第2話 魔王城へようこそ
「手荒なまねをしてしまい、申し訳ございませんでした。」
そう言ってその女性、ユルヴェーヌさんは深いお辞儀と共に謝罪をした。綺麗な銀髪が私に向かって垂れる。頭には、外国のハウスキーパーが付けるようなフリルの付いたカチューシャを付けているのが見えた。
湿気の多い全面石張りの壁、数本のロウソクの炎だけが光源となった室内。ぎしぎしと軋む音がするベッドは一体どれ程長い年月使われているのか、マットレスが人型に沈み、黒い染みになっている。そこに腰掛ける私がイテテと首筋をさする度、目の前の彼女が繰り返し謝ってくるので、何だかこちらが申し訳ない気にさえなってくるのだった。
彼女は、先ほどの女の子、マオ?と言う子に仕えている侍従らしく、立場上、あの女の子の命令に逆らう事は出来ないのだという。命令とはいえ人を気絶させるというのはどうなのかとは思ったが、そこは日本人の悲しい性か、必死に謝ってくる相手に強くは言えず、いえいえ気にしていませんからと、しまいにゃ何故か私まで頭を下げてしまっていた。
スラリと伸びた背に、真っ白な肌、ぱっちりとした目鼻立ち。私は、やたら日本語の上手な外人さんだと思い、出身国を聞いたのだが、彼女はすたきっしゅ人?であると答えた。はて、そんな国はあっただろうかと思ったが、彼女が、どうぞこちらへと言いながら彼女が私の手を引くもんだから、ついに聞きそびれてしまった。
ギギィ、と鈍い音を立てながら開かれるドアをくぐると、同じような石壁が続く廊下に出る。振り返った私は、そこで初めて、自身が居た場所が牢屋であったことに気がついた。赤茶け錆びた鉄のドアには格子がはめられており、ドアの下部にはポストの投函口を大きくしたようなものが付いている。おそらくここから食事を入れるのだろう。
「牢屋へ連れて行けとの魔王様の命令でしたので、仕方無くお連れしたのですが・・」
眼鏡に手をやりながら牢屋を珍しそうに眺める私の横で、そうやってまたユルヴェーヌさんが申し訳なさそうな顔をする。私は、慌てて手を振りながら気にすることはないとフォローを入れた。やれやれ、一体何に私は気を使っているのだろうか。彼女の柔和な印象はともかく、私はいわば拉致監禁をされているのだ。普通ならもっと怒ったりするものだろうな、と我ながらそういった感情に無頓着であることに呆れてしまう。
それにしても、ここは一体どこだろう。さっきの広大なドームといい、私は何かの宗教施設に連れ去られたのかもしれない。いやしかし、何であれ私の身体が送別会中に光り輝いた事の説明になるだろうか。もしかすると、送別会自体が夢なのではないか。そんな様々な考えが、ああでもないこうでもないと頭の中を駆け巡る。
しかし、そんな不安な思考も、暗い石壁の廊下を抜け、階段を登り、目に映った景色の衝撃によって何処かへ消えてしまった。というのも、私の目に突然飛び込んできたのは、さっきまでの暗い石造りの地下室とはどこまでも対照的な、実に優美な大広間だったのである。
床は一面の大理石、そこに真っ赤な絨毯が敷かれ、幅広の階段に向かって伸びている。階段の正面に見える大きな鉄の扉が、ここが建物のエントランスである事を示していた。床と同じく白を基調とした壁には、先ほどのドームの壁面と似た、美しい幾何学模様が金の装飾で描かれている。内装がただ豪華絢爛なだけでなく、随所に置かれ建物と完全に調和しているアンティークの数々が、この建物の、長い歴史とその風格を物言わずに語っていた。
「こりゃあたまげたなぁ・・・」
目を丸くしてあちこちを見回している私を見て、ユルヴェーヌさんはくすくすと笑う。
「では改めて遠野様、魔王城へようこそ!」
「マオジョー?」
「ええそうです、魔王城です。」
