと一回のフロアまで降りていく。
暫くの時間が過ぎたが、結城の親は現れずに和気藹々とした会話が横で、続いているのを聞きながら正面の入り口に目を向けていたが、一向にその姿を見せない。
「お父さん遅いデスネ。ちょっと電話してみるデース」
結城が持ち合わせの携帯で連絡をして数分の間、電話を受けた親と話していた。パッと見ていた感想だが、明らかに何かのアクシデントを抱えたように焦っている様子が伺えた。
携帯を閉じると、俺に駆け寄って手を握りながら何かを手渡すように、震えた様子でこちらの顔を覗き込んでいた。
「こ、これで今晩は泊めてほしいデース......」
渡されたのは、何処で手に入れたのかも知るよしもない大人のゴム製品だった。
ファッションビッチを気取るにしても、実際のファン相手に通用しないであろうガクガクと震えた脚と今にも泣きそうな顔を見ながら、周りに誰もいない事が唯一の救いだと確信に打ち拉がれた。
「泊めてやるし、これはいらないからさっさと行くぞ?」
ため息をつきながら、姉妹と結城を連れて車まで移動する間に泊まり掛けになった理由を知ったが、今日は結城の両親の結婚記念日で、その気遣いをするべく友達のいない結城はエア友達の家に泊まるという架空の予定を立てていたらしい。
俺が結城の管理を任されていなかったら、この都会の町で本当にファッションビッチから、卒業式を迎えるところだったのではないだろうか。
「結城さんも運がいいよなぁ~。兄ちゃんは料理が上手いし、何でも出来るハイパー超人なんだ。こんな理想の上司は中々いないと思うがどうだい?」
「ふん。まぁ、致し方ないデース。今日のところは下僕の指示に従うとするデス」
さっきまで震えて、泊まりを懇願した緋鞠と華月と身なりが変わらない高校1年生の子どもの台詞とは思えない程、生意気な発言に目を瞑りつつも自宅のマンションへと到着するなり、緋鞠が後ろから袖を引く。
「兄さん。わかっているとは思いますが、結城さんを泊めるからといってお客人なのですから、相応の接客をーーー」
「何の話デス? 緋鞠サンもお兄ちゃんと一緒にお風呂入るデスカ?」
身の覚えもない約束に、車のドアに背をつけながら驚きを見せた緋鞠にそんな事はしないと横に手を振りながら、車を出て部屋のある階層まで3人を連れて上がって行こうと歩き出す。
華月は嬉しそうだが、緋鞠はジッと睨み付けながら不機嫌そうに俺を見てくる。怒っているように頬を膨らませながら、部屋に着くなり、自室に引きこもる緋鞠を見つつも初めて入る家の間取りに感動している結城が何とも新鮮に思える。
靴を揃えてから、俺も中に入るとリビングで畏まる結城の姿に華月が、後ろから抱きついて普通の女子が戯れているように自分の設定を忘れたようにはしゃいでいた。
「風呂沸かすから先に入っておけよ?」
「「はーい(デス)!」」
湯を沸かすスイッチを押すと、元気な返事と共に自室に入っていく華月と結城を見送りつつも、俺は食事の準備へと取り掛かる。
暫くして風呂の準備が、完了した事に気づいた二人が中へと入っていく姿を見据えながらも肝心の夜ご飯が出来ていなければ、お腹を空かせた妹達に悪いと急いで土鍋を取り出そうとしていた。
元々、今日の献立は鍋をつつくような豪勢な振る舞いを予定していた為、客人が増えた事はむしろ好機でもあると、小さく笑ってしまう。
「気持ち悪いです。兄さん......」
笑った姿を後ろから見つめていた緋鞠が、呟くように毒舌を吐いて私服姿でこちらを半信半疑の眼差しで睨んでいた。
「いくら華月ちゃんと結城さんが、お風呂に入っているからって変な妄想をーーー」
「俺がそんなに犯罪者予備軍にお前は見えるのか?」
ノータイムリーで縦に首を振る緋鞠に頭を抱えながら、ゆっくりと頬を膨らませたまま不機嫌な妹の近くまで歩み寄る。
