第12話 予兆と変化

いつものようにゴブリン達と仕事をしていたら、夕方頃、目の疲れがピークに達してしまったらしく、書類の文字がぼやけて見えづらくなってしまった。


「くあぁ、ちょっと休もうかな」


私も歳だから無理をしちゃあいかんな、と老眼鏡を外し、グッと目をつぶり上体をそらす。そして、パッと目を開け前を向いた時に、ある違和感に気付いた。


「あれ?あれれ?」


目をぱちくりしながら、自分の手を見て、書類を手に取って、そしてそれを不思議そうに見ているゴブリン達の顔を見る。


「み、見える……」


試しに老眼鏡をかけたら、グニャリと視界が歪んだ。もう一度外すとクッキリ、かけるとグニャリ。こりゃもう間違いないだろう、なんと私の視力が回復しているようなのだ。驚いてしまった私は、ゴブリンの一人に頼んでユルヴェーヌに来てもらう事にした。城中に居るゴブリンに頼めば、例の共有意識とやらで遠くへ伝言してくれる為大変便利だった。


「承知しました、遠野様」「遠野様」「様」


彼らは、日々の実務をこなし、人間界の知識を蓄えていくせいか、この所どんどん知性的になっているように感じる。今までは掃除や料理などの雑用をこなす下級魔族という位置づけだったらしく、この変化には、ゴブリンを土から練成した、いわば産みの親である魔王様も驚いていた。


「魔力による変化でしょうね、魔王様の力は強烈ですから」


一体何事かと駆けつけたユルヴェーヌに私の視力の事を話すと、彼女は少し考えた後で、多分、と前置きしてそう答えてくれた。


「魔力、ですか。私はただの人間ですので、そんなものとは無縁だと思っていましたが」


「いやいや、魔王様が甚大な魔力を召還に注いだんですよ。むしろよく、今まで顕在化しなかったものだと思います」


触媒もとびきり最上級のものを使ってますしねと、どこか誇らしげなユルヴェーヌ。触媒…というと、私もあのゴブリンのように土に魔力を注いで召還されたのだろうか。


一度、私が最初に見た大きなドーム、神殿と呼ばれる建物でゴブリンが練成される様子を魔王様から見せてもらったのだが、土くれから内臓や手足のパーツが組み立てられていく光景は、見ていて気持ちのよいものではなかった。


「でも視力、ですかぁ……他にも変わった所はございませんか?」


何か物足りないとでも言いたげに、ユルヴェーヌがそう尋ねてくる。特に変わった所はないと答えると、首をかしげながら、そんなものですかぁと繰り返している。視力が元通りになったことがそんなものとは、一体どうなれば満足するとでもいうのだろう。


しかし、そんな彼女が満足しそうな変化は、図らずとも私の身に次々と訪れた。


視力の回復以降、自身のとやらに敏感になった私が、次に気付いたのは頭髪の異変だった。ある朝鏡を何の気なしに見ていると、年齢なりに少し薄くなっていた頭髪が、生え際から元気になり始めていることに気が付いたのだ。……まあ正直これは嬉しかったが、鏡を覗き込むようにしてよく見ると、新たに生えてきているその髪は、黒髪でも、白髪でもなく、透き通るように輝く銀色の毛だったのである。


次に顕著に現れたのは、身体付きそのものの変化だ。毎日寝室と仕事場を往復し、デスクワークばかりしているだけの私の、たるんで横に割れていた腹筋が、気付けば引き締まり、縦に割れているのである。何となく痩せてきたかなというのは感じていたが、数日前にはこんな身体ではなかったはずなのだが。


それを契機に全身をよく見てみると、体中が筋張って、筋肉質になっているのが見て取れた。しかし、それ以上に私を驚かせたのは、骨格そのものが大きくなっていたことだ。身長も10センチ程だろうか、頭一つ分視界が高くなっている気がする。


そういえば、あんなに大きかった天蓋付きのベッドが、心なしか小さく感じるようになったのもこのせいだったのだろう。


その変化は、私の心配とはよそに、魔界の身体のみの変化に留まっているようで、あちらの世界に帰った私の身体は、ただの中年太りのおじさんのままで、自分の少しだらしない身体を見た私は、ホッと安心するような、少し残念な気もするような、そんな不思議な感情を味わった。


その後わずか数週間の内に、私の変化は日ごとに大きくなり、みるみる頭髪は銀色へと生え変わり、体格は日に日に大きくなっていった。


硬くしなやかな銀髪は元々あった髪も変化させ、今や黒髪は、探せば数本ちらちらと見つかる程度。顔がそのままであるから、日本人の顔に似合わない美しい銀髪に少し笑ってしまう。大きなベッドから足がはみだす程になった身体は、感覚が追いついていないのか、歩けばあちこちぶつかるようになった。


私は、そのあまりにも短期間かつ大げさな変わりように呆気に取られるばかりで、もはや驚きは沸かず、今はそれよりも大きな身体でのデスクワークのしづらさ、という部分に、ほとほと困ってしまっていた。


ベキッ!


また派手な音と共に、ペンが折れた。今日で三本目である。やけに大きかった木のデスクも、装飾華美な椅子も、今では不思議とちょうど良いサイズに収まっているのだが、この力の加減だけは上手くいかない。ハァァと大きなため息をつくと、周りにいたゴブリン達がビクッと身体を震わせた。どうやら私に怯えているらしい。


どうやら身体だけではなく、声のボリュームもコントロールできなくなっているようだ。魔界に来てからというもの、驚かされることばかりだが、どうやらまだまだ私は驚き足りないらしい。


「遠野様、大事な話がございます」


新しいペンを探そうと、のそのそ立ち上がる私に、ノックをして入ってきたユルヴェーヌが、やけにかしこまってそう言った。長身の彼女を、小さな子供を見る親のような視線から見下ろす自分の体格の異常さに、少し笑えてくる。しかし、そんな私の心の内とは裏腹に、彼女の口から語られたのは、どこまでも重く響く言葉達だった。


「戦争が始まります」


新しいペンを持ち、窓から薄紫色の外を見る私の頭の中で、さっき聞いた印象的な一語がぐるぐると回り続けていた。

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