第19話 遠き日の別れ

「と、遠野っ??何故ここに……!?」


魔王は、そう言いながら地面から顔を上げるが、まだ立ち上がれる程の力は戻っていないようだった。足に力が入らず、上半身だけをやっと起こし、窮地に現れた男をぽかんと見ている。


「魔王様、どうかそのまま動かないで下さい。」


すぐに終わらせますから、と背中ごしに告げる遠野の手には、今だ宝珠の光輝く聖剣の刃が握られていた。


聖剣は、宝珠の力によってこの世に斬れぬものなど無い程に存在次元が高まっている。ゆえに今、目の前で聖剣を、しかも刃を握られているという事の異常さに、勇者はこれまでにない焦りを感じていた。彼女が何度力を込め、この魔族の手ごと切り落とそうとしても、握られた聖剣はびくともしないのである。


「貴様、一体何者だ!」


「私は魔王城の事務を任されている者です。」


勇者に聞かれるがまま、馬鹿丁寧に遠野は答えたが、その声を聞いた勇者は、何故か困惑の表情を浮かべた。そして、遠野の顔をやたらとじろじろと見た後、気の強そうな彼女の顔から、みるみる血の気が引いていく。


一方の遠野は、状況からして勇者で間違いないであろうその黒髪の女性が、日本人のような見た目をしていることに違和感を感じていた。やがて、それ以上の違和感を感じ始めた遠野より先に、真っ青なくちびるをわなわなと震わせ、驚愕の表情から一転して憤怒を剥き出しにした勇者が叫んだ。


「貴様、どうやってその顔と声を知ったッ!」


そう彼女が叫ぶと同時、聖剣と宝珠がこれまでにない共振を引き起こし、それは聖剣を中心に嵐のような風を生むと同時、強い魔力の衝撃波を発生させた。遠野は素早く聖剣から離れると、地べたに座り込む魔王を背負い、勇者と距離をとる。


「すまん、遠野……迷惑をかけたな。」


「何をおっしゃいます、私に自覚があればもっと早く駆けつけられたでしょう。謝るのはこちらのほうです。」


何度もすまないと繰り返す魔王を、後方のユルヴェーヌに預けた遠野は、どこか心に違和感を感じつつも、すぐさま勇者の元へと跳躍した。


魔王軍に聖剣の力をぶつけられてはたまらない。自分が楯になってでもそれを防がなければならないからだ。それに、出来ることなら人間の立場から、話合いでことを解決できるのではないかという甘い考えが彼にはあった。


一方の勇者は、先ほどからその場を動かず、遠野の様子を伺っていた。彼女の中には今、言語化できない怒りが渦巻いている。


「どうか、落ち着いて聞いてください。本当に私たちが争う理由があるのでしょうか。」


その対象の分からない怒りが、目の前に立った魔族の一挙手一動を見る度に、次第に戦場にあるまじき感情へと変化していくのを感じた勇者は、自身の中で起きている反応を否定すべく、まともな返事もせずに斬りかかった。


「ええい、いちいちその声で口をきくなッ!」


勇者の叫びと共に、聖剣から刃状の光が放たれる。遠野はそれを両手で受け止め、その尋常でない威力に冷や汗を流した。


彼女の怒りを全身に浴び、魔王と自分を殺そうとする勇者を前にしても尚、彼女とはきっと話し合いができるはず、何とか戦わずに話し合いで全てを解決したい、と遠野は強く思った。それは、元々合理的であり、かつ魔族的思考をここ数ヶ月で身につけた遠野らしくない判断だったが、何故か彼はそこに疑問は持たなかった。いや、おそらく無意識に持つことを拒否したのだろう。遠野は胸の中で、先ほど感じた違和感が少しずつ肥大化し、実体を得ようとしているのを感じていた。


