第17話 頂点と頂点

大地には見渡す限り人間達の血や臓物が転がり、それに被さるように土や岩、宝石や塩の粉末が地面に散らばっている。キラキラと陽の光を反射するそれは、生まれる前と死んだ後にのみ表れる魔族達の亡骸だ。


「全軍、後退っ!」


血を血で洗うような地獄の中で、先に音を上げたのは人間側だった。既に前線は崩壊し、光の壁も、その紋様のみを地面に残して跡形もなく消え失せていた。後退を告げる、そんな勇者の高く響く声が聞こえると同時、各隊を率いる隊長達の野太い声が幾度も呼応し、人間の兵士達はじりじりと下がっていった。それに合わせて、後方からは弓矢が飛び、魔族の追撃を防ごうとする。


それを見て、冷や汗を流したのは幼き魔族の王だ。


「いかんな……。」


魔王は、何度か独り言を繰り返し、最後に震える手で顔をバシッと叩く、それは自身を奮い立たせようとする彼女なりの儀式だった。深追いは禁物と、魔族の兵士へ、丘の上へと帰るよう指示する。すると、同時に後退していく前線から彼女が恐れていた通りの展開が飛び出してきた。


後退していく魔族と人間達との空白地に、人間側から一騎の白馬が駆けた。その手綱を握る勇者は、丘の上の魔王に向かって声を上げる。


「降りてこい魔王、私と一騎討ちで戦え!」


最初と文言は変わっているが、その要求は全く同じだった。最初から勇者は、魔族や魔王など恐れてはいないのだ。光の壁による殲滅は、予想外の失敗となったものの、最終的には勇者が全てのカタをつける事は決まっていたのだろう。人間の兵士達は、無傷の者から負傷者に至るまで、既に最初の威勢を取り戻していた。


幼い魔王と勇者の力の差は歴然、ここで前へ出てこないならば、軍勢ごと皆殺しにするまでと、勇者はあくまで余裕のまま魔王へ語りかける。当然、魔王を失った後に魔族達に待っている結末は、誰が言わずとも明らかであり、要はこれはどちらを先に始末するかというだけの遊びのようなものである。


「魔王様、応じる必要はありません。先鋭を勇者にぶつけましょう。」


魔王の側で控える軍隊長の一人が、そう進言した。


「ならぬ、それに、勇者と戦える人材が我が軍におるというのか。」


「しかし……。」


しばしの静寂が戦場に広がった後、人間と魔族双方の兵士達の目は、空をふわりと駆ける一人の少女へと向けられた。


スタッと小さな足音をさせ、馬上の勇者の前に立った小さな少女。勇者は、白馬から降りると、長寿で知られる魔族の王を、品定めするような目つきで眺めた。馬から下りても尚、その体の小ささが目立つ。これで百をゆうに超えているというのだから驚きだ。


「どうした、ここまで来てやったのじゃぞ。お主はわらわと戦うのではなかったのか。」


「ふふ、そんな小さな身体で戦えるのか?」


試してみるがよい、とあくまでも尊大な口調を止めずに言い放つ魔王。しかし、その言葉が言い終わるか終わらぬかのうちに、既に勇者は聖剣を、魔王に向かって振り下ろしていた。それは、この世界に来たばかりの幼い自分の影が、少女の姿をした魔族の王の後ろでちらつき始めたことも影響していた。とにかくその素早い剣は、一瞬で魔王の首を飛ばし、戦いに一つの終止符を打つはずだった。しかし


「いないッ!?」


「愚かな」


自身の左脇でその小さな声を聞いた勇者は、そのまま強い衝撃と共に空中へ飛ばされた。見れば鎧の左側が醜くへこんでいる。魔族達の歓声が、大気をびりりと震わせているのが分かる。


飛ばされながらもクルリと空中で一回転し、地面に降りた勇者の目に映ったのは、禍々しい黒い光を帯び、実体化した魔力の塊だった。身体を地面に擦り付け、ギリギリの所でそれをかわすと、その直後、遥か後方から兵士達の断末魔が聞こえた。恐らく魔族の呪式の一つだろう。そちらを振り返ることなく、魔王の姿を正面に見据えたまま、呼吸を整える。


「聞いていた話と、少し違うようだな。幼く貧弱な王であると聞いていたが。」


「……貧弱な王か。間違ってはおらんの、実際その通りじゃ。」


ただ、お主の方がさらに貧弱というだけのこと、と微笑む魔王。しかし、勇者は、呪式を避けた後に追撃されなかったという点に気付き、魔王の現状を見抜いていた。ゆえにこれは、お互いに息を整える為に行われている、いわば茶番だ。


「ふふ、お前戦っているだろう。」


「……」


流石に勇者は気づくのが早く、魔王が新たな魔力を生み出せないことを数手の間に読み取っていた。図星だな、と今度は恐ろしい笑顔を浮かべると、勇者は宝珠の光を帯びた聖剣を天高く掲げた。