「一緒に料理の準備手伝ってくれるか? 今日は緋鞠の大好きな豆乳風味にするからさ」
緋鞠の頭を撫でると、膨れた頬を解いて顔を赤くし始めた妹がゆっくりと頷く。
「に、兄さんは結城さんをどう思っているのですか?」
ゆっくりと包丁で野菜を刻む緋鞠から投げかけられた質問の意味が分からずに、面接から今までの記憶を手繰り寄せるが、これといって特に印象深い応えが返せそうにない。
「強いていうなら、面白い奴...かな。華月と仲が良いし、緋鞠とも別の意味で仲良くしてくれてるから有難いよ。アイドルになってから、姉妹以外で同世代の子と喋れてなかっただろ?」
包丁を止めた緋鞠を横目に笑顔で受け答えすると、ボソボソと呟くように顔を赤くしながら何かを言おうと口を動かしていた。
「私は...兄さんがいれば別にそれだけでーーー」
「兄ちゃーん! 上がったぞー!!!」
素早く廊下を走りながら、タオル一枚で抱きつく華月とその後ろから同じ姿をした結城がこちらを見つめていた。
「あぁ、代えの服か。ちょっと待ってろ」
自室から自分のシャツを取り出して、相手に手渡すと体格の差もあり、すっぽりと下着まで隠れて目の困り場もないといった感じに仕上がった。
嬉恥ずかしい表情を見せていた結城に、緋鞠がまたムスっとした顔をしている。
「兄さん、私もお風呂に入りますのでお食事は先にしていてください」
不機嫌そうに浴室へと向かう緋鞠を背に、作り掛けの鍋に戻ると切ってもらった野菜を暫くの間、煮込んだ後に華月と結城の待つテーブルに持っていく。
グツグツと煮込んだ蒸発が残った鍋を披露すると、その場にいた全員が「おぉ~」と声を揃えて、受け取り皿と箸を配布すると手を合わせて食事の挨拶をする。
結城がいつもよりも大人しく、箸も思うように進んでいないのが見受けられた事を気にしてか、華月がずっと話しかけてはいるが呂律が回らないのか、申し訳なさそうに上手く伝え切れていない。
緋鞠も風呂上りに俺の隣に座るなり、ジッとこちらを見ながら現状に不満があるのか、盛ったご飯茶碗を受け取ると一切、俺との会話を断絶してしまった。
結城が気になるのか、その後も緋鞠は落ち着かない態度を見せていた相手を気にかけているようで、食事後に部屋に連れ込んでは色々と話し込んでいたようではあったが具体的な事は何もわからない。
「兄ちゃんは結城さんの事、どう思ってる?」
「緋鞠に続いてお前もかーーー」
同じ事を華月にも話したが、緋鞠の魂胆は姉にもわからないだろう。
新しい子が入った事に対する兄妹間の嫉妬とは何か違う。もっと理由のある嫉妬。
それが何か、俺にはわからない。
「兄ちゃん、私怖いんだ......。もし、兄ちゃんといる時間が少なくなったら、今の自分でいられる自信がない」
「俺はどこにも行かないし、お前達の兄でずっといてやるから安心しろ」
そっと泣き出しそうになった華月を抱きしめると、小さく胸で泣いている相手が落ち着くまで側にいてやる事ぐらいしか、今の俺には出来ない。
「違うんだ...違うんだよ......。兄ちゃんーーー」
泣き疲れたように凭れ掛かる相手を部屋に運ぶと、寝かせたついでにと隣の部屋がどうなっているのかが、気になるようにそっと壁に寄りかかって目を閉じる。
どうやら隣も眠っているようで全くといっていい程、音も声も聞こえない。
俺もそのまま部屋に戻る事にした。窓を開けると涼しげな風と満月の綺麗な夜だった。
妹達の挙動が気になるところだが、結城があんなに大人しくなる事も何か理由があったのだろうか。
そんな事を思いつつも空を見上げた先に、一筋の光の雫を眺めながら変わってしまう事に対するそれぞれの想いを理解出来ない。
そんな俺にプロデューサー以前に兄の資格があるのだろうか。
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