第20話 夢から覚めて
「報告いたします、ヴォルヴィク様。光刃槍を受けて尚、魔王は生きているようです」
「たわけ!そんな事はここに居ても分かる、もう一度槍を放て、急がんか!」
戦場の最後方、秘蔵の光刃槍部隊を展開させていたこの位置からも、その魔物の絶叫は聞こえていた。先代魔王であり、魔界の絶対的守護者ヴォルクレール。奴が生きて戦場に現れる等といった馬鹿げた展開は、流石の私にも予想はつかなかった。何が起きているのかは分からないが、少なくとも小さな魔王相手ならともかく、ヴォルクレールが相手になると、この戦争の勝機は見えなくなってしまう。つまり我々は、魔族にまんまとはめられたのだ。敗色濃厚となった時点で、投擲の準備を急がせた光刃槍は、戦意を失った勇者もろとも、ヴォルクレールを貫いた。しかし、この遠吠えを聞く限り、人間の最高魔法兵器である光刃槍でも、やはり奴を絶命させるには至らなかったようだ。
「投擲用意……放てッ!」
そんな声を後ろに聞きつつ、私はすぐに側近と共に撤退を始めた。既に勝負はついた。ならば後は、前線の雑兵達を盾にして、私はさっさと国へと帰るのが得策だろう。少なくとも民衆からの支持を集める勇者を失ったのは痛いが、奴らは所詮消耗品、また召喚魔法で呼び出せばいいだけのことだ。
「ああ、ああっ!ヴォルヴィク様!!」
「ええいうるさい、何だというのだ!」
舌打ちをしながら、うるさくわめく部下を振り返るとそこには、人智を超えた姿をした魔物が、兵を掻き分けすり潰し、肉の壁の真ん中を真っ直ぐこちらへ駆けてくるのが見えた。地を駆ける巨大な銀髪の狼、巨大な手足は大地を割り、その咆哮は天にまで届くと言われる伝説の魔王。目の前に見えるその姿は、実際に見たことがなくとも、人間なら誰でも知っている、魔族最強の番人ヴォルクレールの真の姿だった。存在自体が馬鹿げているこの獣は、ここから前線まで、一体どれだけの距離があるのか知っているのだろうか。ほんの数秒で広大な陣を両断し、3階建ての建物くらいもある大きさの光刃投擲機を、片手で粉砕する異常な力を持った化物の王。そいつは、20機もあった投擲機を瞬く間に瓦礫に変えると、私の部下達をその巨大な両足で踏み潰している事にすら気づかない様子でこちらを振り向いた。大きな牙が血で濡れ、その四つの目玉の全てが私をしっかりと見据えている。
「はははは、こりゃ傑作だ!」
振り下ろされる奴の手のひらによって、私の世界は静かに閉じた。
____
魔族の兵士の中に、遠野が勇者の亡骸を抱き咆哮した真の意味を理解できた者はいなかった。しかし、意味など彼らには必要はない。勇者が死に、魔王様が生きている。今行うべき事実確認は、たったそれだけで充分だった。
戦場の中心で叫ぶ男の気持ちとは裏腹に、その声に呼応するように魔王軍の
「ユルヴェーヌ、あの女を安全な場所へ運んでくれ。私は遠野を追う。」
「まさかとは思いますが、あの女とは」
聞かずとも分かるだろうと魔王は軽く頷くと、見る見る内に異形と化して、人間達の陣へと走り出そうとする遠野の後を追った。その足取りは軽く、さっきまで地に伏せっていた弱々しさはどこにも見えなかった。それは遠野との魔力パイプが完全に切断され、急速に魔力を取り戻し始めたせいであり、同時に魔王が暴走を始めた遠野の元へと走る理由でもあった。
残されたユルヴェーヌは、指示された事の意図が掴めずにいたが、他でもない魔王様の頼みとあっては仕方がないと、スカートの裾をガバッと上げ、細く長い脚を、蹄の付いた屈強な形へと変化させ駆けた。
勇者を失った人間の兵達に待ち受けていた運命は悲惨の一言に尽きた。前線で、魔王軍から奪った旗を掲げていた兵士の一人は、自身の身にかかった白い粉、魔族の死骸を払いながら事の成り行きを見ていたが、二人に巨大な光刃槍が降り注いだ後、泣き叫ぶように吠える魔族の身体が、ボコボコと膨れ上がる様を見て、己の命の終わりを直感で悟った。みるみる内に、見上げるような大きさに変化した化け物は、耳を塞ぎたくなるほど大きく、長い遠吠えを上げた後で、自分達に向かって目にも見えない速さで突進してきたのだった。目の前に迫った四つ目の化け物に、思わず彼は旗を取り落として尻餅をついたのだが、それが幸いしたらしい。腰を落とした彼の横で盾を構えていた剣士は、盾とそのまま融合でもしたかのような姿に変わってしまった。化け物の通る道の敷石と化した兵士達が作る、物言わぬ肉塊の山を見て、何か温かい感触が身体を伝っていくのを彼は感じたが、それは自身が失禁しているのだと気づいたのは少し間を置いてからの事で、こちらへ嬉々として駆けてくる恐ろしい魔族の群れを彼が認めるのは、更に少し経ってからの事だった。