それは昨日見た光景の再現であり、丘の上の魔族達は、全員がその光を恐怖に引きつった表情で見つめている。魔王はこの展開を恐れていた、先のように、乱戦となっている内は勇者も同士討ちを恐れてこの力を使わなかっただろう。しかし、今は……。


勇者は、光を集めた聖剣を立ち尽くす魔王に向かって悠々と振り下ろす。


「ッッッ!!!」


次の瞬間、二人の戦いを見守る魔族達の目に飛び込んできたのは、同胞の死骸ではなく、肩で息をする我らが魔王様の後姿だった。魔王は、聖剣の光を全て受ち消したのだ。しかしその表情に余裕はなく、聖剣と同等の力の呪式を放った右手を勇者へ向けながら、魔王はギリリと苦い顔をする。


実は、勇者の攻撃自体を受けることは魔王にとって難しいことではない。そも勇者の強さというのは、その破壊力の大小ではなく、無尽蔵な魔力による部分が多いからだ。それは、鎧ごと内臓に与えた致命的なダメージを一瞬で回復させる治癒魔法を使いつつ、聖剣による祝福を放つことのできる魔力の生産力にも表れていた。この力こそが、過去の魔王達を苦しめ、大魔王を戦場へと引きずり出した力だった。


一方の現魔王は、そもそもの魔力生産力がまだ低い上、その魔力生産の大半を遠野に割り振っている為、長年溜め込んだ魔力の貯蓄だけで戦っていた。当然勇者は、それを見切った上で攻撃を仕掛けており、攻撃を打ち消されたことに対しては全く動じていなかった。ゆえに、そのまま、もう一度聖剣を天高く掲げるのだった。


時間を置く間もなく放たれた、二度目の聖剣による一撃は、威力こそ先ほどと同じであるが、魔王にとっては決定的な一撃となった。魔王は、今度は両手を前に出し、渾身の魔力を込めて放った呪式で光を打ち消したは良いが、そのまま立っていることすらできなくなり、前のめりに倒れ込んでしまったのだ。


「あはは、どうした魔王、たったの2度でおしまいか。確かにこれは貧弱だ。」


そのままおかしくてたまらないと言ったように、勇者は腹を抱えて笑う。それを見て、人間の兵士達も大声で笑いだした。それを見て黙っていられないのは魔族の兵士達だ、中には既に勇者に向かって走り出している一群もいた。


「動くなッ!魔王の首を跳ねるぞ!」


そう言われ、そのまま恨みの込められた目つきで勇者を見る魔族の兵士達。


「…頼む…殺すのは…私だけにしてくれ……お願いだ……。」


「まだ意識があるとは驚いた。しかしその願い、私が聞くと本当に思っているのか。」


「ううう、頼む……頼む……。」


もはや見た目通りのただの少女になってしまったかのような弱弱しさを浮かべる魔王を、勇者は汚物を見るような目で見下ろした。人間界に害をなす野蛮な魔族の王、こいつのせいで祖国の民は苦しんでいることを思うと、幼い少女の見た目をしていても、同情心は欠片も出てこなかった。


チッという舌打ちと共に、勇者は天高く聖剣を振り上げた。宝珠の光が一層輝き、再び天から大きな光が降りてくる。それを見た魔族の兵達が走ってくる、が、それより早く剣を振り下ろし、奴らごと全てを消してしまえばいいだけのことだ、と瀕死の少女を前に勇者はどこまでも冷静だった。


そして、全ての輪郭があやふやに見える程の光を放った聖剣が、魔王とその背後の魔族達へと振り下ろされた。


ゴォォォォンゴォォォォン


天からの祝福の鐘の音が鳴っている。勇者は、これ以上ないという至福の表情でその勝利の手ごたえを味わっていたが、突然、その感触は何者かに遮られてしまった。


「なッ!?」


魔族を滅ぼさんとする光がみるみる内に収束し、舞い上がった土煙がパラパラと降る戦場。魔族と人間の兵士達は、先ほどから、ただ互いの力の頂点と頂点のぶつかり合いをただ見ていることしか出来なかった。そして今、その双眸は、突然彼らの視界に現れた、ある人物に向けられていた。



___



勇者の倍以上ある体躯、聖剣を受け止める大きな手、銀色の髪の毛、そして何より、頭から生えた二つの角。その後姿は、紛れもなく、亡くなった父そのものだった。聖剣を突然何者かに受け止められた勇者は、その顔に困惑の表情を浮かべている。


「ち…父上……?」


「魔王様、大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。」


何分老年ゆえ、飲み込みが遅いもので、と振り返った男は、身体に似合わない柔和な顔つきを浮かべ、魔王に小さくお辞儀をした。

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