やがて遠野に勇者が振るう剣は、もはや技や駆け引きも見いだせない、ただ甚大な魔力を行使するだけのものになっていった。勇者は、ただ目の前にいる大きな魔族に、自分の力の全てを込めた一撃をぶつける。すると、馬鹿正直にその魔族は、その剣を真正面から受け止めた。受け流すことも、反撃に出ることもせず、ただただ全てを受け止めた。幾度も幾度も、ただその繰り返しが行われ、二人の発散する甚大な魔力は、戦場中に充満し、見渡す限り広がる双方の雑兵達の中には、気分を悪くして嘔吐する者まで出ていたが、それでも圧倒的な力を持つ二人の戦いに、水を差せる者は存在しなかった。彼らはいつまでも黙ってこの戦いを見守り続けるだろう。それはこの戦いに勝利した長を持つ陣営が、相手を蹂躙し殺し尽くす権利を得るに等しいからだった。獲物となるか狩人となるか、その切り替わりの瞬間を見極める為、彼らはただじっと時を待っていた。


「何だその顔は……!何なんだその声は……!」


「……。」


勇者の問いに遠野は答えない、同じ問いを遠野は胸に持っていたが、彼にはそれを口に出す勇気がなかった。あらゆる魔族を切り伏せる聖剣使いと自身が戦っていることすら忘れ、遠野の心は、忘れようとしていた過去へ過去へと沈んでいく。



___



……居間でソファに座ってテレビを見ていると、頭にぽすっと何かが当たる感触がした。私はそれを笑いながら振り返ると、素早くソファに隠れた影が、いたずらっぽい笑顔と共に顔を半分だけ出す。


「わっ!」


そう言いながら楽しそうに一人で笑い転げるその子に、私は大げさに驚いた真似をした。そうすると更にその子は上機嫌になって、一人でくるくると回りだした。手には新聞紙を丸めたものを持っている。日曜日にやっているヒーロー番組に影響されたのだろう、ご丁寧にテープで止めて、マジックで色を塗られたそれは、テレビに出てくる剣のつもりらしい。少し女の子らしくない好みだが、今度本物を買ってあげなきゃな、と苦笑しつつ私は立ち上がった。


「ようし、パパと戦いごっこをしよう!」


「うん!」


元気な笑顔が、部屋中に響き渡った。



次に覚えているのは、白と黒の景色の中、優しく微笑んでいるその子の大きな写真の前で、泣いている妻の背中だ。私は、泣くことも慰めることもできず、小さな棺の前でくずれ落ちる妻の背中をただ見ていた。暑い夏の日のことだった。



___



すでに互いの心はここにはなかった。ただ勇者が剣を振るい、遠野がそれを受け止める。そこには技もなく、駆け引きもない。


気づけば聖剣には宝珠の輝きはなく、ただの鉄の剣と化したそれを勇者は目の前の男へと振るっていた。それでも、男はただそれを受け止めた。そしてついにその瞬間は訪れた。


「もう、無理だよ……。」


次の剣を振るう力をなくしたように、そんな一言と共に勇者は聖剣を手放し、うつむいた。カランと鉄の剣が地に落ち、人間側の兵士に、言い様のないどよめきが広がった。


「……久美香ちゃん。」


遠野がそう声をかけると、勇者、いや遠野久美香は今にも泣き出しそうな顔で笑った。その顔のあちこちに出来た隠し切れない深い傷跡は、この世界で彼女が、想像も出来ない苦労を味わってきたことを表していた。名前を呼んだきり、二の句が継げない父に対し、娘は一歩二歩、小さく歩み寄る。


「……お父さん。」


さっきまで殺し合いをしていた二人の目には、いつの間にか涙の筋が伝っていた。何が起きているのか全く理解が出来ないと言った様子の両陣営のざわつきをよそに、二人は剣を介さず触れられる距離にまで近づく。


それと同時に、人間側から静かに無数の光が放たれた。それは、流れ星のような筋を描き、そのまま両陣営の中心へと落下していった。


ドドドドと地面に吸い込まれた光の槍、その土埃の中から現れたのは、光の刃に貫かれ、手足を千切られた勇者と、その勇者を抱えて慟哭する魔物の姿だった。

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