第13話 残された手段

「ユルヴェーヌ、人間界に斥候を送っておくれ」


遠野の身体に変化があったというユルヴェーヌの報告を受けて、私は一言彼女に告げた。


この変化は何かを暗示している、そう思った。遠野を通じて、見えないものが、私に何かを教えようとしているように感じたのだ。彼をこの世界に繋ぎとめている触媒の事も頭に浮かび、それは私の中で確信にも近いものとなっていた。


その後、隠密行動に優れ、戦闘に慣れた魔族の中から、十数人が斥候として選ばれ旅立ったが、帰ってきたのはわずか1人だけだった。その若きダークエルフは、瀕死で魔王城へとたどり着くと、人間の大軍勢が、目と鼻の先にまで迫っていること、そして、それを率いているのが、聖剣使いの勇者であるということだけを伝えた後、床にがっくりと突っ伏した。そのまま彼は立ち上がることなく、身体はひび割れ、さらさらとした粉になっていく。


魔力の喪失による自我の霧散、これが我々にとっての死だ。ここまで気力のみを糧にして来たのだろう。ここに辿りついた時には、既に右半身を無くしており、生きているのが不思議なくらいだった。命を失い無機物に戻った同胞を私は手で掬うと、そっと抱きしめた。つらい任務を任せてしまったことに対する後悔が胸に響く。


「やはりか……人間共め。宣戦布告もなしに攻めてこようとは良い度胸じゃ、魔族を何だと思っておるのか。」


そう吐き捨てながらも、ザワザワと不安が沸いてくる。まだこの国は、やっと立ち上がり、歩き出そうとしている所だ。先の戦争も、認めたくはないが人間の王が死んでいなければ、結末はどうなっていたか分からない。しかも今度は勇者が居ると言うではないか。魔界の歴史にも深く刻まれる勇者の伝説。かつて私の曽祖父を死に追いやり、魔界の平和を脅かした聖剣使いは、古の神々にも匹敵する力を持つと伝えられている。かの大魔王様がこの地に姿をお見せになり、三日三晩の戦いの末、ようやく倒す事が出来たという、人間を超えた存在、勇者。


足元から、がらがらと崩れ落ちていくような気持ちに、身体が支配されそうになる。それを振り払うように、顔を上げ、すぐに軍を編制し、民の避難を急ぐように命じると、ユルヴェーヌが決まり悪そうに何か口籠もっている。


「何だ、何か言いたいのか、ユルヴェーヌ」


「その……差し出がましいのですが、この戦いは厳しくなるでしょう。その勝利は、魔王様の魔力に左右されると思うのです」


「それは、どういうことだ」


「あの……遠野様を……」


「……触媒に戻す、そう言いたいのだろう」


「……」


ユルヴェーヌは、無言でそれを肯定する。どうやら彼女は、私の魔力流出が日々大きくなっている事に気付いていたらしい。召還者と術者の間には、見えない魔力のパイプがある。特に遠野のように魔力を自分で生み出せない者が召還された場合、術者がそのパイプへの魔力の供給を止めれば、召還者の自我は霧散し、触媒に戻ってしまうのだ。それは、言い方を変えれば遠野を殺すという事だった。


「ならん、奴はこの国を立て直す為、立派に仕事をしてくれている。それに十年前と違って、わらわは力の使い方を会得しておるのじゃぞ。」


ゆえに人間達はおろか、勇者にだって遅れを取ることはないと言い放ち、彼女に笑顔を向ける。ユルヴェーヌは、そんな私に合わせて、安心しましたと微笑んでくれた。優しい子だ、当然私の嘘に気付いているだろうに。大魔王と対等に戦えるという勇者を相手に、未熟な私が敵うはずがない。


そして、そんなユルヴェーヌが心配する私の魔力流出は、実は彼女の想像をはるかに超えているものだ。ここ数週間の遠野のあからさまな身体の変化は、明らかにその触媒の影響を顕著に表しており、私の生み出す魔力は、生命維持に必要な分以外のほぼ全てを遠野に吸い取られてしまっている。術式を解いて、遠野を触媒に戻すのは容易い。しかし私の魔力が回復したからと言って何になるというのだろう。それならば、わずかな可能性にかける方がマシだ。


私は、遠野に開戦とそれに係る軍事費について相談するようユルヴェーヌに頼み、その背中を見送ると、紙とペンを取り出した。そして、スラスラと手紙を書くと、8人の伝令係を呼び、それぞれに託した。これで我が国の紋章の付いた封蝋のついた手紙は、数日中に7つの魔界の王達、そして偉大なる大魔王様へと届けられるだろう。


彼らに助けを求める、これが力の無い私に残された、唯一の手段だった。

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