遠野課長、魔界へ行く

ロッキン神経痛

遠野課長、魔界へ行く

第1話 送別会にて

「ありがとう皆、今までありがとう・・!」


老いたこの身に、割れんばかりの拍手を浴びる。


デスクが並ぶオフィスの真ん中、半円を描くように、10人の部下達が私を囲っている。彼らの笑顔を見ている内に、30年間の長きに渡る会社生活の思い出がブワッと脳裏に広がり、ついに感極まった私は、綺麗な花束を持ったまま号泣してしまった。辛く厳しいことも多かったが、仲間に恵まれ本当に素晴らしい会社に勤める事ができた30年間だった。


「今までありがとうございました!」

「お疲れ様です、課長!」

「課長、いつでも顔出してくれて構わないっすよ~」


中には私につられ、涙ぐむような優しい者もいた。こんな彼らと一緒に仕事をするのも最後かと思うと、尚更涙が止まらない。そんな中、一人が部長お願いしますと小さく頭を下げた。


すると、ツカツカと革靴の小気味良い音をさせ、あのいつもしかめ面をしている部長が、今日はどこまでも穏やかな表情で私の前に立った。


「遠野くん」

「はいっ」

「今まで本当にありがとう、そしてお疲れ様」

「有り難うございます」


そう言って部長から差し出された餞別を受け取り、そのニコリとした笑顔に笑顔で答える。再び起こる拍手の嵐の中、私はビシッと45度の角度をつけた美しいお辞儀を忘れない。そう、最後の最後まで、私はサラリーマンの中のサラリーマンでありたいのだ。


「おっ、そのお金でパーッっと飲み行っちゃいますかーっ」

「おいおい、課長の金だろっ!」

「課長、いつでも遊び来てくれて構わないっすよ~~」


口々にそうやってはやし立てる部下達。私は思わず吹き出しながら、眼鏡を外して頬の涙を拭い、ニコリと笑顔を彼らに見せた。


しかし、その私の笑顔は、何故か驚愕の表情をもってして返された。皆が皆、部長に至るまで一人残らず、目を白黒させて私を見ている。いつの間にか拍手は止み、しんと社内は静まりかえっていた。一体、どうしたというのだろうか。


「・・・と、遠野くん!?」

「な、何ですかこれッ」

「うわぁ、課長マジシャイニングっすね~」


眼鏡を外してかけてはを繰り返し、目をこする部長。ただ、ぽかんと口を開けたままの部下達。そんな中、へらへらと笑っている新人の佐野。そんな皆の視線の向けられた先である、自身の身体に目をやると、なんと私の身体がまばゆいばかりの光に包まれているではないか。


い、一体これは何だ?光が当てられているのではなく、それ自体が光を発しているかのように、私の全身が輝いている。見える範囲だけでもつま先から、胸元まで全てが発光していた。恐らくは、顔も頭も同じように光っているのだろう、部下達が私の顔を見て固まっていることからも推測が付く。


私の全身を包むその光は、みるみる内に強くなり、しまいに2、3センチくらいの光の粒子がいくつも身体の回りをふわふわと飛び始めた。身に起きている事の意味を掴めず、私が混乱の極みに達する中、あっという間にその光は、周りが目も開けていられない程に膨れあがる。そして、私が光っているのか、光が私なのか分からなくなる不思議な感覚と共に私の意識は途切れてしまった。



次に記憶しているのは、古い絨毯のかび臭さだった。というのも、私はいつの間にか赤い絨毯に顔をこすりつけ、座薬を入れられるような四つんばいのポーズで横になっていたのだ。当然のようにスーツ姿のままで、右手には綺麗な花束をしっかり掴んでいた。一体何が起きたのか、全く状況が分からない。あの光は?会社は?皆は?ここはどこだ?慌てて上半身を起し、胸ポケットにあった眼鏡をかけた。


すると、目に映ったのは、いつも見慣れたあのごちゃごちゃとしたオフィスではなく、どこまでも広大な空間だった。海外旅行好きの私も見たことのない、古めかしくも不可思議な幾何学模様が壁に描かれたドーム状の建物の中に私はいるようで、その天井は途方もなく高く、天井から丸く広がる壁の一端を見ると、そこに見える調度品も、豆粒のように小さく映った。


「お、おーい!」


私はそのあまりの広さと壁の幾何学模様の美しさに目を奪われ、事態を全く飲み込めていないにも関わらず、興味本位で大声を出してみる。すると、おーい、おーい、おー・・と、自身の声がタイル張りの壁に幾たびも反響して消えた。天井には、何を模しているのか変わった動物を描いたカラフルなステンドグラスがはめてあり、それがドーム全体に柔らかな日差しを運んでいた。


「・・・目覚めたか、人間よ」


そんな声が聞こえ、私はその声の方向を振り返った。すると、私から十歩ほど離れた距離に、一人の小さな女の子が立っているのが見えた。女の子は、小さな肩に似合わない古めかしいマントを羽織っており、肩まで伸びた栗色の髪の毛からは、山羊のような立派な角が覗いている。遠野はあまり若者文化に詳しくは無いが、都会ではハロウィンにこのような格好をする若者が増えていることは知識として知っていた。見たところ、この広い空間には私以外、このハロウィン姿の女の子一人しかいないようだ。


「お嬢ちゃん、ここがどこか分かる?」


乱れたスーツを整えながら、その女の子に近寄り、ひざを押さえるような姿勢で目線を合わせると、私は尋ねた。


「ほぉぉ、この人間はわらわを小童扱いするのか、おいユルヴェーヌ!」


見た目の幼さに似合わない言葉遣いのその女の子は、そう言いながら左手を軽く挙げる。ユル?とは何だろうかと思った。すると、その声に答えるように、ハッ!という短い返事が私の背後から聞こえると同時、首筋に強い衝撃が走り、私は再び気を失った。


次に私が見たものは、石造りの暗い天井と、私を不安げに見下ろす麗人の姿だった。

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