第18話 戦闘力53万
「申し訳ありませんが、魔王様の為に死んでくれませんか」
ドアにもたれかかりながら、憔悴した様子でユルヴェーヌが言う。目の下にはクマができ、その目つきもうつろだ。
仕事中だった私とゴブリン達が呆気に取られていると、彼女の白く美しい右腕だけが、みるみる膨張しながら衣服を突き破り、鋭く大きな爪の伸びた、毛だらけの獣の腕へと変化した。そして、慌てた私が椅子から立ち上がると同時に、そのまま飛びかかってきたのである。
しかし、私の死という彼女の物騒な願いは達せられなかった。というのも、私は無意識に突き出された彼女の毛むくじゃらの腕を掴み、あろうことか仕事場の壁に向かって叩きつけてしまったのである。そこに私の意識は介在しておらず、まさに体が勝手に動いたといった感覚だった。ユルヴェーヌを中心に放射線上に広がるヒビと、細かい粒になって崩れ落ちる石壁を、私はどこか他人事のように、ただ呆然と見ているしかなかった。
「遠野様、大丈夫ですか」「大丈夫ですか」「ですか」
いつの間にか部屋の外へ出ていたゴブリン達が、おっかなびっくり崩れた壁の穴から中を伺っている。とりあえず手を上げて無事を伝えるが、私自身何が起きているのかよく分かっていない。
「……お覚悟をッ!」
そんな声の方を向くと、ユルヴェーヌが壁際から立ち上がり、また恐ろしい腕を向けながらこちらへ駆けてくる所だった。私は思わず目を瞑り、手を顔の前に組んだ……つもりだったが、気付くと、今度はユルヴェーヌの首を右手で掴み、左手を彼女の顔の前にかざしていた。彼女の両脚はぶらぶらと宙を蹴り、私の左手のひらからは、何か黒い電気のようなものがパチパチと光っている。勝手に動く自身の身体が、今度は取り返しのつかない事を起こそうとしていると感じた私は、手を離すよう必死に念じ、なんとか自身の身体を動かし、ユルヴェーヌを地面へ降ろすことに成功した。
「ガハッガハッ……うっうっうっううう……」
床に降ろされた彼女は、そのままさめざめと泣き出してしまった。私は混乱しながらも、ゴブリン達に彼女の傷の手当をするよう指示し、私を殺そうとしたユルヴェーヌの背中を、彼女が落ち着くまでさすり続けた。
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「すると、この身体は魔王様のお父さんの身体なのですか。」
そう言って、改めて自身の巨大な身体を眺める私に、無言でコクリと頷きを返すユルヴェーヌ。元に戻った白い手には、ゴブリンが用意した、ココアの入ったマグカップを持っている。
私は泣きじゃくる彼女から、ゆっくり聞き出した断片的な話を、一度頭の中で整理した。まず私の身体は、触媒に相応しい召還者を呼び出せるという召還術の都合上、この城内で考えうる最上級の触媒を持って召還されたのだと聞いていた。私はそれを、ゴブリンや他の魔族と同じく土や岩等の自然物の類だと思っていたのだが、彼女の話では、私の身体を構成している触媒というのは、何と、魔王様の父、先代魔王様の遺灰だと言うのである。
最初は、ノウハウをこの世界に伝えさせた後、ごく短期間で魔力の供給を切られ、この世界から去る、つまり死ぬはずだった私が、今日までこの世界で生きているのは、父の遺灰から召還したという事情と、魔王様が私の仕事ぶりを気に入ってくださった為に、魔力供給を切らず、そのままにしておいて下さっているのだと彼女は言った。そんな私を勝手に殺そうとしたことを何度もここにいない魔王様に謝罪するものだから、その度になだめすかせるのが大変で、気付けば外は夜になってしまっていた。
そして今、原因は分からないが私の身体は先代魔王様の姿に限りなく近づいている。そんな私を維持する為の魔力消費が、そのまま戦場に居る魔王様の魔力の低下に繋がっており、ゆえに彼女は魔王様の足かせになっている私の命を狙ったのだというのだ。
「……申し訳ございませんでした。」
ポツリと呟き、そのままうなだれるユルヴェーヌ。この城に来たばかりの頃なら、ただ怒りと恐れを彼女にぶつけていたかもしれないが、今の私にはその気持ちが痛い程よく分かった。彼女の行動の全ては、魔王様の為にあるのだ。今、この国には人間が攻めてきており、それを率いているのは召還術に近いもので呼び出されている勇者と呼ばれる者なのだという。勇者と呼ばれる存在は、過去、魔王様の先祖達を何度も殺し、大魔王様という更に強いお方も手を焼く程の強さだというではないか。そんな恐ろしい敵を相手に、戦うかもしれない魔王様の、いわば足かせに私がなるというのなら……。
「ユルヴェーヌ、魔王様の為であるなら私は死ねますよ。」
そんな私の言葉にハッと顔を見上げたユルヴェーヌは、意外にも力なく笑った。
「どうしました、私が死ねば魔王様は勇者に勝てるんでしょう。」
「いえ……遠野様の維持に使う魔力があったとしても、魔王様は恐らく勇者には勝てません……。」
それでも、ほんの少しでも魔王様の力になりたくて、遠野様に酷いことをしてしまったと、ユルヴェーヌは顔を押さえてむせび泣いた。
「どういう事です、勇者はそれ程までに強いのですか。」
「ええ、ええ・・・…勇者と対等に戦える魔力を持つのは深淵の城に住まわれる大魔王様か、それに匹敵する力を持つ魔族、例えば先代の魔王様くらい強いお方で……」
そのままこちらを見て目を大きくするユルヴェーヌと私の間に、しばしの沈黙が流れる。
「魔王様の為であるなら、私は死ねますよ。」
私は再びそう言ってから、微笑んだ。
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