第16話 罠と誇り

翌日の昼、ときの声と共に、人間の大軍勢は丘の下へとやってきた。先頭には勇者が、美しい毛並みの白馬に跨り、こちらを睨み付けている。


「魔族の王よ、聞こえるか。お前に民を思いやる心があるのなら、今すぐここへ来て私にその首を差し出せ!」


さすれば民の命は助けてやろう、と見え透いた嘘で、勇者は魔族の兵士の心を揺さぶろうとする。しかし当然、魔族は誰一人そのような言葉に耳を傾けなかった。それは、その嘘をつく態度すら勇者達が見せていないのだから当然ではあるのだが。


先頭列に立つ人間達は、昨日とは違い、天高く槍のような物を掲げていた。しかし、は、魔王軍の旗である事は一目瞭然であり、かつ、その先端に据えられたものを目にした魔族達のはらわたは、これ以上ない程煮えくりかえることとなった。


その破かれた魔王軍の旗の先端には、瀕死の魔族達が無残な姿を晒していた。恐らく再生魔法をかけられているのだろう、彼らは、ギリギリ死なないように調整され、苦痛を味わいながら、身体を貫く旗から逃れようと、必死で身体をよじっているのが見える。


「勇者ァ、貴様ッッ!!!!」


その畜生以下のやり方に、幼き魔王の怒りは一瞬で頂点に達した。その反応を待っていたかのように、勇者が手を振り上げると、旗の上の同胞に火矢が放たれた。ギャアアという断末魔に、魔族の兵士達の怒りのボルテージは頂点を振り切り、もはや我慢の限界を突破せんばかりだ。当然、その挑発は魔族達を陥れる罠であることは、誰の目にも明らかだった。しかし……


「全軍進めいッ、人間共を皆殺しにするのじゃ!!!」


魔族の誇りを汚された事に対する怒りは、あらゆる価値観を遥かに上回ったのだった。魔王様の許可を得て、荒れ狂う濁流のように丘を駆け下りる魔族の軍勢に、少し怯んだように下がる人間の兵士達。右手を掲げたまま不適な笑みを浮かべる勇者は、丘を下り終えようとする魔族達を前に、今度はその手を力強く振り下ろした。


「今だ、放てッ!」


瞬間、魔族達の足元に光が炸裂した。それは、魔法の光特有の黄金の光だった。旗をかかげる人間達と、魔族の間に大きな光の炎が、横一直線に立ち上がった。恐らくこうなるように計算されていたのだろう。念入りに作り込まれた魔方陣が、地面に複雑な紋様を描き、魔族と人間との間に光の炎で出来た壁を作り、そこに入っていく魔族達の身体を次々に吹き飛ばしていった。もはや丘を勢い良く下った魔族達に踏みとどまる力はない。前線に断末魔を聞きながらも、それでも駆け下りる足を止めることなく魔族は屍の山を築いていった。


しかし、それを眺めていた勇者と人間達の顔つきは、次第に余裕の無いものへと変わっていく。


「許サネェ、虫ケラ!」


半身を吹き飛ばしたオークが、光の壁を越え、4、5歩進み、そのまま粉になって消える。


「ウルァアアアアア!!!」


それに続くように、数体の魔物達が、なだれ込み、今度は前線の剣士に袈裟斬りにされて死んだ。


「続け!人間共を喰らい尽くせ!!!」


次第に半生半死のまま光の壁を越える魔物達が増え始め、ついには前線の剣士達の何人かを叩き潰し始めた時には、その展開を予想していなかった人間達は、面白いようにうろたえ、隊列を乱していった。


この時魔族の誇りは、狡猾な人間の罠に打ち勝ったのである。やがて、前線の剣士に紛れて魔方陣に魔力を送っていた魔法使いを、オークの一人が叩き潰し、地面の染みとしたのをきっかけに、一人二人と魔法使いは殺されていった。そして、弱まっていく光の壁とは反比例するように、魔族達の勢いはどんどんと増していき、怒りを真正面から受け止める形となった人間達は、原型を留めない肉塊へと姿を変えていった。


「怯むな、殺せッ!」


オークの一人の頭を飛ばしながら勇者は叫ぶ。バシュッと小気味の良い音と共に、ポロンと落ちたオークの頭部は、跳ね転がりながらも兵士の一人を噛み殺し、満足げに粉となって霧散した。一体、奴らのこの強さは何だというのだ、魂も生命も持たない泥人形に、何故このような力があるのだろうか。そう、戦いながら勇者は考えたが、魔族を見くびる彼女に、その答えが出せるはずもない。


やがて戦場は完全な乱戦の様相となり、人間の血と臓物、魔物の粉と破片で、大地は次第に埋められていった。

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