___
血の臭いがそこら中に充満している。蜘蛛の子を散らすように敗走していく人間達の背中に、容赦なく私の兵士達は襲いかかっていた。当然、奴らに慈悲などかけるつもりはない。徹底的に痛めつけなければ、また魔界へと攻めてくるかもしれないからだ。いや、どれ程思い知らせても、人間はいずれやってくるのかもしれない。だから私は、今度こそ自分だけの力で、この国を守っていかなければならない。人間の死骸の中で立ち尽くす、遠野の後ろ姿を見てそう思った。
既に暴走した魔力の放出は終わったのだろう。遠野の姿は、魔王族の真の姿たる銀色の巨狼から、私が見上げるのにちょうど良い、馴染んだ父の後ろ姿へと戻っていた。ダラリと下がった両の手からは、キラキラと光る砂のような粒が流れているのが見える。それは、遠野の触媒となった父の遺灰であり、同時に、彼に不可避な死が訪れた事を示していた。私が何度魔力パイプを何度繋ごうとしても、対象を認識し接続する事が出来なかったそれは、既に魔力の残滓のみで原型を保っているだけの、生きた死体だった。
「遠野」
「あ、ああ、魔王様ですか」
大きな父の後ろ姿が振り向くと、それは私の知る唯一信頼出来る人間に変わった。柔和な表情を形作っている顔が、ひび割れ、パラパラと粉がこぼれ落ちる。それに気づいたのか遠野は手で軽く頬を撫で、同じようにひび割れた手を何度か仰ぎ見てから少し笑った。
「お別れのようですね、魔王様。」
「そのようだな、遠野。」
よくやってくれた、これで魔界の民は救われたと労いの言葉をかけると、遠野はすこし目を伏せた。
「……娘、だったんです。勇者は、死んだはずの私の娘だったんです。」
「……。」
もしかしたらとは思っていた。人間も、異世界から勇者となる人材を呼び出すのだと昔聞いたことがあった。そしてそれは、魔族とは比べ物にならぬ程粗末な術式で、大概魂ごとこの世界へ連れてきてしまうのだとも。戦場での明らかに不審な二人の様子に、何か遠野に関係のある異世界の人物ではないかと思ってはいたが、まさか勇者が遠野の娘だったとは。
「これは、現実なのですよね、魔王様。」
一歩一歩、遠野は私の元へと歩み寄り、その度に身体中からキラキラとした粉が舞っていった。
「この世界に来ていた娘を、私は……私は、また目の前で死なせてしまったんですよ!久美香はどれだけ孤独で、辛かっただろう。どれだけ元の世界へ帰りたかっただろう。そんな事もつゆ知らず私は、私は!」
ほとんど縋るような形で小さな私の前にしゃがみ込み、苦痛に顔を歪める遠野の顔を目の前にして、私は慰めの言葉を持たない事に気がついた。こんな時、言葉は無力でとても儚い。それでも、それでも何かないかと、無い知恵を振り絞り
「これは、夢じゃ」
そんな言葉が口をついて出た。
「これは夢なんじゃ、遠野和夫よ。お主は現実で、長年ゴブリンのように一生懸命仕事をし過ぎて、少し疲れてしまったんじゃ。これでこの夢は終わるから、どうか、幸せな暮らしに戻っておくれ。」
「魔王様……」
「そして夢の登場人物として、謝らせておくれ。お主に嫌な思いをさせてしまい、本当にすまなかった。」
「う、ううっ、ありがとう、ありがとうございます……しかし魔王様、私は」
最期の言葉を言い終わる前に遠野和夫は消えた。彼の触媒となった父の遺灰は、キラキラと風に吹かれて辺りに舞い散っていった。
___
ベッドの上に天蓋は見えなかった。
見慣れた寝室で静かに目を覚ました私は、ゆっくり半身を起こし、横ですうすうと寝息を立てている妻を見つめた。カーテン越しに見える外の明かりは薄暗く、まだ朝まで時間があるようだ。
私はスリッパを履くと下の階へと降り、テレビの前のソファに座った。ここ数ヶ月、私は長い長い夢を見ていた。
夢には魔界の小さな王様や、その家来達、綺麗だけど時にヒステリーなメイドが出てくるのだ。しまいにゃ戦争が始まったかと思えば、死んだはずの娘が大きくなった姿で現れて……
「……魔王様、私は決して忘れはしません」
そう呟くと、私は顔を押さえて一人泣いた。長い長い夢だった。これから先、一人の胸に抱えていくには、あまりにも長い夢だった。
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