第10話 労働の喜び

はっきり言って、充実していた。


夜、ぎりぎりまで寝室で借りてきた本を読む。毎日決まって12時になると、耐え難い眠気が襲ってきて、目を閉じると次の瞬間には魔界で目が覚める。身体の疲れは取れている、というより、あちらとこちらの世界の身体は別物らしいので、魔界で溜まった疲れ、は取れていると言った方が正しい。


豪華な天蓋付きのベッドで目を覚ますと、すぐに枕元に重ねてある紙にペンで、さっき覚えたことを書き連ねる。それだけで午前中が終わる日もあった。朝食は、魔王様と一緒にとることもあれば、そのまま寝室にユルヴェーヌに持ってきてもらうこともある。今日は特に早く書き留めたいことが多いので、時間が惜しい。毎日花瓶の水を取り替えに来ているユルヴェーヌに、自室に運んでもらうようお願いした。それにしてもあの送別会で貰った花、いつまでも枯れないどころか、むしろ日に日に美しくなっているのが不思議だ。根っこもないのにどうしたものか、今度仕組みを聞いてみよう。こちらの世界の農業の特殊性に絡んでいるのかもしれない。


朝食をとりながらメモを取り、食べ終わると同時、そのまま仕事場へと向かう。いってらっしゃいませと言うユルヴェーヌに、ひらひらと手で返事をした。


「おはようございます、遠野様」


「おはようございます、今日もお早いのですね」


ユルヴェーヌと同じ、銀髪に長身のメイド達が、私を見てそう声をかけてくる。彼女らは元々この城に勤めていたのだが、城の財政難で暇を出されていたらしい。少し前に、予算に余剰が出た為、使用人達も晴れて再雇用の運びとなったのだ。


「おはよう、お互い一日頑張りましょう」


まあ嬉しい、との声を受けながらツカツカと城内を歩く。城は広大で、私の寝室から仕事場までは歩いて10分程かかる。綺麗に磨かれた石畳を踏みながら進むと、既にゴブリン達があわただしく作業をしているのが遠くに見えてきた。昨日言いつけておいた仕事をしているのだろう。彼らは、魔王様が魔力を供給することによってこの世に生を受け、休むことを知らず、短い命が尽きるまでひたすら働き続ける生き物なのだと言う。それを聞いて、まるで日本人みたいですねと苦笑いを浮かべて言うと、魔王様は、お主の世界にもゴブリンがおるのかと不思議な顔をしていた。


「君、進捗状況はどうかな」


「はい、9割方終わってますー」「終わってますー」「ますー」


適当に一人に声をかけると、その周りのゴブリン達が波紋のように返事を返す。彼らは大勢には見えるが、全体で一つの意識を共有するひとつの生き物らしい。ゆえに一人に教えた事柄は、そのまま瞬時に全体へと行き渡る。この城があっという間に息を吹き返したのも、急速かつ膨大な仕事を、彼らが昼夜問わずこなしてくれるおかげだろう。


やたらと大仰な装飾の付いた大きな椅子に腰掛け、今朝とったメモをまとめる。今日は治水に関する知識――と言っても初歩的なものではあるが――を仕入れてきた。それをゴブリンにも分かりやすいように、簡単な言葉に直していく作業だ。


最初は日本語がそのまま通じているのだと思っていだが、後からどうやらそれは違うことが分かった。私が発している言葉や、綴っている文字は、私の意識下に埋め込まれた呪式というもので変換され、こちらの言葉に翻訳されているのだという。そう言われれば、確かに”廃棄処理龍”だなんて、不自然な言葉だと思った。どれもこれも、魔力を介して私が飲み込みやすい表現にいちいち直されているのだ。


未だにこの魔力という概念には驚かされるばかりだが、短い期間でもこの世界はそれなしには成り立っていないのが見てとれた。部屋のランプから、料理を作る炎、ひいてはトイレの汚水処理にまで、全て大気中に漂う魔力が利用されているらしい。私の仕事は、そんな魔力で解決できない部分、城の財政面の問題を洗い出し、いわば間接的にこの国を立て直すハード的な仕事だった。しかし、最近はそんな事務作業も、ほとんどゴブリン達にまかせており、私は、魔王様からの命で、人間界のインフラ整備についての知識を魔界へと輸入することがメインの仕事になりつつある。


「遠野、このあんかーぼると、というのは何じゃ」


そんな声をかけられ振り向くと、ドアの所に魔王様が立っていた。手には昨日お渡しした書類がある。


「すいません魔王様、それは構造物を固定する鉄の棒のことです」


ついで朝食をご一緒出来なかったことを詫びると、魔王様は気にしていないと軽く笑んでくれた。彼女、いやこのお方は、亡き父君に代わりこの国を支える尊いお方なのだ。可愛らしい外見とは違い、何と年齢は今年で109歳になられるのだという。魔王族の平均から比べれば若いのかもしれないが、私のような人間からすると、それだけで少し、いやかなり見る目が変わってしまう。城内で魔物達から魔界や魔王様のことを聞き、この世界を知れば知るほど、魔王という存在の尊さとその威厳に打ちのめされ、当初の無礼を思い返し顔が赤くなるばかりだった。その後いくつか質問をした後で、魔王様は自室へと帰っていった。すこし足元がふらふらとしている。連日の仕事で疲れているのだろうか、心配だ。


それにしても、老後にこんな世界が待っているだなんて、まさに夢にも思わなかった。不思議とこちらの世界に来ると、やる気がどんどん沸いてきて、いくらでも仕事が出来るという気もしてくる。会社に入ったばかりの若い頃を思い出すようだ。あの頃は妻と子を養う為に粉骨砕身で働いていたっけか……。


少し暗い気持ちになった私は、いけないいけない今は仕事に集中するのだ、と頭を振り、ペンにインクをつけた。

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