マオ城、さっきから彼女がマオ様マオ様と女の子の名を繰り返している様子からして、やはりここはあの子の家族の住む屋敷で、そして彼女はこの屋敷のハウスキーパーなのだろう。日本でこれ程立派な建物に住んでいるからにはかなりの名家であり、どこぞのご令嬢であることは間違いない。そのご令嬢に、私が失礼な口を聞いてしまった代償が、理不尽ながらこれという訳だ。再び、首筋がジクリと痛んだ。
「それで、私はどうして連れて来られたんでしょうか・・・このようなお屋敷に住まう知人は居ないはずなのですが。」
「それは、魔王様の召還術によって、幸運にも遠野様が選ばれた故にございます。」
「はぁ、ショウカン・・?」
「ええ、魔王様の強大な魔力を一度に注ぎ込んだ、究極の召還術です。」
ユルヴェーヌさんは、その後もぽかんと呆けている私に、ダイマオーがどうとか、マカイがどうとか、色々な言葉を浴びせてくるのだが、残念ながら私に学がない為か、彼女の言葉の意味は、ほとんど飲み込めなかった。
しかし、マオ様と呼ばれている女の子のお屋敷に、訳あって偶然呼ばれたのが私であるということはなんとなく分かった。それならばと、私は言葉を選びながらも、半ば無理矢理ユルヴェーヌさんの言葉を遮る。
「ですから、遠野様には魔王城の財政危機を、人間界の知識を活かして立て直して欲しいという訳で――」
「す、すいません!」
「はい?」
「あの、何か有り難い話しである事は分かるんですが、辞退させては頂けないでしょうか?」
「あ、はい・・・ってえええええっ!?」
心底驚いたという様子で、ユルヴェーヌさんは口をあんぐりと開けている。そのまま考え込むような表情をする彼女は、私のそんな答えを想定すらしていなかったようだった。
「というのも、私、実は本日会社を退職したばかりでして、一旦家に持ち帰って検討するっていうのはいけませんかね。」
「うーん、家、ですかぁ」
私が帰宅するのがそんなに困った事なのだろうか。彼女は、更に深く考え込んでしまった。なるほど、いかな理由とはいえ、拉致という形で私を連れてきたのだ。万が一私に警察にでも駆け込まれたら困るという事か。それならば――
「ここへ連れて来られた事は誓って絶対に誰にも言いません、ですから何も無かったという事で勘弁願えませんか。」
話している内に、段々と私も冷静になってきた。私はこのおかしな状況から脱して、とにかく家に帰りたい。家には妻が私の定年祝いの料理を作って愛猫と共に待っているのだ。
「いやぁ、そういう問題じゃないんですけどねぇ・・・」
「もう良いぞユルヴェーヌ、時間の無駄だ!」
「ま、魔王様!」
そう言って、階段を降りてくるのはさっきの女の子だった。私は少し緊張した顔で、ユルヴェーヌさんの方を見たが、彼女は、あははと苦笑いを浮かべていた。こやつ、命令されれば、またやると見た。
「老いた人間よ、まだ自身の置かれた状況が分かっていないようだな」
「は、はあ・・・」
そのあまりにも芝居じみた台詞に、思わず気の抜けた返事をする。それを意に介しないとでも言うように、女の子はユルヴェーヌさんに一言、見せてやれ、とだけ命じた。
「ハッ!」
その声に、思わず背筋がビクッと反応したが、そこに手刀が振り下ろされることはなく、ユルヴェーヌさんはギギギィと、見るからに重厚な正面の鉄の扉を一人で開けてゆく。その鉄の扉の向こうに広がった景色は、何度も衝撃を受けてばかりの私に、今日一番の衝撃を与えるものとなった。
その扉ごしに見える外には、これまで見た事のない紫色の空が広がり、そこには、こぶし大程の大きさに見える月が、二つも浮かんでいたのである。
じわりと冷たい汗が一筋、額を伝っていくのが分かった。
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